フラワーレメディーを握って・・
さて、またまたきのう頭痛がしていたところ、フラワーレメディーの名をいくつか書いて手に握っているうちに、いつのまにか治ってしまった。握ったまま横になると、全身に気がみなぎってくる感じ。これは本当らしい。また、いくつかのフラワーがブレンドするとそのコンビネーションが何とも言えず増幅されてパワーが増すような気がする。これはエッセンシャルオイルと同じような効果だろうか。
しかし、さらにいえば、フラワーの名前を念じて拳を握るだけでも気は充満してくるように思うが・・
さて、またまたきのう頭痛がしていたところ、フラワーレメディーの名をいくつか書いて手に握っているうちに、いつのまにか治ってしまった。握ったまま横になると、全身に気がみなぎってくる感じ。これは本当らしい。また、いくつかのフラワーがブレンドするとそのコンビネーションが何とも言えず増幅されてパワーが増すような気がする。これはエッセンシャルオイルと同じような効果だろうか。
しかし、さらにいえば、フラワーの名前を念じて拳を握るだけでも気は充満してくるように思うが・・
バッチ・フラワーレメディーを始めた。バッチ花療法はいま二系統あるらしく、伝統的なバッチセンターのものと、ヒーリングハーブ社から出ているものがある。前者は伝統的、保守的だが、後者はダウジングやOリングテストなども自由で、ある意味では少しニューエイジ的とも言えるかもしれない。この前読んだ中沢あつ子の本は後者に属するようだ。レメディーの効果そのものにどの程度の違いがあるのかは実際にやってみないとわからない。
この前、フラワーエッセンスとは植物界からの愛の波動であると書いたが、本にある花の写真を見て圧倒的な「愛と光」が放射されているのを感じた、と報告してくれた人がいた。またその人は、ホメオパシー薬の名前を紙に書いたという話を読んで、フラワーレメディーの名を紙に書いて手に持って寝たところ、7~8分くらいたつとすごいエネルギーが全身をかけめぐり始めたという。体が熱くなってきたそうだ。
もちろん、すべての人がそうなるわけではなく、これはあくまでかなり微細エネルギーに敏感な人のケースである。でもほんとに、実際のレメディーはいらないのかな~、と思えてしまう。まあ少なくとも、自分に必要なレメディーを選ぶのには十分使えるな、と思う。まず本を読んで、心にひっかかるレメディーを何種類か選び出し、それを小さな紙片に書いて手に持ち、エネルギーを感じるのである。無意識に避けているものがあると感じたらペンデュラムを使って、そこで出てきたものを改めて紙に書き、感じる。ペンデュラムも自分でやると誤差が生じやすいので、最終的には自分の感覚で決定することが必要だ。この紙片メソードを使うと、何種類かブレンドするとどういうエネルギー状態になるのかシミュレーションできて大変便利かもしれない。また、花の写真をトランプのカードのようにしたカードセットが売っているので、これを紙片の代わりに使うこともできるだろう。このカード自体がかなりすごいエネルギーを持っているらしい。
ともあれ、ホメオパシーにしろバッチにしろ、エネルギーのチューニングがその本質である以上、「ブツ」はあくまでその補助手段でしかない。私たちはその物質にお金を払っているわけではないのである。むしろ「通信料」であって、そのエネルギー場にアクセスしやすくしてくれるということだ。
しかし、私の感覚だと、バッチのエネルギーはホメオパシーの数倍以上だと思う。私自身のエネルギー体への感覚としてはホメオパシーより断然強い。これはもしかしてかなりすごいものではないかと思い始めている。バッチの伝記を読んで、彼がきわめてスピリチュアルな人物であり、フラワーレメディーの発見こそが彼の「ミッション」であったという確信を持てた。つまりこれは、「あるもの」がその霊的な贈り物を人類に与えるために、媒体としてバッチ博士を選んだということなのだ。このことは一点の曇りもなく明白なことである。
ただ――本来フラワーレメディーはブランディーを入れていて、半永久的に保存できるものなのだが、日本では酒税法の関係からこれが直輸入できないので、日本向けにワインビネガーを入れている(バッチセンター製造、ネルソン社販売のものの場合)。このため、使用期限が一年くらいになってしまう。また飲むときに酢のにおいが強くてちょっと飲みにくい感じもする。これが日本でやる場合の弱点で、本来ならどーんと全セットを買って何年も使っていくことができるのだが・・ 酢の香りがいやなら「トリートメントボトル」にすれば問題ない(詳しくは本を参照)。
さっそく読者の一人から「私もホメオパシーが効いた!」という体験談が寄せられた。よく富山の置き薬の現代版である配置薬というのがあるが、ああいう常備薬のセットとして、西洋医学の薬よりホメオパシーのレメディーキットをそなえるというのはよい選択であろう。たとえばO157の中毒の時、下痢止めを飲んでしまったため毒素が排出されなかった子供は死んでしまい、飲んでいなかった子供は助かったという例もある。対症療法の恐さを思い知らされる例である。ホメオパシーのレメディーは保管状態さえよければ何年ももつのであるから経済的である。
さてそこでレメディーキットはどこで買えるかいろいろ調べたのだが、いま日本で手に入るものとしてはホメオパシー・ジャパンで販売しているものが手頃であるようだ。私もこれを頼んだのだが、これは30Cのキットなので、できれば初心者は6Cくらいのキットを選んだ方がいいとものの本にはある。ポテンシーが高くなると、レメディーがきちんと合わないとなかなか効果が現れないからだそうだ(合わなくても害はない)。ポテンシーの低いものとしては「マリエン薬局」というところで販売しているものがあったが、やや高め。それに私がほしいレメディーが入っていなかった。これは12Xというポテンシーである(希釈度は6Cと同じくらいか)。ホメオパシージャパンでは4月から6Cの単品レメディーを売るというのでそれを待ってもいいかもしれない。私はやろうと決めたら待ちきれない性格なので30Cのキットを頼んでみたが。まもなく、エッセンシャルオイルとバッチフラワーレメディーも試してみるつもりである。こちらは、そこに何か「美」を感じてしまうのである。
波動医学、バイブレーショナル・メディスンにはいろいろな種類があるが、ホメオパシーは物質(肉体)次元と微細領域とのインターフェイスにあたる、と言われている。ホメオパシー薬というのは物質をどんどん希釈していき、一般的な30Cというのは100分の1の30乗、つまりマイナス60乗であり、0.00....と小数点の次に0が60個続くことになる。もちろんここには元の分子は一個もないわけであるし(アボガドロ数のマイナス23乗以下になると分子は理論上存在しない、つまり計算上では12C以上は分子がないことになる)、つまり物質のもつ微細なエネルギー場が水に転写されたことになる。水という媒質も不思議なもので、江本勝氏の結晶写真だってどうも嘘ではなさそうだと思う。渡辺順二の『癒しのホメオパシー』はホメオパシーの不思議な部分を理解させてくれる。ホメオパシー薬というものは近代医学の薬のように単なる「手段」として見るだけではいけないのではないだろうか。つまり物質とはそれ自身の生命場を持っており、人間はそれと対話する、という姿勢がそこに入ってくるような気がする。
つまり事物のもつ深みを感じるということだ。それはアロマテラピーにしても、それぞれのエッセンシャルオイルの持つ「美しさ」を感じるところからスタートすべきものだと思うのである。ホメオパシー薬となる物質は人間に奉仕するためだけに存在しているものではないので、人間の癒しに協力してくれていることへの「感謝」と共に受け取るものではないのか。この物質はそういう愛の行為によって、ホメオパシー研究者たちに「発見されることを承諾した」のである。物質の根源にあるスピリットがそういう意志を持たなければ、決して薬として発見されることはなかったであろう。こういう言い方が近代的世界観になじまないことは自覚しているが、この感性は、ほとんどのネイティブ・ピープルが持っていたものではないかと思う。べつにオカルトでも何でもなく普通の考え方である。そういう感謝がなくただ手段として扱う人にも、効かないということはないと思うが、感謝をもって接した方が効くのではないかという気がする。いかがなものだろうか。大人よりも子どもの方が効くというのは理解できることである。
つまり私は「物質の持つスピリットとの対話」としてホメオパシーを理解したい。そこでこの間ちょっと面白いことがあった。実はまだホメオパシーのレメディーは手元にないので、まだ注文中である。ところがこの間風邪のひきかけでひどい頭痛がした。そういうときは「アコナイト」というレメディーがいいらしいのだが、こういう時にアコナイトがあれば、と思いながら寝た。普通の風邪薬は飲まないでおいた。そこでしばらくして、ふと思いついて、イマジネーションでくっきりと「Aconitum」という文字をスクリーンに浮かび上がらせ、そのレメディーをイメージしてみた。そしてそのイメージの中に自分の意識を重ね合わせ、その中に入っていくようにイメージした。すると次の瞬間、びりびりっと電気のようなエネルギーショックを感じ、思わず体が激しく動いた。・・実は、こういうことは私にはそれほどめずらしくないので、何かとエネルギーの波長が合ってエネルギーが強く入ってくるときにはだいたいそういう反応が出る。私はアコナイトのエネルギーとうまくチューニングできたのかもしれなかった。気がつくと頭痛はかなり軽減していたので、さらに今度は、紙を小さく切ってそこに「Aconitum」と書き、その紙片を手の中に握ったまま寝ることにした。するとその手から「気」が動くのが感じられ、それが全身に広がっていった。まあ、手を握るだけでもある程度気は出るのだが、この紙片はかなり気の活性化を助けてくれる。そこでいつのまにか寝てしまい、朝起きると頭痛はほとんど治っていた。
そもそもホメオパシーレメディーには物質的実質はないのであるし、その物質の持つエネルギー場と自分のエネルギー体を共振させることがその本質であり、またそのエネルギー場自体は本来時空を超えた性質をもつ(シェルドレイクの形態形成場)のだとすれば、そのエネルギー場に遠隔でチューニングすることも理論的には十分可能であるはずである。そうでなければ、遠隔ヒーリングなどということも不可能であるわけだ。実はこういうことを思いついたのは、長岡大学の定方昭夫という人がいるが、その人が、ある漢方薬の名前を書いた紙片を握るとそれだけである程度の効果が出てくる、という話をしていたのを思い出したのである。他に、あるものの名前を書いた紙片を持ってOリングテストをするとはっきり違いが出るという話もおなじみだろう。漢方薬でも効果があるならば、ホメオパシーはさらにそういう性質が出てきても不思議ではないのである。私は、アコナイトと書いた紙で効果があることをまったく疑わなかった。この、疑わなかったということも重要なのかもしれない。とすれば、ホメオパシーのレメディーって買わなくてもいいの? ということだが、そうかもしれない。でも一般的には、レメディーを通した方がチューニングは容易だろう。紙に書いただけで効果があると100%信じることもなかなか難しいかもしれないし。しかし、レメディーを選ぶのに(これがホメオパシーではいちばん難しいのだが)、そういうエネルギーチューニングを使うことは役に立つだろう。ホメオパシーのセルフケア本に書いてあることと共にOリングテストなどを併用することは考慮に値すると思う。ところで、普通の化学的な薬でもこの紙片のメソードは効くのか、それは明らかではない。理論的には、それほど効果はないと思われるのだが、試してみないとなんとも。
アコナイトへのチューニングの前に「手当て療法」も試したのだが、これは、手を当ててしばらくの間はいいのだが、なかなか効果が続かない。どうも、自分のエネルギーが落ちているからこそ病気になっているので、こういうヒーリングは健康な人にやってもらう方が効果が高いと思った。そういうふうにエネルギーレベルが低下したときには、何か「他者」のエネルギーを受け取る方が、回復のきっかけをつかみやすいと感じる。その「他者」とは、人間でなくても、レメディーの物質とかフラワーエッセンス、エッセンシャルオイルなどでもいいわけで、要は自分以外のエネルギー場との「交感」ということだ。この地球には、人間を手助けしようとする「他のエネルギー場」が多数存在していることは事実であり、私たちは、そのことに深い感謝の念を抱くべきではないだろうか。人間は自分たちだけで生きているのではないのである。バッチ博士がフラワーエッセンスを発見した時のエピソードは面白い。まさに、フラワーエッセンスがバッチ博士に「発見させた」のであって、彼はフラワーのスピリットに導かれていたのであった。
バッチのフラワーレメディーは、ネガティブな感情パターンを癒すことを目的としたもので、現在でも肉体次元の病気よりは心理的問題の解決に使われることが多いようである。しかし、「自分のネガティブな感情パターンに問題があるらしいのでそれを癒そう」と思いつくということ自体が、かなり大したものではないだろうか? 本当にネガティブなものにとらわれている人々は、そういう発想自体ができないものだろう。そう思いついたこと自体、既に回復のプロセスに入りつつあることを示していると思う。ちなみに、こういうことには女性の方が敏感であるのは一般的傾向として否定できず、男性はなかなか自分にネガティブな感情パターンがあることを認めようとしない。つまり、本来の安定した状態に戻ろうとするホメオスタシス機能がやや敏感でないと思う。この点で、一般的傾向としては、男性は女性に比べて劣っていると私は断言したい。男性を癒すことが今の世の中では急務とされていると思う。
また気が変わって、リスポンスボタンを最初の記事に戻した。あんまりリスポンスの多少に一喜一憂したくないという気分なので、常設リスポンスボタンは廃止させていただく(ただし、また気が変わる可能性はかなりある)。リスポンスしたい人は、右のサイドバーのリンクにあるHPのリスポンスページで「Good!」という文字だけを送るのでもかまわない。また、アクセス数に一喜一憂するのは避けたいということで、アクセスカウンターやアクセス解析も今のところ設置する予定はない。実をいうとアクセスアップにはあまり関心はないので、なぜかというとあんまりアクセスする人が増えると「波動的防御」がしんどくなってくるのである。今回は「結界」には十分な配慮をしているつもりなのだが(その方法については公開しないが)。WEBで公開するということはそれだけ「受ける可能性がある」ことも意味するので、特に精神世界系のHPでは十分すぎる用心が必要だろう。
(なお、前の「リスポンスについて」の記事は削除した)
このところ猛然たる勢いで本やCDを注文している。新しい領域に関心をひかれるようになったので、こういうときは惜しまず思い切り買うのがよかろう。ところで、どうして注文する気になったのかよく覚えていないが、リチャード・ゴードン『クォンタム・タッチ』が手元に来る。ところが・・これはすごいかも。というのは、本自体が放っているエネルギーがすごいのだ。私のサニワによればこれは相当なもの。この本は「誰でもエネルギー療法はできる」というコンセプトのものだが、著者のエネルギーがすごいので読んでいるとたしかに「自分にもできて当然だ」という気になってくる。実は、この「意識の変化」を起こさせるということがいちばん重要なことなのだ。ヒーリングの本というのはそれに成功するかどうかが鍵になる、と思うのだが、正直、読んだだけでワークをあまりやっていないのに、それでも全身にかなりエネルギーが来ているのを感じた。こういう本は久々だった。どう「すごい」のかといえば、つまり「読者に強烈な波動共鳴を起こさせる力がある」ということだ。「本とは波動で読むべきものだな」と改めて実感したわけである。ヴォイスもたまにいい本を出すんですね(笑)
もう一冊よかったのは中沢あつ子『バッチ博士のフラワーエッセンスガイドブック』である。これは、それぞれのエッセンスの霊的な意味にかなり踏み込んで解説してあり、平行して行うワークまでのっている。著者の霊性についての理解度は相当なものである。バッチの療法の基本的な意図は、「スピリットの発現を妨げているさまざまな種類のネガティブな想念、感情をワークすること」なのだ。それが非常によくわかったので、ますますこれを実際に実践してみようという気分が高まってきたのだった。
言い忘れたが本やCDだけでなくお香も買っている。今日はこのへんで売っていない珍しいお香がたくさん届いたので気分がよろしい。実をいえば、今週が経過するうちに私の中では一つの「シフト」が起こったような気がする。
『バイブレーショナル・メディスン』の再読にかかっているが、これはなかなかすごい。驚くべき本だと言える。これがすんだらVibrational Medicine in the 21st Century というのも読みたい。その他、ホメオパシー、フラワーエッセンス、ハンドオンヒーリング(レイキを含む)などは自分でも試してみることにしている。アロマについては、芳香成分という化学物質が作用するというとらえ方もできるので、完全に「バイブレーショナル」ばかりだとはいえないようだ。芳香成分については、川端一永『医師が認めたアロマセラピーの効力』(河出夢新書)に出ている。ただ、アロマの効果はそればかりではないはずで、もっと微細な「植物のスピリット」のレベルがあるに違いないと思う。そのへんはモージェイの『スピリットとアロマテラピー』でもかなり書かれていたが、英語にはそういう本があと何冊かあるのでそれを読んでみるつもりでいる。こういう研究はなかなか楽しい。
HPの方は、このウェブログへのリンクをつけ、さらに旧コンテンツからは「スピリチュアル知識人」だけをとりあえず復活させた。ついでに少し増補。つけ加えたのは、ゲーリー・ズーカフ、マイケル・ニュートン、ラッセル・ターグ、ジョン・リリーなど。
さて、これから少し「癒しの哲学」のようなことを考えていきたい。癒しというのは流行語ではあるがその最も深い部分まで到達したものを表現してみたい。具体的には最近の代替医療の流れ、その中でも特に「エネルギー医学」といわれるものに注目する。リチャード・ガーバーの『バイブレーショナル・メディスン』はこれの基本書だ。つまりは「微細身体」の問題とも言える(これについては上野圭一『ヒーリング・ボディ』)。人間をエネルギー体としてみること。しかもそのエネルギー体は多重であり、それが宇宙の多次元性と重なるということだ。もちろん『魂のロゴス』や『忘れられた真理』でも多次元性のパラダイムを描いていたが、身体性の問題は主な主題ではなかった。宇宙の本質としてのエネルギー――つまりこれが中国でいう「気」だが――が織りなす場としての身体。これが「意識エネルギー場」にほかならないのだが、これは単なる理論ではなくて、ホリスティック医学にもつながっていくし、またエーテル体、アストラル体を重視するシュタイナー教育のように、教育の変革にも及ぶ(これをホリスティック教育というが)。つまり、これからの世界観の核心は、実体としての物質ではなく、エネルギー場の重畳としてすべてを理解する「意識エネルギー場的世界観」であり、そのプラクティカルな応用として特に医療と教育があげられるのだ。よくいわれるように「癒し」healとはmaking whole全体にするという意味から来ている。日本的にいえば「命とふたたび結びあう」ということである。「産霊(むすび)」という古代語もまた「癒し」と密接に関連している。
さらに「癒しなんて甘っちょろいことを言っているんじゃない!」と恐い顔で言う「困ったオジサンたち」の権威を解体することも必要である。これはいわば「オヤジ的ゲシュタルト」であるが、こういうのはけっこう若い男にもいるものである。要は、自分で何でもできると思っていて、全体との複雑なつながりの中で生きているという事実を理解できない人々だ。「癒し」の中には「自分をより大きなものに明け渡す」という部分が含まれるが、こういう人々はここに不安を感じるのである。こういうオヤジ的感性が、官庁でも会社、マスコミ、大学といたるところで権威を持っているわけだが、こういうマッチョ性を批判していくのは、つまりフェミニズム批評という分野ともかかわる。社会はもっと女性化していくべきだと思う。ただもちろん、「明け渡す」ことは癒しには必要だが、必要最小限の自我までも放棄してしまうことがあっては、それは行きすぎというものである。そのへんのバランスは経験とともに会得するものだろう。
「気」を始め、微細エネルギーを用いたヒーリング技法は次第に定着しつつあると思うし、それとスピリチュアルな成長というテーマとの関連性も多くの人が気づいてきているところだ。それを全体として理解に収めるような包括的な世界観を提示することも意義あることだろう。
つまりそれが「意識エネルギー場パラダイム」であり、これは身体性と意識を結んでいく世界観としてあるわけだ。この枠組は、天使や菩薩といった存在者までも視界に収めることが可能である。つまり宗教の領域も扱える。
まあ、こういう発想そのものはすでに多くの人が気づいているところではある。それを思想的に組み立てるには、「場のトポロジー論理」が有効である。これは西田哲学の場の哲学にも萌芽的には見られるところだが、ウィルバーの『無境界』などにもトポロジー的発想は現れている。これをうまく扱うには唯識思想の拡張が最も効果的であると思う。
「癒しの究極とは悟りである」ということもしばしば言われる。それは間違いではない。逆に言えば、悟っていない人間は完全に健康ではなく、その意味で癒しを必要としていない人間などほとんどないということだ。「私には癒しなんていらん」と自信を持っている人こそ癒されねばならない自我の病に陥っているということかもしれない。
まあ、「癒し」という言葉を入れた方がアピールすると思うので、「癒しの哲学入門」なんて感じではどうか、と思っているのだが。
さて! いよいよ始まりました。前のさるさる日記「Intelligent Spirituality」からの引っ越しで、こちらニフティの「ココログ」へやって来ました。タイトルを「Spirit, Soul, Body」としました。これは、人間の全体性を表しています。
あえて Body も入れたのは、これから「身体の深み」も意図的に探求していこうと思うからです。たとえば代替医療で言われている「エネルギー医学」とか、身体の奥底にエネルギー次元の体を見出していくという方向も、私にとっては重要なものなのです。
この形式は「ウェブログ」というそうです。略して「Blog(ブログ)」ともいいます。WEB日記よりもちょっと進化した形の個人による情報発信ページです。
変わったところ:
*記事ごとにコメントがつけられるようになった(ただし、内容によってはコメントをオフにすることがあります)。
*記事がカテゴリーで分類できる。
*本、音楽などの「マイリスト」が掲載できる。
その他にもあるとは思うが、それはおいおいに。
とりあえずこの新ページ開設のお知らせまで。