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ニヒリズムのことなど

竹田青嗣の『ハイデガー入門』、なんか、いまいちおもしろくないですね~
それはやはり、私がハイデガー後期思想にシンパシーを感じる人間だから、ということもあるけど、期待していた「情動性」のことがほとんど掘り下げられていないことにもあるかも。
ただ、私がこのところ竹田青嗣とか西研なんかの本を見ているのは、講義で、できるだけわかりやすく哲学のことを話さなければいけない、というのがあって、その点彼らの本はきわめて明確に西洋哲学史を整理してくれているので、そこが参考になるということである。しかしどうも、存在論的思考についてのセンスがやや乏しい。この点はどうもしようがない。

竹田自身は、ハイデガーが言うような「死の自覚によって存在するとはどういうことかがあらわになる」ということを、本当に「身体的に」わかっているんでしょうか? それがわかれば、ハイデガーの後期思想に言っている「存在の本来性へむかっていく根本情調」ということが理解できるはずなんだが。そういう「情動性」が竹田の中ではあまり共鳴しないというのは明らかだ。まあ、哲学の話でシュタイナーを持ち出すのは禁じ手だが、シュタイナーが言う「魂の気分」ということなんですがね。そこが人間が本来の世界(存在の故郷)へ向かう出発点だという・・

しかしこの問題の根は深いところにあって、竹田は「すべての価値はこの人間の生の中にしか見出せない」と主張していて、これはニーチェ的な態度である。私の立場からすればこの主張そのものが現代のニヒリズムに内属している思想である。後期ハイデガーはその視点からニーチェを批判しているので、この対立は根源的だ。私からすれば竹田の思想は、スピリチュアル(存在の本来性)への道筋を見失った近代的人間の限界を超えない。しかし竹田はニヒリズムのニーチェ的乗りこえ(?)を模範としているので、それは一つの立場としてありうるものだということは認めねばならないだろう。

鷲田清一の『メルロ=ポンティ―可逆性』も読んだけど、これは相当よかった。存在のぎりぎりの界面を見つづけている感覚がある。やはり哲学はこうでなくては。

さてバッチの新しいレメディーを飲み始めた。これは日本の「お酢」バージョンではなくてイギリスから直輸入したブランデーバージョン。これは効いた。そのエネルギー体への効果はすごいばかりである。さらに私は、アロマランプに一滴垂らしてみたが、ラベンダーの香りとともにレメディーの波動が部屋に充満した。これはかなりすごいものがあった。完全に酩酊状態に陥ったのであった。

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