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本の話と現象学

ああ、本代が・・と研究費の急速な減少に悩みつつ、猛スピードで読書中。授業のない日は一日二冊もあたりまえ。しかし、だいたい、今の哲学ではこのへんまで来て、その先がわかっていないのか・・というのは見えてきた。だいたい私が考えていたものとそれほど違ってはいない。ただ、やはり、アカデミックな哲学としては、このへんが限界だろうな、というのはあって、だいたいそれを見きわめたら、哲学は適当に切り上げて、今度はもう少し宗教思想の方へ行こうと思う。

本代を節約せねばと、今日(5/14)は県立図書館まで出かけた。高速道路を使って約一時間である。ここは専門書ばかりで、普通の市立図書館のような小説本などは一切ない。総合大学の図書館なみである。こういう環境が家に近くにあれば! たぶんこの10年間で、本代が100万円は節約できたに違いない。私が気になっている本はほとんどあった。それを30冊ばかり閲覧席に積み上げ、内容をざっとチェックし、買う本、借りる本、読まなくてもいい本、いつか必要になるかもしれないのでチェックしておく本、一部をコピーする本・・などに分類するのである。こうしてみると、買わなくてもいい本がわかってくるので大いに節約できるのである。実際、バサバサと買ってみたが、まあどっちでもいいような本もけっこうあったので、このペースではまずい、ということで図書館に行ったのだが、ここはなかなかいい。月に二回くらいは来ても、交通費分を上回るメリットがある。

これから私が狙いを定めるのは「現象学的形而上学」。たとえばフッサールはこう言っていたそうだ。「マイスター・エックハルトの書き残したものすべてを、一切変更することなく、自分のものとして引き受けなおすことができるだろう」。 これはどういう意味か? 現象学の立場に立つと、日常経験も、また霊的経験も、すべて「現象するもの」ということにおいては同一であり、どちらかを優位に立て、他方を「幻想」などおとしめるような態度は不可能になる。つまり、あらゆる経験を認め、受け入れる「ラジカルな経験主義」が可能になるのである。ここに、新しい霊的思想の哲学的根拠が見出されるということである。このことについて次の本で、できるだけわかりやすく展開しようと思っている。しかしその「経験」ということに関して、哲学者が知っているよりもはるかに強烈にして遠大なことなども出てくると思う(そうでなければ私が書く意味はないが)。そのへんで火花が散るみたいなものになると面白い。

一方で、湯浅泰雄の『宗教体験と身体』は、今の現象学から見ればちょっと問題あり、ということもわかってきた。このパラダイムは、かなり大幅な書き直しが求められているところだ。ちょっとユングの権威に頼っているところがあるので、思想としての浸透力が弱いと思う(私はいちおう、浸透力のある思想をめざしているのである。『魂のロゴス』よりも支持層を拡大せねばならぬ)。

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