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霊的体験の現象学へ

まあ、ここのところ難しい話ばかりをしているようで、「そもそもおまえは『スピリチュアル思想』をやっているのではなかったか?」という声も聞こえてきそうだ。だが、そもそも、「世界とは何か」「現実とは何か」という問いを確定しなくては、霊的な体験の地平を思想的に論じる準備は整わない。たとえばそれは、臨死体験が、「脳内現象」か「現実体験」かという、不毛なる二者択一の議論があることでもわかる。現象学から見れば、このような議論は両方とも誤った前提に発している。そもそも「現実」というものの定義も曖昧な中で、「これは現実か」という議論をしたところでどういう意味があるというのだろうか。そもそも両者とも、現実とは何かについてつっこんで思考したことがないのは明らかである。

霊的体験、またエネルギー体的な体験の現象学というものはないのであろうか。つまり、そのような地平が開かれている、という意味で。もちろん、時間・空間を超越した経験がしばしば生じるのは疑いのないことであり、また時には「宇宙的他者」との出会いと理解される経験もあることは言うまでもない(私自身が経験しているのだから疑いようもないのである)。しかしその経験を語る思想的パラダイムというものはまだなく、それをあえて語るとなると、それが「オカルト的響き」を与えてしまうことも事実である。したがってひとまず、そもそも「体験とは何か」というレベルまで遡行して、意識、自我、世界、身体というものについて原理的な理解に到達することが前提として必要である。

そういう方向で面白いのは湯浅泰雄『宗教体験と身体』である。こういう方向性の話ではこの本が出発点となるであろう。湯浅はここで、メルロ=ポンティ的な身体性を「無意識的身体」と位置づけ、それをユングと結びつけようとしているのだが、これはどこまで成功しているものだろうか。この湯浅の考え方はずっと昔の『身体論』からあまり変わっていないが、こうした根源的身体性に意識と世界の初発を見るということ、そこからノンローカルな経験(超心理学的経験)の解明に向かおうとしているという点では、先駆的な試みと言えよう。いくつか再検討してみたい点はあるのだが、霊的経験の現象学的解明においては基本的にこの方向が正しいと考える。

谷徹『これが現象学だ』は、骨太で、やさしくはないが、わかりやすい。新田の『現象学とは何か』の前にこれを読めばよかったと思った。「最近の現象学入門書には、それなりにわかりやすくて面白いが、かなりひどい曲解にもとづいたものもある」なんて意味のことが最初に書いてあったが、これってたぶん○○氏の本のことね(笑)

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