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久々のスピリチュアル話

ひさびさにスピリチュアル方面の話を・・最近、ダスカロスの『エソテリック・プラクティス』を入手。ダスカロスはキリアコス・マルキデスの三部作で知られているが、ダスカロス自身の著書も五冊あり、インターネットで販売されている。そのうち一冊を、日本のダスカロス学習グループが訳したもの、らしい。本の持っている波動は高い(表紙からしてそうだが、これは反面、波動の合わない人をシャットアウトする役割にもなっているかもしれない)。内容は呼吸法やイメージ法が中心であるが、よく見ると『クォンタム・タッチ』と共通しているようなエクササイズもあり(気功と似たものもある)、こういう、イメージを通してエネルギー体を活発化する技法にはかなり共通の要素がある、と感じるのだ。というわけで、『クォンタム・タッチ』などの波動が合う人にはお勧めである。私は、未訳のダスカロス本をHPから買おうと思う。日本語版HP http://www.daskalos.jp/

その前の方でダスカロスは、東洋的な方法は「無」をめざすが、これは西洋向きの方法であって、「個別化された自己性」を引き上げることを目標としている、と言っている。
これはシュタイナーにも共通する考えであることがわかる。東洋の伝統的な道は「自我の放棄」を強調するわけだが、西洋の霊性修行は個別化された魂を引き上げる。

しかし既に、日本などでも伝統的な「自我放棄」の道は時代に合わなくなりつつあるのではないか? そういう道を説く人もいるが、あまり大きな支持は得ていない(もちろん常に一定の数の人はそういう道が合うわけだが)。つまり時代的には、無を強調する「禅」的な道よりも、個別的な魂の中に霊的本質を見いだそうとする道、これは仏教では「如来蔵」の思想であるが、そちらの方の重要性が増している。「如来蔵」というのは、如来は仏、つまり神的自己、絶対的宇宙叡智のことであり、「蔵」はしまわれている、潜在しているということである。如来蔵的仏教が、これからの霊性にはふさわしい。

従来、東洋思想に影響を受けた思想は一様に「無」を強調しており、京都学派の哲学(西田幾多郎など)もそれを中心としている。それに対して私が『魂のロゴス』で「魂」を強調したのも、そういう考えがあってのことである。シュタイナーの「自我」という考え方は、禅的な伝統ではかなり受け入れにくい。だがシュタイナーの自我とは、宇宙的な自己、神的起源をもつ個別性のことを言っている。

仏教系、キリスト教系、いずれも、「聖なる個別性」としての魂を主題的に扱った宗教思想はまだないのである。私は、もし普遍的な神学が成立するなら、魂の個別性についてのはっきりした議論が必要だと考えている。ここでいう「神学」というのは、宇宙的な叡智が存在するという前提――公理系といってもいいが――に立つ思想という意味である。西欧思想はこの前提を喪失したところに成立しており、その前提を守っている思想を「神学」と呼んで、哲学と区別している。つまり哲学と神学との分離という事態である。これは思想のあり方として正常と言えるであろうか。

ここで、「宇宙的叡智が存在するということは証明できない。よってこれは形而上学であり、議論することができない」と哲学は言うのだが、非西欧思想からすればこの主張は誤りであり、これは「通常の認識とは異なるモードの知によって知られることができる」と考える。つまりこうした「異種の知」を承認するかどうかになるが、これは定義上議論によって決着できず、それを受け入れるかどうかは最終的には「決断」しかない。哲学的に言うと「実存的企投」という(笑・・こういうに難しくいうと哲学ぽくなる)。

しかしそれでは哲学は何の役にも立たないのかというと、そういう哲学もあるが、役に立つのもある。そこで注目しているのが現象学だ。簡単にいうと、認識ということをその限界までつきつめることによって、今の世の中を支配している、科学信仰というか、「科学の権威を盲信することを前提とした唯物論的世界感覚」を徹底的に批判することが可能になるのである。そういう世界観が無根拠であって、転倒した考え方であることがよくわかるのである。そして、私たちの身体もまた物質的なものではなく、結局私たちは「差異化がそこで生成する場所性」(現代思想を知らない人にはわかりにくい表現だが)であること、ここまでは現象学をつきつめることで解明できる。そこまで来ると、唯識までもう一歩の地点までたどり着けるのである。それをよく示しているのが新田義弘であって、近著の『世界と生命』はかなりのところまで行っているようだ。今読んでいるところだが、わたしはこの著を傑作と呼んでいいと思う。西田の自覚の論理にもふれている(私は以前「スピリチュアル知識人」では西田をそれほど評価しなかったが、今はもう少し認めている。確かに新しい論理を作り出したという功績は多大なものである)。

それから、科学主義の批判については、入門として村上陽一郎の本をおすすめすることにしているが、もっと徹底して考えてみたい人には、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』をすすめる。題名からして恐れをなすには十分なものがあるが(笑)。でもフッサールの前期・中期の本よりはやさしいのではないかな。もう一冊あげるとすれば大森荘蔵の『知の構築とその呪縛』である。

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