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2004.06.27

映画の話

ハリー・ポッター第三作の映画が始まったようだ。しかし、第一作、第二作と見てみたが、映画は、本ほどおもしろくない。子供にもわかる娯楽映画という線で、ストーリーの展開を追っているだけなので、単純すぎるように感じられる。本の方は映画の五倍くらいおもしろいと思う。なんと言っても、学園生活の細かいディテールが描きこまれているのが読みどころなのだが・・ちなみに第五作の「不死鳥の騎士団」は英語で読んだが、実にすごい長さにもかかわらず、内容は深かった。基本的には、不条理な権力に対するレジスタンスという話になるので、いわば政治的というか、正義と不条理というテーマになり、そこに、ハリーが自分のうちにある「恐怖」をどのように克服するのか、という内面的な過程が描かれる。こういう重いテーマは、娯楽映画という枠では十分に表現できないように思うが。

それから今日の夜にはテレビでスピルバーグの「未知との遭遇」が放映される。「未知との遭遇」は、単純なUFOの娯楽映画と思ったらとんでもない! よく見ればわかるが、これはむしろ「霊的なものとの遭遇」をテーマにしたスピリチュアル映画なのだ。UFOに激しく「呼ばれてしまう人たち」。これは、日本の中世の「往生伝」の世界を思い出してしまう。霊的な呼びかけに駆り立てられ、家をすててひたすらに念仏を唱えつつ放浪して一生を終わった人たちが中世にはたくさんいたのだ。「未知との遭遇」の最後で、エイリアンが姿を現す場面は、激しいロマン的な衝動を呼び起こす、感動的なものである。去年、DVDを買って見直した時に、この場面にはあまりにショックを受け、一種の霊的高揚と、同時に放心したようなこの世的リアリティへの違和感が襲い、半日くらいは呆然としていた。そのくらい、スピルバーグの映像がもつ喚起力はすごかった。

多くの人は、そんな、「霊的な目覚め」を描いたスピリチュアルな映画だとは思わず、UFOの映画だと思ってこれを見るであろう。それでもかまわない。意識はしなくても、その喚起力は無意識次元に作用しているはずであるから。

つまりは、「私たち地球人類はどこへ向かっているのか?」という問いである。DVDにはスピルバーグのロングインタビューが収録されているのであるが、それを見ても、彼がキューブリックの「2001年宇宙の旅」を意識して、人類にとっての宇宙というものの意味を考えた、ディープな作品を作ろうとしたことは明らかであった。

凡百の哲学書よりも、人間の存在意味についての思索を含んだ映画というものがある。たとえば次のようなものだ。

「2001年宇宙の旅」
「未知との遭遇」「E.T.」
「コンタクト」
タルコフスキーの諸作品(「ストーカー」「サクリファイス」「ノスタルジア」「惑星ソラリス」など)

というわけで、今夜の放送を見ましょう、と言いたいところだが、日本語吹き替えで、しかも途中でCMが入るなんて映画鑑賞としては話にならない。私はNHK以外ではテレビの映画は決して見ない。レンタル料なんか高くないんだから、借りてくることをおすすめする。

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