« 魂を語ることについて・ほか | Main | 現象学の視野 »

表の体育・裏の体育

きのうは、禅についての皮相な話についちょっとブチ切れてしまったが、『表の体育・裏の体育』はけっこう参考になる。やはり、甲野氏の単著は読むに値する。たぶん、養老という人は自分自身が「からだの深層をさぐる」という体験をまったく知らず、うまく甲野の持っているものを引き出せなかったのであろう、ということかも。

この書で、肥田式強健術の肥田春充が、鍛錬の結果、禅の見性にも似た体験をしたことが肥田の原文を引いて述べられている。それから肥田は、禅僧たちの身体の使い方が悪いということがわかるようになった、とある。甲野の禅に対する厳しい批判は、こういうことを念頭に置いたものであったか、と理解した。つまり、おおかたの禅は、本当に丹田に気を集める姿勢も「なっていない」のに、口先でばかりわかったようなことをいう、というような思いが甲野にはあったのである。それは「イメージ禅」にすぎないのである。

この本には肥田自身が書いた文章が大量に引用されているが、それを読むと、いや、スゴイ人物であったということがわかる。これだけでもこの本の価値はあろう。ただ、その肥田式強健術というものが具体的にはどういうものかは、書いていない。

« 魂を語ることについて・ほか | Main | 現象学の視野 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

September 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ