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タントラについての補足

気づいた人もいると思うが、タイトルに「&」を入れた。特に意味はない。本当は副題に「霊・魂・身」などと入れたいのだが、やってみるとデザイン的に文字の配置がよろしくない。ココログの上級コースへ変更するとデザインを細かく設定できるらしいが・・

ところで前の記事についてリスポンスがあったので紹介しておきたい。
http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20040713#p1

その中で、

現代化されたタントラを実践する狙いが二極化しており、ひとつは一般向けの 性生活の質的向上 と、もうひとつは昔ながらの修行者向けの 性エネルギーの質的転換 であるという指摘。さらに菅原さんは後者に力点を置く立場から 身体の宇宙性 に目覚めるための一つの手法として伝承されてきた 東洋的な修行法 の歴史に留意を促されるのもじゅうぶん理解できます。

と書いているが、まあ、だいたいそういうことなんだが、微妙に違うような気もする。つまり私の中では「生活の質的向上」と「エネルギーの質的転換」は対立概念ではない。どちらかを選べ、ということではない。だって、そもそも性的ヨーガ自体が、性行為自体において「エネルギーを質的転換」を成功させようというものなのだから。要するに、「性的ヨーガによるエネルギーの質的転換」と「禁欲と非・性的なヨーガによるエネルギーの質的転換」の二通りの方法がある、ということ。そのどちらも「生活の質的向上」が結果として得られる。だって、もし生きているということ自体の価値を高めるためにこそ、修行もあるのであって、決して修行というのは生きることの喜びに背を向けることではない。禁欲に基づく修行も、別に苦しさを好んで求めているのではなくて、一つの方法論であり、それに成功してしまえばハッピーであることには変わりない。「スポ根」で自分を極限に追い込むのだって、結局それが楽しいからやっているわけでしょ? 「楽しい」と「ラク」は違うからね。

現実的に、宗教的修行として性的ヨーガを行うということは、過去においてインド・チベット・中国などで試みられてきたが、実際にそれをやるというのはかなりマイナーであって、チベットなどでも象徴的所作とイマジネーションによって同等の結果を得る、などということも行われたらしい。チベット式のイメージ瞑想などはすごいもので、あの複雑なマンダラをすべて想像力で再構成することを求められるのだから、想像力によって性的エクスタシーを得ることはべつにむずかしいことではなく、そこからエネルギーを転換する(具体的には上のチャクラへ引き上げる)こともできる。実際に異性の肉体がなくてもイマジネーションだけでできてしまうのである(まさか、と言う人は、人間の能力の可能性を知りませんね)。もっとも、かなり秘密のベールに包まれている部分もあるので、どこまで実際に何をやったのかはあまり明らかではない。(参照・学研刊『チベット密教の本』)

しかし、現代においてこうした宗教的な意味における性的ヨーガはもはや行として成立しないと思う。まあ、実は、「私はやってる」という人、それも女性にそういう人がいる、という噂は私の近辺でも過去に聞いたことはあるが・・真偽はさだかではない。しかし、考えてみれば、これほど「宗教的虐待」が起こりやすい行法もないわけで、実はタダのオッサンに過ぎないやつが、修行だと称して女性を引き寄せる・・なんてことも当然考えられる。麻原だって「カルマ落とし」と称して多くの女性とセックスさせたと言われている(今の日本では「詐欺によって性行為への同意を得る」ことは犯罪に問われない)。今の日本や西欧世界に、本物のタントラ・ヨーガ行者などいないと言ってもいいし(いないと思ったほうがいい、ということ。そういう力のあるグルがどこかにいる、と考えることが非常に危険であるということ)、そういうことを修行としてやってみたい、などという考えはこの瞬間に捨て去ることをおすすめしたいと思う。

だから、上の引用で、私がこうした宗教的な行としての性的ヨーガを重視する立場である、というのは私の考えではない。現代の性的ヨーガがあるとすれば、それは、パートナー間の性生活を高めるという方向でしかありえない、というのが私の考え。またこれは強調するが、そういうことが「性生活の質的向上」になるのは、そこに実際の「エネルギー転換」が起こるからこそであって、それがここでいう質的向上そのものなのだ、ということ。つまり、身体の宇宙性を実感することがすなわち質的向上そのものだ、と言いたいのである。その二つを対立させて考えているのではなく、それは一体であるということ。チアの性的ヨーガも、普通の人間がその性生活のなかで身体の宇宙性を知ることができる道として提示されている。私は、そういうふうに書いたつもりなんだが、説明がたりなかったかしら。二極化しているわけではなく、身体の宇宙性を知る=性生活の質的向上があるのみである。(たしかに誤解を招きやすい表現ではあった。あれだとチアは本来の修行法を快楽目的に薄めて提供しているみたいな印象があるかもしれないが、彼のタントラは普通の人に身体の宇宙性を感じさせようという、修行法のエッセンスを普及化したものであって、その点で私は評価している。ただ、受け取る人には、それほど深く考えていない人も多いとは思うが、しかし、やっていくうちに気づいていくこともあるはずだ)

ただチアも、小周天の本では「できれば最初のうちは禁欲した方が修行の結果が出る。しかしみんなにそれを強制することもできないから、うちでは性的ヨーガも教えてます」と書いてある。なお、性的ヨーガとはどういうものかはっきりいえば、男性の場合は、射精を抑制してそのエネルギーを上のチャクラに引き上げることを言う。女性も同時にエネルギーを引き上げ、ついには二人の間でエネルギーの大周天を成立させる、というようなことをするらしい。これはチアの本だけではなく、ほかの現代タントラセックスの本もほぼ内容的には同じである。

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