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2004.08.13

つれづれの話

「休みが長くていいですね」などといわれることもあるが、授業がないからといって毎日遊んで暮らしているわけではないのである。それなら相撲取りは一年に90日だけ働いている、ということになるのか? などと憎まれ口を叩きたくなるが・・それほどに、閑な商売だと思っている人が多い。・・まあたしかに、「授業だけやればいい」のならね、大したことはない。しかし校務というものもばかにならぬ時間になる。まあそれもいいとして、要するに、「一介の教師」で一生終わっていいよ、というならラクにやってることもできる。でも、それだけでは終わりたくない、という人は、そういう授業のない時にいかにガンバルかがキーポイントとなってくるのだ。もちろんそんなことは、誰からも頼まれてはいないのであるが・・ もちろん私は、「思いこんだら試練の道」というノリは趣味ではないし、基本的に自分がやりたいことしかやらない。だが、そういう時間がまとまってとれない。こういう人使いの荒い小さい大学ではなくて、サバティカルのとれるもっと研究環境のいいところに移らなくてはならないのかな~ と思うこともあるが、そういうあてもないし、今やれることに集中するしかないだろう。それにしても時間がほしい。もっとゆったりした気分で研究をしたいのだが、今年はそういう時間が正味半月くらいしかとれそうもない。これでは書き下ろしなんて無理。

でも困るんだよねえ、勘違いされては・・前の日まで寝ていて、突然起きあがって講義を始めるわけにはいかないんだよ! 授業がなきゃ閑だと思ってもらうと困るの! この講義ノート作成の負担が重くのしかかる・・ もちろんこれを元に次の本を作るという段取りにはするわけだが、多大の労苦と時間がかかってくるのである。

もっとも哲学の本など読んでいると、「何を好きこのんでこんなバカむずかしい本を読んでいるのか。私ってよっぽどの閑人じゃないの?」という気がしてくることも事実であったりする。こういう左脳を極限まで酷使する作業は、きわめて人間の本性に反しているのであって、はっきり言うと健康に悪いことはなはだしい。ひどい時には自殺したりする人まで出るのだから、いかに悪いものであるかわかるだろう。悪いとわかっていてもつい読んでしまうのはリッパな病気というものである。その害を中和するためにいろいろヨガや気功などするが、いってみればタバコをガンガン吸いながら呼吸法をやっているような自己矛盾した行為であると見られなくもない。

そうはいっても、身体の自然に反しつつ、極限の世界を追い求めてしまうのもまた人間性というものの一つの側面であるとも言えないであろうか? スポーツだって、適当に楽しむなら体にいいかもしれないが、極限をめざせばそれはもう体を壊すリスク覚悟でいかねばならない。

さて読んでいたのはアンリの『精神分析の系譜』である。中断していたのをひさびさに再開したが、ショーペンハウアー、ニーチェ、フロイトとたどっていくところはなかなか読みごたえある。ショーペンハウアーをまともに取り上げた物は最近にはないし、またニーチェのディオニュソス論の箇所は刺激的であった。あとで頭脳が破裂しそうになって一生懸命体操などやったのはいうまでもないが、そういうリスクを冒すだけのものはあった(最近は、それだけの内容がなさそうだとわかるとさっさと放り出すことにしている。私はもともとこういう作業には向いてはいないので、あまりつきあっていると本当に体を壊す)。これ、現在、邦訳は入手不能。英訳で読んでいたが、参考にと思って邦訳も図書館で借りてみた。ところが、アンリの邦訳はみんなそうだが、どうも訳文がしまらない。ひきしまったところのないダラダラした訳文である。これには頭に来たので、アマゾンに辛口レビューを投稿してしまった。こういう日本語のひきしまったものが書けない人は、「自分の思想」を樹立して人に感銘を与えるような仕事は一生かかってもできないだろう、そこそこに教師として働いて終わり、ということか・・ 哲学で一流になるのは、クラシックの作曲家で名をあげるよりむずかしいかもしれない。思想というものはただ「勉強」をすればできるというものではないのだ。ま、ルサンチマンと思われてもいけないのでこれくらいにするが、やはり、西洋哲学は西洋語で読む方がよろしいようだ。日本語はあまりに言語体系が違いすぎる。原文が無理ならせめて西洋語による翻訳を見ることだ。一度翻訳をやってみれば、日本語に移す過程でいかに多くの原文のニュアンスが消えてしまうか痛感することと思う。

まあ私は哲学者ではない。もっともニーチェのように、すべての哲学の前提をひっくり返すことも哲学としてアリということなら、哲学といえないこともないのだが。

話変わって、この前高岡英夫の紹介をして、それをみて本を買った人もいるかもしれないが、私としては、経絡などとの関連が今ひとつよく見えてこないなあ・・という気がしていて、私のメインフィールドはやはりヨガ、気功、太極拳など「気」の系統のワークであることには変わりない。高岡は『歩き革命』と『身体意識を鍛える』(図解編を含む)くらいで十分だと思う。いまのメインワークは楊式太極拳であるが、最近、易筋経と洗髄経という気功のDVD、VCDを買った。中国版であるが、中国語の字幕がついているのでヒアリングの心配はなしなのはいい。易筋経は古典気功として有名だが、これは少林寺の坊さんがやっているもの。少林寺ってなんかかっこいいですね(ややミーハー)。動きは、わりときついものも含まれているので、あまり病弱な人やお年寄り向きではなく、既に健康な人がさらなるトレーニングをめざす、という性質のものかもしれない。さらになんと、このDVDにはおまけで「八段錦」の演示も入っていたのだ! 八段錦にはいろいろなバリエーションがあるが、少林寺式が見られてたいへん興味深い。八段錦の基本は既に知っているので、DVDを見れば少林寺式も動くことができる。これはラッキーでしたね。やはりこれも、普通の療養向き気功にくらべるとちょっときつい要素も入っている。私にはこのくらいがちょうどいいかも。きついといってもそんなにたいしたことはない。

べつに、今になって突然こういうことをやり出しているわけではなく、「気」のワークへの関心はもう十数年くらい続いているものである。ただ具体的に何をやるということでは、そのつどの「マイブーム」というものがある、という感じであろうか。私はあきっぽいので、同じことをずっとやっていると違うものをやりたくなってくるのである。

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