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気功とヨーガ

健身気功の八段錦・六字訣のテキストが来た。見ると、八段錦は楊名時、津村喬のとそんなに違っていない。ただこのテキストは、翻訳に一部わからないところがある。六段のところの「足面」とはどんな日本語だ? 中国語の辞書を持ち出して調べてみると、これは「脚面」の直訳?であるらしく、「足の甲」の意味であるらしい。でも中国語を全然知らない人は困るよね? 中国語では「腿」は足の付け根から足首まで、「足」または「脚」が足首より指までの部分を意味する。でもこの訳者は「腿」が日本語と中国語で意味が違うことをあまり意識していないようだぞ・・そんな人が訳したりしていいのか? というソボクな疑問はベースボール・マガジン社へ言いたいところである。「小腿」なんて言葉も出てくるが、これも広辞苑にはない。これは「膝から足首までの部分」のこと。「大腿」は日本語にあっても「小腿」はないのぢゃ。こういう訳者の語学力に不安を抱かせる要素はあるが、その他はまあなんとか理解できる。もっとも私が既に八段錦を知っているからかもしれないが・・ それはともかく、八段錦はすぐれた功法である。最近分かったことだが、そのコツは「ストレッチの意識」にあるのだ。気功は何となくフンワカ動くようなイメージがあるが、しっかりとストレッチする意識をもってやるとすごく効く。つまりある意味でヨーガのようにやるのだ。実は太極拳もそういうふうにしてやるべきであるのだ。これは李正先生のVCDから学んだことである。

それから六字訣だが、これが健身気功シリーズの中で一番むずかしいだろう。まず中国語の音を正確に発声しなくてはいけないので、これは中国語を習ったことのない人にはまず無理と思う。それと動きもそれほど大きくなく、ストレッチ的な要素も少なくて、だいたいはもっと内的な感覚に集中する功法なので、かなり気の感覚がわかってきた人でないと、何をやっているんだかよくわからないと思う。矢山利彦は「六字訣をやってみたが、どうも中国語の音でははっきりと気感がつかめなかった」と『気の人間学』に書いているが、それもたぶん発声が正確でなかったせいではないだろうか。ともあれ六字訣は即効性があると言われているが、日本人は八段錦・易筋経から入った方がいい。このうちでは八段錦の方が動作がやさしい。ちなみにチアの六字訣は、中国語ではなくてその近似の音で、アメリカ人に発音しやすいものにしていた。

実は五禽戯というのはまだ私もよく知らない。矢山利彦の基本功は五禽戯から取ったものがあると思われるが。五禽戯のテキストは今月に出るので楽しみである。しかし1300円×4冊を買うのなら、あの四つの健身気功を集めたDVDがマーケットプレイスで5000円くらいで出ていたのを買えばよかったかな、と思う。あれは、このページを見た読者がすぐに買ってしまったらしくもう出ていない。

しかし気功はいま、あまりはやっていない。気のブームというのは80年代くらいだったろうか。いまはヨーガがずいぶんさかんになっているようで、オウム直後の壊滅状態はどこへやら、書店へ行くときれいな女性向きヨーガ本がたくさん平積みになっている。たしかに気功よりもヨーガの方がダイエットや体型改善には効きそうなイメージである。なんとなく、気功は中高年の病気療養向き、ヨーガは女性の美容向き、といったイメージができつつあるような気がするが・・ しかし体のこわばった中高年男性こそヨーガをすべきだと思う。なお、ここでいうのはもちろんハタ・ヨーガの話であって、霊的修行としてのヨーガのことではない。私ももう少し中性脂肪を燃焼させないと生活習慣病のおそれがあるのだ。一時は体力が落ちていたが、太極拳を再開してからかなり回復したので、ここでもう少し負荷のあるワークアウトに興味が出てきた。パワーヨーガというのも面白いのではないかと思う。

女性向きヨーガ本といったが、実は女性向きではないヨーガ本などほとんどない・・「精神世界系ヨーガ」は別として。自分の体のあり方を改善する必要がある、と気づけばそれだけでも大したものであるので、多くの男性はそのことにも気づかないのかもしれない。

もう少し精神世界的なヨーガを求めたい人は、内藤景代の『ヨガと冥想』なんかがいいかもしれない。ここでのっている瞑想法もやっていけばかなりのところまではいくような気がする。もっと本格的なクンダリニー・ヨーガというものについては、一般にはおすすめしないことにしているので、私は紹介しない。やりたい人は自分で探せばよいのだ(簡単に見つかるが)。これは、基本的には出家者向きに作られた行法であって、仕事をしながらやっていくには無理があると思う。

数人の事例を見てわかってきたことについて書いてみよう。ゴーピ・クリシュナが書いているような、「間違ってクンダリニーが上がってしまう危険」も確かにあるが、それはめったにあることではない。まず、本格的にクンダリニーが上がるということはそう簡単に起こることではない。それより前に、一種の気の次元の力が上昇して、頭につまるということはかなりある。これはクリシュナの例とは違ってもっと軽いものだが、これは頭頂の百会から気を出し入れできたり、意念で気を降ろしたりできるようになっていれば自分で対処できる。それよりももっと、修行者のつまづきとなるのは、修行を本格的に開始するとカルマが動くことである。つまり、自分ないし家族などに、ふつうの価値観でいえばあまりよくないことが次々と起こってくるということだ。仕事を辞めざるを得なくなったりすることも多い。あるいは肉体がぼろぼろになったりもする。唯識によればカルマの種子は阿頼耶識に保存されている。そのカルマを解くということが肉体に転生する目的だとされるわけだが、修行をするとそのカルマが解けてくるスピードが劇的に加速するのである。このため、ふつうなら何生かかけて解くような巨大なカルマが数年で出てきたり、というようなことがあるわけだ。神仏への信仰が必要になるのはこういう時である。これは心理学的に言えばスピリチュアル・エマージェンシーである。こうなるとふつうの社会生活が困難になってくる。昔の道場、アシュラムというのは、師匠の霊的なプロテクションということはもちろんだが、安全な場所でこの危険な時期を通過させるための避難所という意味も持っていたわけである。非常に波動に敏感になるので、清浄な場所にいないと苦しくなる。大都会の真ん中で仕事をしていくなど不可能になるのである。

昔の中国では「小隠は山に隠れ、大隠は市に隠れる」というような言葉がある。偉大な隠者は街中に住むが、それほどでもないのが山の中にこもっているのだ、ということだが、これは裏を返せば、「大隠でない限り市には住めない」ということでもある。誰でも一足飛びに大隠にはなれないのであって、その過程においては、清浄な場所に隔離されて住む必要がある、ということだ。だから、インドの僧院も、禅の道場もそういう目的で立てられている。組織に属さずに個人でやりたい、というのはよくわかるが、その場合はどのように「清浄な場所」を確保するのか、それが課題となるであろう。しばらく仕事をせず、山の中の別荘にこもっていられるほどのお金持ちでなくてはできない、ということなのか? じっさい、今の普通の日本人が本格的なヨーガ修行をするのはそのくらいの条件的な厳しさがある。・・しかしまあ、私がこのように脅かしたからといって「それじゃやめようかな」と思うようでは、最初からあまり見込みがないことは間違いなかろう。まあ、こういった避難所や避難期間(仕事をしないで霊的問題に集中できる期間)を確保するような社会環境を作らねばならない、というのがグロフの「スピリチュアル・エマージェンシー」の提言の意図でもある。この問題の認知が遅々として進んでいないのはご承知の通りだ。現状では、そういう場所は宗教団体の中にしか存在しないことが多い。そういう枠組みを超えてノウハウを共有し、社会の共有財産としていくのは、トランスパーソナルとか霊性学の重要な課題でもあるだろう。実のところ、私も本格的なヨーガ修行の厳しさを思い知らされる事例を見聞して、今のところヨーガは内藤景代さんレベルでとどめているのが現状である。

そこで思い出したが、このテーマに関心ある人はこれを読むべし。

グロフ『スピリチュアル・エマージェンシー』

『魂の危機を超えて』ってのもあるけどアマゾンでは在庫切れだなあ。他では入手できるかもしれないが。

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