タロット本
タロット本といえば・・伊泉龍一『タロット大全』・・まあ、「研究書」としては日本ではこれがいちばんのようである。ただ、著者のスピリチュアリティーに対する態度にはいまひとつ食い足りないものがあるような・・歴史的な解釈の話が多い。ネットの評を読むと、鏡リュウジの本と同様、「タロットから神秘をはぎとり、真実の歴史を云々」といった文章にお目にかかるが、そんな、正確なタロットの歴史なんて、アメリカの本にはどれも必ず書いてあるじゃん・・いままでの日本のタロット本がレベル低すぎるんだよ・・っていうか。「エジプトに発する神秘のカード」なんていうのを今まで本気で信じてたの?・・いやはや。それと、神話を否定することは神秘を否定することではないよ。
いくつかのサイトの情報を総合すると、実占入門として日本語で最良の本は、マルシア・マシーノ『タロット教科書第一巻』(魔女の家ブックス)であるということになっている。これは Marcia Masino, Easy Tarot Guide の訳なんでしょうかね。私はよく知らないが、こういう類の本は英語には十冊、二十冊とあると思う。そのくらい格差はある。まあ詳しくは、米アマゾンの、タロット本のところに出てくる「リストマニア」をいくつか見ていると、よく登場する本があるので、それが定番だなということがわかる。私は大体、ある分野の本を調べるときこの手を使うが。
あとユング系からニコルズ『ユングとタロット』が出てる。鏡さんのはこれと『タロット大全』への入門だから、そんなに読まなくってもいいかも(失礼)。これは実占の本ではない。占いに使えるのはA・T・マン『タロット』ってのが出てて、私の見た限りそれがいちばんいいと思った。しかし英米ではあまり知られてませんね・・ あと井上教子のもよさそうですが、現物は見ていない(気軽に注文できる値段ではない)。
ちなみに私の調査した限り、「定番」として登場するのは次のようなものだ。
Joan Bunning, Learning the Tarot. (同内容がサイトにあり)
Anthony Louis, Tarot Plain and Simple.
Mary K. Greer, Tarot for Your Self.
Sonia さんの推薦は Amber Jayanti, Living the Tarot だったが、これはメジャーアルカナだけである。しかしなんていうかかなりカバラが入っている。現代アメリカのタロットのオカルティズム的背景については伊泉さんの本とかサイトに書いてある。Amber の Tarot for Dummies もなかなかである。(調べるのがめんどうなのでリンクはつけないが、右のサーチボックスで探していただきたい。米アマゾンではいろいろレビューが読める)
友人の占星術師が、「占星術本は日本ではマーケットとして成立しない」と嘆いていたが、タロットもそうで、英語本との情報格差はひどい。言いかえれば、英語が読めればかなりのアドバンテージがあるということでもある。
つまり、日本では、アメリカのように、スピリチュアリティーに関心のある女性が(男性でもいいが)、いわば「霊的な戯れ」としてタロットなどに興味を持つ、というマーケットが十分に成熟していないのかもしれない。そういう人はいまのところ鏡リュウジ程度のもので(失礼)満足せざるを得ないということでは? いや、べつに鏡さんを目の敵にしているわけではなくて、本当は、そのクラス、またそれ以上が二十人、三十人といるような状況を想像してもらいたい、ということですね。鏡さんの場合は、スピリチュアリティーはちょっとした「味付け」程度になっている。一方では、いきなりコアでマニアックな世界に入っている人だったり、とかくこの世界はちょっと人材不足がひどい。
アメリカのタロットは、ヨーロッパのオカルティズムの移入と共に始まったが、それが最近になってニューエージムーブメントに合流するという経過をたどっている。そういうわけで、アメリカのタロットは最初から、自己成長、霊的発達という関心からスタートしている。そういう伝統があるという違いである。女神系、ネイティブアメリカン系のタロットが増えているのも、そういうアメリカの精神状況を反映している。
タロットは大衆文化であるが、映画などと同様、その時の、いわば「魂の底で動いているもの」を明確に映し出すという点で興味深いのである。
占いに関してもっともつっこんでいるのはマリー=ルイーズ・フォン・フランツの『占いの心理学』 On Divination だろう。本来ユングが書くべきだったことを見事に書いている。鏡なんかもこの路線でいってるわけだが、ここから「サイキック」への道はあと一歩。事実上、ユング心理学はサイキックを肯定していることになる・・というのが論理的必然になると思うが、そこをなんというか、あいまいにぼかしている(そして臨床実践ではタロットや易を使っている)というのがユングの世界だ。はっきり「サイキック」といえばいいものを、「元型」などというのは一種の目くらましである。ユングは本当はオカルトだが、それを頑として認めようとしない。オカルトで何が悪いと居直ればいいのだが。それは裏を返せば、近代の科学至上主義を、学問論的に反駁する論理をユング(とユング心理学)が持ちえなかったということでもある。その結果、「逃げ」の姿勢になっているところがあるのだ。
しかしまあ、世の「占い師」たちが、本当にサイキックなのか? といえば、それはまあ、人によりいろいろというしかないですね・・ 私の狭い見聞では、ある程度はある、という人もいることはたしか。