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21世紀のサイキック

最近また、研究費で落としにくいタイトルの本ばかり読み始めて、本代がかさみつつある。このところ気に入ったのは、英語で出ている psychic development の本である。

サイキック能力を開発するというと、「いかがわしい」という感覚がする人もいるだろう。私もかつてはそうだった。少し前の「気」ブームの時にたくさん出た高○○一郎の本とか、あまりの波動の低さに嫌悪感を覚えたものである。超人願望のエゴトリップであって、典型的なカルト教団のマーケットである。そしてまた、「霊能者」というと、いかにもパラトラパ氏の『呪いの研究』で描かれているようなオドロオドロしたサイキック・ウォーの世界を思い出しもする。

しかし、どうもサイキックというもののイメージは急速に変わりつつあるらしい。英米で出ている本を読んでわかってきたのは、この新しいサイキックというのは「自分の魂とつながる」ということであるのだ。もともと psychic とは psyche つまり「魂」という言葉からできているわけだ。魂とつながるというのは、ハイヤーセルフとつながるといってもいい。自分の生の目的がわかり、それを実現するための最善の道が直観的に理解できる、ということだ。それがサイキックということのもっとも重要な要素なのである。サイキックな道とは「愛の道」を歩むということなのだ。

私も前は、スピリチュアリティーとは「悟りをめざして修行する」ことだと理解していたこともあるが(それを実践していたわけではないが)、いま考えると、現代のスピリチュアリティーとはもっと裾野の広く幅のあるものになっていると思う。ともすれば、ひたすらに「悟り」をめざすことはこの現実世界への軽蔑と拒否につながりやすい。それははっきりいえばもう古い霊性の形である。もちろん遠い未来には、物質的地球が不要になる時代もあるであろうが、地球の現時点においては、まず「それぞれが自分の魂に目覚め、自分の道を確信をもって歩けるようになる」ということが目標になるべきだろう、と考え始めている。それもできていなくて、究極の悟りなどというのは二千年早いというべきだろう。「魂の目覚め」があって、その上に究極的な神化のステージがある。まずは、この生における魂の目的もわからなくては話にもならないではないか。そしてたぶん、この生において究極の悟りを理解するという段階の修行をすることになっている人はごく少数であろうし、少なくともそういう人はこんなブログなんて読んでいるはずがないと思う(笑) 自分の魂の道を歩くことが、大部分の人にとっての生の目的なのだろうと思う。

私もアセンダントが牡羊座にあるせいであろうか、生きようという意志が強いと思う(アセンダントのサビアンシンボルは「天球の調和」である)。シューマンの音楽に共感するのは、それと同質のものが感じられるからだ。逆に、この地球は美しい場所ではないから早く逃れたい、という感性は、そういう感じ方もあるだろうなと理解はできるが、本当に共感はできない。それは私の魂の目的が、この生を意志的に生きることに価値を見い出しているからであろう。逃げようとしてもまたいつか連れもどされるだけの話である。

この物質的現実世界における感覚に鋭敏になること、つまりしっかりと五感を使って生きることが、サイキック・センスの基礎になるとすべての著者が一致して言っていたのが印象深い。肉体にしっかりと収まっていることが、ハイヤーセルフと直結するという意味でのサイキック・センス(もちろんそれは超感覚的な知覚も付随するものだが)の基盤になるのだ。そういうところはミンデルの『24時間の明晰夢』なんかと共通している。サイキックであることに第一に必要なのは、「いま・ここ」に存在できている、ということだというのだ。

江原氏なんかはそういう欧米型の新しいタイプのサイキックであって、伝統的な「霊能者」とは違っている。ややこしいのは、霊能というのは、べつにハイヤーセルフとつながっていなくても、それとは違うへんなところにつながっていたり、あるいは単にエネルギーシステムの先天的異常によっていろいろ見えてしまう、ということによっても起こるのである。それはスピリチュアルな発達とは何の関係もないものである。伝統的にはそうした玉石混淆の状態であったわけだが、これからは人々に「魂」を思い起こさせる役割を持ったサイキックたちが活躍するだろう。またそういうものが受け入れられる状況もしだいにできつつあるようである。英米の状況というのは、江原氏みたいなのが数十人くらい活躍して、そういった本も数十倍出ているという感じだろうか(その中には、いろいろなバリエーションがある)

地球人のこれからの進化とはどういうものかを考えてみると、もちろん究極的には神化、つまり神との一致というステージが遠い未来(それはある意味では既に実現されているが)にはあるのだろう。だがもっと近未来的にいえば、じょじょに多くの人が自分の「魂」にめざめていくという過程をとることになると思う。サイキック・センスとは、魂の世界とはリアルであるという感覚のことである。そういう感覚を持つ人が多数派になれば、地球は大きく変わることになる。それにはあと数百年か千年くらいは必要かもしれないが、そのころにもう一度地球を訪れてみたいものである。

私たちの魂のために、神が準備している栄光とはいかばかりのものであろうか・・それを垣間見た時から、同じ自分ではなくなるのである。
私は、この上なく「リアル」なことを、話しているのである。

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Comments

ちなみに、日本語で読めるサイキックの著作のうちで、波動がいいと思ったのはレバナ・シェル・ブドラさんのものだった。『ヒーリング・プラクティス』『ヒーリング・プラクティス2』である。2の方はエクササイズがいろいろ出ていて、これはなかなかいいと思った。英語では Sonia Choquette : The Psychic Pathway がよかったが、ほかにもいいのはいろいろありそう。

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