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コンサートの話

今日はひさびさの演奏会。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲20番ニ短調にブラームスのドイツ・レクイエムという注目のカードである。指揮大友、東京交響楽団。ところで明日は休日なのでいま私はヒマである。したがってこのコンサートのことを書いてしばし時間をつぶしたい。

モーツァルト ピアノ協奏曲20番ニ短調 K466 今日の演奏:★★★
・・と聞くと、知る人は背筋にちょっと緊張が走る。もっとも演奏のむずかしい曲の一つであろうと思う。いや、技術的にはかなりかんたんである。この曲がイデア界に持っているもののどれだけを表現することができるか、それがむずかしいというのだ。ということで登場したピアニストはなんと現役高校生である。しかも自作のカデンツァを弾くという。なかなか評判の人であるらしい。

モーツァルトのピアノ協奏曲のポイントは、「宇宙的均衡」の感覚がそこにそなわっているかどうかである。私は音楽評論のプロではないのでそれ以上に言語化はできない。そこでその演奏は・・わるくはない。しかし終了後ものすごい喝采だったが、それほどのものかね? と思った。まあ星三つくらいでしょう。ところで気になったのは、どうもこの人、姿勢が悪い。常に頭を下げ気味にしていて背筋がまっすぐになっていない。そのせいかどうもエネルギーの抜けが悪いのである。エネルギーの通りが悪いとモーツァルトの音の透明感がうまく出せないのではなかろうか。オーケストラも、この指揮者にはこの曲が向いていないのか、どうも今ひとつ緊張感に欠けるような気がした。このニ短調K466の本質はこの演奏では開示されてないように感じる。この曲の演奏は、どこかに「ドン・ジョバンニ」のような戦慄感を漂わせつつ、軽さと均衡の感覚を同時にもっていなくてはいけないように思う。

こうした超有名曲の場合、その演奏は何となくスピリチュアルなセッションを思わせる。開始するときにはやや緊張しながら、「さあ今回はどこまで深く行けるか?」という感覚に陥る。これはライブならではの緊張感だが、それは演奏者だけではなく、聴くものもその「聴く力」を試されるわけである。名曲がイデア界に持っているものを、物質界の演奏が100%開示することは決してないのだが、毎回毎回が、どこまでそこに迫れるかの勝負なのだ、という感じである。そこでは日常の世界を去り、より深い世界にどこまで入っていけるかということだ。曲のスコアそのものは常に同一なのだから、そうしたスピリチュアルなセッションには安定した構造が与えられていることになる。つまり、この構造を通じて、人類は一つの「鍵」を与えられている。「さあ、ここに入口がありますよ、入ってみなさい、どこまで深く、高く入れるか入ってごらんなさい」という感じ。私がモーツァルトの曲についてもっているイメージはそういうものである(それはみな超名曲には共通したことだが)。

それにしても、演奏会場へ行けばすぐにわかるが、19世紀以降のオーケストラ曲にくらべ、モーツァルトの演奏は「えっ、こんなに少ないの?」と思うほどの小編成で、たくさんの空きイスがまわりにあるのが常である。本当はそれに適した規模のホールで聴くべきものではないかと思う。実際に大ホールではちょっと音量不足で、それが迫力不足につながるという純然たる外的要因もあるかもしれない。したがって、モーツァルトを大ホールでやるという時には席は前の方をとるというのがすすめられる。しかし不幸にも発売初日にしてすでに三階席などしか空いていなかったのである(定期会員で大部分が占められるため)。

さてようやく二曲目、ドイツ・レクイエムである。
これは前にも書いたがブラームスの最大傑作だと私は思っている。ブラームスといってもあのユダヤの長老みたいなヒゲおじさんを想像してはいけない。この当時のかれは白皙の美青年であり、澄んだ目の中に深い憂愁をたたえているというイメージを思い浮かべていただきたい。若年にして既にかれは、「このはかない生にどのような意味があるのだろうか?」という想いにとらえられ、そのまなざしははるかに「永遠の愛」の世界への憧れに満たされているのだ(注・これは単なる私の想像である)。この当時彼はまだ無名であり、このドイツ・レクイエムが出世作となったのである。つまりこれを作曲した当時、彼はまだ海とものとも山のものともつかなかったのであって、「はたして自分には才能があるのだろうか?」という自問にとらわれながら作曲したのかもしれない。そういうわけで、この作品は、「自分がこの生において生きるというのはどういうことかのか」という魂的な意志が表現されたものになったのだ。逆に言えば「生きる」ということが深い神秘と感じられる人にとって、この作品は深い共感を覚えざるを得ないものになるだろう。ブラームスはなんといっても「永遠の愛」に憧れるあまり生涯独身を通したというのだから半端ではない。

この曲をCDで再生するのはなかなか困難である。オーケストラ+合唱の曲をきちんと再生するにはある程度のオーディオ装置と、相当な大音量が出せる環境が必要となる。強弱の幅がそれほど大きいからで、合唱つきのは、ハイエンドオーディオなどに金を使うより生演奏を聴きに行くほうがいい。

そんなわけだが、うれしいことにコントラバス7台が並んでいる。やはりこのくらいでなくては、ブラームスの音の「厚み」を出すことはできない。バイオリンは両翼配置である。しかも今日はパイプオルガンもつく。

さて、そういうわけで、

第一曲: ★★★  どうも合唱の粒がそろってなくて、まだ調子が出ていない感じがした。実はこの合唱団はアマチュアの市民合唱団をトレーニングしたものだ(第九なんかでよくあるパターンである)。なので、まあこんなものかな、と思ったが・・。しかしオーケストラは十分音の厚みがあってなかなか好調だった。憧れに満ちた旋律が美しい。
第二曲: ★★★ かなりダイナミックな楽章だが、まだ少し乗り切れていない。
第三曲: ★★★★ この曲の後半から強烈な、最初のクライマックスになるが、ここで調子が出てきた。バリトンの独唱はわるくなかったが、まあまあという感じ。
第四曲: ★★★★★ 少し速めのテンポだったが、それにしてもなんと美しい音楽だろう・・
第五曲: ★★★★ 演奏全体はよいが、ソプラノ独唱はやや表現が表面的であるようだ。オーケストラと合唱の熱気に比してやや負けている。
第六曲: ★★★★★ 大クライマックス! オルガンも鳴り響いて圧倒的な迫力で終わった。これはライブでしか味わえないもの。ここで全部終わったと勘違いして拍手しかける人がいた(たしかに前もって知っていなければそのようにも感じる)。
第七曲: ★★★★★ クライマックスの後は第一曲にも似た静謐な音楽で幕を閉じる。いつか終わってしまうのが惜しいような感じ・・

というわけで全体としては4.5くらいかも。まあ、世の中にはもっといい演奏もあるであろうが、この曲の素晴らしさを感じるには十分なほどの演奏だった、と言えるであろう。
私は音楽評論家ではないので、どこがいいのか言語化して述べることができない。ともあれ、一定水準以上の演奏でこの曲を聴けば必ず感動すると思う。どの楽章も美しい旋律に満ち、ダイナミックなクライマックスもあるので、演奏効果のあがる曲だと思うし、もっと演奏されてもいいのでは? と思う。

合唱団もなかなか頑張ったが、あれだけできるのなら最初からああいう調子でやってもらうとなおよかったかも・・オーケストラは全体によかったです。私はCDではガーディナーとヘレヴェッヘのを愛聴していて、たしかに合唱のうまさは比較にならないほどだが、でも実演というのはまた別物である。

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