« コンサートの話 | Main | エクササイズのある思想 »

魂と「プラクティカル」

明日の準備があるので今日は半お仕事モードである。

ところで今朝の共同通信配信の記事に、仏教の修行ブームとかあって、阿字観瞑想をやっている写真などが掲載されていた。たしかに、この前も本屋で、若い女性が坐禅をしている表紙のものがあって、びっくりしたものである。
つまり「気持ちよくなる」ということの中に、ダイエットだけではなく心理的、スピリチュアルな要素も含まれるようになってきている、ということではないのか。修験道みたいな苦行にしても、あれは苦しいけれどもしだいにその中で「ハイ」になっていくわけで、気持ちいいからやることには変わりない。人間は「ハイ」になるためには多少の苦難はいとわないものである。それは芸術の厳しい習練でも同じことだ。

しかし仏教ブームというのも、もっと大きな絵の一部にすぎないだろうと思う。高まっているのは、「プラクティカルな哲学」への欲求だろう。つまり、実際に人生を変えることのできる世界観的枠組と、またその具体的な技法である。その中に、自分の存在を確かめ、自分の人生の意味を理解していくという「高次の気持ちよさ」の追求が含まれている。そうした大きな流れの中で、伝統的なアカデミック哲学に期待を寄せるのはごく少数派であって、一部は少しニューエイジ的な方向へ行き、また一部は仏教などの伝統的なものへ向かう・・という感じなのではないだろうか。

ここで重要なのは「プラクティカルであること」なのであろう。具体的に何をどうすれば人生に変化をもたらすことができて、「高次の気持ちよさ」の状態に入ることができるか、という技法が示されることである。

これはきわめてまっとうなことである。というのは、本来、思想哲学というものはそういうものであるべきであって、伝統的には世界観と実践方法はセットとして存在していたのである。実践と切り離してただ論理だけで勝負する、という西洋的な思想スタイルは終息を迎えている。デリダも死んだことだし、もうゲンダイシソーなどというものは気にせずに生きていってもいいころだろう(ま、いままでもたいして気にしていたわけではないが)。私もだいたい、西洋哲学というものでどこまでが明らかにされたのかというのは見極められたので(それが今年の成果といえば成果だが)、それ以上にかかずらう必要もないと感じる。私もまたプラクティカルなことのほうに興味がある。これからの「哲学者」というものは、自分のエネルギー体の状態を把握していて、停滞があればそれを修復したり、また気分の状態をイメージ技法で変えたりするようなことができるようでなくてはいけない。ただ言葉の知識だけたくさんあって、その他の点はまったくふつうの人と同じ、というのではもう通用しないと思う。そういうものはもう誰も関心を持たないだろう。アカデミック哲学へのブランド信仰などはさっさと解体してしまった方がいいし、大学の哲学科というものは「人生の意味」を探求しているわけではなく、そういう目的で行ってはいけないということが理解されれば、純真な若者の人生を狂わせることもなくなるだろう。世の中というものは、必ずしも偉大なものが権力をもっているとは限らないのである。

ま、とにかく、哲学というのは危ないと思った。ひじょうに体に悪いし、少し入っていくとどんどん本来の目的からそれていくところもあるので、よっぽど気をつけてつきあわないといけないと実感したのである。それはなぜかといえば、結局、「自分に見えているもの」を言葉だけで伝えようとしていることにも原因があって、むしろ、他の人もこうすれば同じものが見えてくるようになる、という「技法」を示してやればそれは解決するのである。そういう発想が哲学にはまったくない。そこが駄目だ。そこで、本当は見えていないくせに言葉だけでわかったつもりになっている学者がけっこうたくさん出てきて、ますますわけがわからなくなる。これが学界というものの実態である。だから哲学をもし読むなら一流だけを読むこと。決して二流三流を読んではいけないこと、ということになる。しかし基本的に学問的な哲学に過度な期待を持ってはいけないと思う。それなら唯識でも研究したほうがいいですよ。スピリチュアルな探求に思想的なバックグラウンドがほしい、というなら、現象学と唯識のよい本を何冊か読めば十分で、その先はアカデミックを超える「神秘学」の領域になると思う(プロティノスやインド哲学などはむしろ神秘学だと私は思う)。私の仕事がフォーカスしているのは、神秘学そのものではなく、その入口までへの導入、という感じのものかもしれない。

話がそれた。つまり、「魂」というテーマが浮上してきている。もちろんそれは「解脱」をめざすということではなく(めざしてもいっこうにかまわないが)、「魂レベルで生きる」という生き方への欲求である、と理解できるのだ。そして「実際にどうすればそうできるのか」という知識を人々は求めている。これは間違いないことだと思う。

« コンサートの話 | Main | エクササイズのある思想 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

霊性関連」カテゴリの記事

Comments

Post a comment

(Not displayed with comment.)

« コンサートの話 | Main | エクササイズのある思想 »

April 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ