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「私」が「私」であること

ひさびさに、右の「最近読んだ本」のリストをアップデートした。

しかし・・そのリストにも挙げたが、永井均の『マンガは哲学する』、いや~面白い。面白すぎ。つづいて『転校生とブラック・ジャック』を読んでいるが、なかなかコアな議論が展開されている。彼は自分で言っているが、たしかに『マンガは哲学する』以降の本は抜群にいい。一歩、抜けたような感じがする。正直言って、それ以前の本は、まだもう一つだったような気がするのだが。

このブログの読者は、「スピリチュアリティー」に関心のある人が多いだろう。それが、なんで永井均なんぞがいいの? と不思議に思うかもしれない。私が思うのは、ここまで徹底的に〈私〉について思考している日本人はこれまでほとんどなかったということだ。よく東洋思想や精神世界なるものでは、「我」(が)を超えるということが言われていていて、スピリチュアルなこととは「我を超える」ことだとか、「無」になることだといわれている。

だが、そういう人は本当に「無」になったというのか? どうも安易なる思い込みがある。しかし本当の霊的な深みというのは、〈私〉の根源を知ることにあると思う。
私の『魂のロゴス』を注意深く読んでほしい。私はそこで、スピリチュアルな自覚を、「自我を超える」という方向で書いてはいない。むしろ、「私が私であるということは、宇宙的な事態である」ということを強調している。これはシュタイナーの自我論も視野に入れているわけだが。既にお読みのみなさんは、この「私が私である」という論点を理解してくれたであろうか。「私が私である」ことが、すなわち、私が宇宙そのものであることの根拠である、と言おうとしているのである。「私が私である」ことを深く考えもしないで、悟りがどうしたこうしたという話をするのはやめてほしい。そんなのはケロン(戯論)である。
私がウィルバーの理論構成のやり方が気に入らないのも、東洋思想寄りの「自我超越」の論理構成で、「私はなぜ私であるのか」ということがきちんと位置づけられていないからだ。それこそが西洋思想のエッセンスであるのに、それをきちんと継承しようとしないからだ。というのは、I AM とは神そのものである。神の名なのである。「私」であるとは、I AMであるということである。シュタイナーが、究極レベルに「Ich」(ドイツ語の「私」)をおいているのはそういうことなんだが・・これも『魂のロゴス』には書いてあるが、みなさんわかってますか? つまり「宇宙にはただ私しかいない」っていうのは間違いないと思う。ではなぜ、「私」をもつ存在がいくつもあるように見えるのか? それが、存在、宇宙ということの最大の神秘であるっていうことなのです。このことだけははっきりとわかってもらわないと困るのですね(困るのは私だけですが・・でもその「私」とはどの「私」なのだろうか)。脳がどうたらこうたら、茂木健一郎みたいなものは一冊も読む必要はありません。ただ、「私」がここにいま存在していることを掘り下げることだけが、本当のその「謎」へ導くのだ。
永井均は人知によっては解決できない問題に果敢に挑んでいる、少しダサイけれどもまあ見上げたオヤジであるといえる。とはいっても、何一つ解決しているわけではないが、そんなことはいいのです。ただこの問題に気づかせてくれるだけで十分だ。

しかし、彼の本を読んでいると、「私」が死ぬっていうことが何度か出てくるのだが、「私」って本当に死ぬのか? そもそも「私」が必ず死ぬことをかつて証明した人がいるのか? 私が経験するのは、つねに他者の死、より正確にいえば、ある時点を境に、ある人の肉体が観察不可能になり、「通常の手段によるコミュニケーションが不可能になったという事態」が観察されるのみではないか。そのことが「私」が消滅するという根拠になるのだろうか。私は、「私」がいつか消滅することがある考えるべき理由を思いつかない。「この世界には私しかいない」というのは、ある宇宙的なプロセスへの遠い直観である、と思う。つねに、永劫の昔より永劫の未来(つまり同じことだが)まで、宇宙は私であり、私以外のものが存在したことはないのだ。
もちろん永井はそんなことは言っていない。しかし、世界には私以外しかいないということはなかなかよく書けているということである。

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霊性思想」カテゴリの記事

Comments

はじめまして。

だからこそ、あの聖句は「Iam that Iam.」
なのですね。

そうです! 根本的なことに気づきましたね。

東洋的な「無」の思想も、まちがってはいません。
ただ、それはおそらくあまりに高度すぎ、たいていは、きわめて低いレベルで「無」がわかったつもりになってしまいます。坊さんの書いた通俗書なんかみなそれです。

「〈私〉が存在するということ」
この謎を最後まで考え抜き、そして体験し抜いたところに見えてくる「無」でなければ、私は信用できません。

SH先生にそう仰っていただけると照れます。(笑)

最終的な無は、全宇宙即ち一者ゆえに無、といったところなの
でしょうか。言葉にするとどうも分かったような偉そうな感じに
なってしまいますけども・・・。
僕にあるのは、幾つもの生死を越えても、私は私、というものは
消えないだろう、とさしたる根拠もなくある確信だけです。

先生のコメントからすると、もしプロティノスがあの体験の上で
「無」を語ったら「本物」になりそうですね。ウィルバーでは先生が物足りなくなるのも分かる気がします。

私が私であるのは、いまこうしてある具体的な姿であらわれている「生」よりも、なお根源的である・・そういう気がしませんか?

私が、あるソースから聞いた印象では、「宇宙即私」という次元をさらに超えた超絶したところに「無」があるのだそうです(正確には「ある」という表現はできませんが)。
宇宙そのものと合一した段階をさらに超越しているんですから、もう全然想像もつきません(ここでいっている宇宙とは、私たち現代人がイメージしている宇宙ではなく、その認識領界を超えた、あらゆる可能世界を包含した宇宙のことです)。

宇宙にもなっていない人が、無を語るなんてね・・ということでしょうか。わからないものについては語らないことがいちばんですね。
(なお、実名の部分を変えさせていただきました。いちおうお約束ですので、ご了承ください)

先生、さらりと僕の想像力の限界を超えないでください。(汗)

シュタイナー的な自己外在化を普遍的な感覚として全てに作用させていくと、最後は全てを内包している「私」という感覚に落ち着きます。
僕はその辺りから、

>>いまこうしてある具体的な姿であらわれている「生」よりも、な>>お根源的である

という予感に至れます。(あくまで予感、ですが。)

しかし、宇宙との合一(帰還?回帰?)の先にある「宇宙」として無、これはもう、ダメです・・・。僕にはイメージできません。
なんて深さだ、と嘆息するだけですね・・・。
そこがゴールだろう、と思っていたのにさらに奥が。
自分では想像もできない世界がまだまだあるって、なんか嬉しいですね♪


追伸
ソース・実名の秘匿は気にしないでください。
提示された事柄を、信用ならんとするのか、あるいはそれもありうると受け入れていくのか。それは僕の資質の問題だと思います。

SH先生、HKさんはじめまして。

私は、〈私〉についての感覚が弱く、
〈私〉しか存在しない〈私〉を確信(を予感)するまでにはいたっておりません。
ただし、
「〈私〉は愛である」というときには、
「世界には、〈私〉以外存在しない」という
感覚が、理解しやすい気がしました。
それは、
「世界には、愛以外存在しない」ことには、
確信に近いものがあるからです。
(先生のおっしゃる)広義の「宇宙」には、
どこまでいっても愛がひろがって(満たされて)いて、
(華厳世界が展開していて)
愛以外によってたち、存在する(ように感じられる)ものは、
ただ縁起として生成、消滅する、「消えてゆくもの」
であると理解しています。

無について語ることは、おそれおおいのですが、
この愛はまた、「空」性へと開けていくことにも
違和感がありません。

開けていくという言葉は、どちらかといえば分開の「開」とは逆のベクトルで使っていますので、
通じていく、もしくは起源を持つ、と言い換えたほうが誤解がないかもしれません。

崇高な体験からほど遠いじんせいを送っている俗人のひとりとしては、「わたしがわたしである」以外の在りかたとしては、夢を見ずにドップリ眠っている状態くらいしか思いつきません。これが敢えて言うならば「無」に比せられる状態なのかなあと思ったり。あたらずとも遠からずかなと。

今回からイニシャルで書き込みしてみました。

こんばんは

なるほど。「アンリの思想」への白蓮さんのコメントを合わせて読ませていただきますと、「〈私〉が〈私〉であることの根底は、宇宙的予感としてある」と言うことができませんでしょうか? 

もちろん、この〈私〉は、自分のまわりの世界を対象としてみていて、そこから分離されたものとして意識している私とは違うことも明らかですから・・

その予感こそ『魂のロゴス』のテーマであったことは、もうおわかりでしょう。こうした〈私〉の予感ということが、シュタイナーの「意識魂」という考えとか、ロマン派の芸術(シューマンとかヘッセとか)に出現したことだと思っているわけです。
予感は、覚醒への道の第一歩ですからね。そこに人類の遠い未来が示されていると思います。

こういう問題を思考(予感?)するときには、サンダルウッド(白檀)を焚きしめるのがよろしいような気がします。

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