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よもやま話

前回に言った「論破への欲望」ということだが、実は今年、私のところへ某出版社の編集者がやってきて、そういう話をもちこもうとしたことがあった。しかしどうも、霊性の存在を「学問の権威」でもってわからせてやろうという「論破への欲望」が感じられたので、話は聞いたが、これはどうかな? と思っていたら、案の定この話は流れた。やはり、こういう「不純」な動機に発しているものは、「上」の許可が下りないのだろうと思う。本当に光が入ってくるような書物というものは、実際のところ「上」との共同作業であるので、私の自我意識だけでプロジェクトを動かせるようなものではない。はっきり言っておくが、霊性の存在を「証明」しているような学問なんてないし、そういうものが世間一般で認められているわけでは全くない。あくまで「わかる人にはわかる」というマイナーなものでしかありえないのである。もちろん、百年くらいたてば事情は変わるかもしれないが、つまりは、実際に魂レベルの感覚を感じ始めた人でないとそういう話が理解できることはないのだから、そういう人の割合がある一定程度を越えなければ、主流とはなり得ないであろう。ともかく、「これが真理だ、どうだ参ったか」というのはすべて駄目。そういう発想こそが過去や現在において宗教戦争を巻き起こしている原因である。本当のスピリチュアリティーとはもっと「ひそやかな」ものである。人類の現状においてはマイノリティーとしてあるのが当然である。まわりにスピリチュアルな話ができる人がいないと悩んでいる人もいるかもしれないが、ある程度の成熟に達すればかならずそういう環境は現れる。話し相手がいないのは、話し相手がいないところで成長していくべき時期だからそうなのであって、まったくあせる必要はないし、周囲の人間に「わからせてやろう」などと決して思ってはいけないと思う。そういう考えそのものがまだ未熟だから、そういう無理解に囲まれているのである。周りの人間の承認を必要とするのは、内面が弱いからである。まずはそういう弱さを自覚するところから始めるほかない。これは偉そうなことを言っているわけではなくて、私の経験から出てきたことばである。ここまで書けば、「これが真理だ、参ったか」という「戦士」を私に期待するのがいかに間違っているか理解できると思う。トゥルンパとかチベットで言われている「スピリチュアルな戦士(ウォリアー)」というのはそれとはまったく別のことを言っているものだ。

さて、この間は「ハウルの動く城」を見てきた。おもしろかったので、原作の『魔法使いハウルと火の悪魔』も読み始めてしまった。映画と原作はかなり違う。特に、映画でハウルが戦争についての憎しみを抱いているようなところはまったく「宮崎色」による脚色である。映画では、ハウルは城を抜け出しては必死に戦いをしているのだが、原作では、なんと女の子を追いかけているのである(笑)。でも全体としては映画の方が完成度は高いかもしれないなあ、と思う。

それから、タロットではVision Quest Tarot というのを入手。これは、ネイティブアメリカン文化の仕立てになっているが、絵がなかなかいい。「ヴィジョンクエストというのは特定の部族だけの習慣だろ? そういう普遍的なネイティブアメリカンの霊性なるものは、白人の投影した幻想じゃないか」という批判もあろうかと思うが、それは「ごもっとも」と冷たく答えるだけのことで、そんなことは百も承知の上で、なおかつこのネイティブアメリカンへの親しみというのはたしかにスピリチュアルな意味を持っていると思う。こういうものがネイティブアメリカンじゃない人のためのものであることは疑いないが、やはりそこにはある魂レベルの憧れが作用していることは疑いない。こういうものに興味がある人には、過去にこういう文化で生きたことがある人が多数あることは容易に想像がつく。深い部分を刺激するものがあるからこそこれだけ受け入れられてもいるはずだ。ともあれ、このタロットについている説明書もなかなかよく、目新しいスプレッドもあるし、ネガティブなカードについて、それを成長につなげていくような書き方も巧みである。こうしたウェイト系ではない「変わりタロット」もおもしろいので、今度は有名な「オショータロット」などもいいかもしれない。

タロットが初めての人は解説書も多いウェイト系カード、特に Universal Waite か Radiant Rider-Waiteをおすすめしたいのだが・・ タロットの本はというと、正直言って日本語でいいのが出ているのかどうかよく知らない。はじめから日本語の本には期待していないところがあるので、英語の本は何冊も持っているが。日本語の本は変な人が書いたものか、もしくはバカ高いのしか出てないような気が・・ 英語でたくさん出ているような「自己成長志向タロット本」の翻訳としては、魔女の家から出ている『タロット教科書』がある。ただ私はこの本自体は見ていないから、なんともいえぬ。A.T.マンの『タロット――未来を告げる聖なるカード』はわるくないが、入手困難か。このくらいの本は、英語にはたくさんあるけれども。

それから断っておくが、また「あいつはタロットなんかを信じている」などと言いふらされては困る(こういう断り書きをいちいち書かねばならないのが最近の状況である、と察してもらいたいのだが・・)。べつに「信じている」というわけではない。これは私にとっては、無意識(というか、魂レベル)と接触するための「ゲーム」である。サイキックなことはゲーム感覚で楽しむもので、あまり「マジ」になりすぎない、というのが私のスタンスなのである。絶対本当だとか、絶対ウソだとか、そういう「絶対」を持ち出してムキに議論するのは、どうもダサイ気がする。すべては自分の生を充実することに役立てばそれでよしなのだ。私は、「正しいかどうか」ということがあまり気にならない。美的であるか、ということに関心がいってしまうのだ。

そいから・・このまえ「異常性を感じさせる内容がたてつづけに送信された」といったが、考えてみるとそれはちょうどスマトラ沖地震の大津波の日・・ネガティブな波動が地球全体をかけめぐっているから、そういうのをキャッチしやすい体質の人は影響を受けたのかもしれないなあ、と思った。少しでも「光の波動」を発するように各人が努力するのがいいと思う。ただ心配や不安でおろおろするだけならそれは凡人。不安があってもいいから、あったままで光の中に飛び込めるかどうか、それが運命の分かれ目なのだ。

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