いろいろ思案中
ところで・・「霊性学入門」っていう、本の宣伝なんかを載せたHPがあるのだが、たぶんもうすぐ削除されそう。というのはプロバイダを乗りかえたせいだが、田舎の会社でのんびりしているのか、1月末で契約が切れてもまだ削除されてなくて、メールもなぜか使える。しかしそのうちに消えてなくなると思う。なんだかんだで忙しくて、移転通知をアップできないでいるうちにプロバイダが変わってしまい、HPのftpにアクセスできなくなってしまったのだった。同じものをそのまま載せ替えるか、それともこれを機に全面見直しをするのか、そのこと自体もいろいろあって考える余裕がなかったわけで。どうなるか・・
ところで「リスニングルーム」の機器はとりあえず研究室にあったものを持ってきたのだが(すべて私物なので設備流用ではありません)、そちらが寂しくなったので遠からずまた何か買わねばならないと思う。また、スピーカーの選定に頭を悩ませる。ボーズのウェストボロウ125なんかはどんなものでしょうか。アンプはまたマランツかなと思うが、ここで一ランク上のものにするか・・などと、これはまあ、考えること自体が趣味みたいなものだが。
改めて聴いてみたのが、ベートーヴェンの「田園」。いや、けっこうな値段のCDプレーヤーだけあって、解像度が高いです。つまり、オーケストラのいろいろな楽器の音が聞き分けられるということ。ベートーヴェンの交響曲では、「第九」はやや観念的な部分もあるように思っていて、第五・第六が頂点ではなかろうか、とも思う(まあこんな思いはすぐにころころ変わるのだが)。第六の田園とはやはり「自然界に働いている大調和の世界」を映した音楽だと思われる。いろいろなサウンドが重なり合って大調和の美を作っているということで、まさに「交響曲」という名にもっともふさわしい。私は、自然の中のいろいろな生物種や自然物が、それぞれの世界を形成しつつそれが交響し合って、大調和の霊的なひびきを発しているさまを思い出す。「田園」が自然賛歌であるというのは、より深い意味においても感じることができるわけで、つまり肉眼に映る次元を超えた、ある大調和があるという確信、直観に発しているということが、私にはよくわかる。というのは、まさにそうした、声なき調和にひびきを、自然に囲まれているときにもよく感じることがあったからである。
すべては、魂の世界の実在を実際に感じるところから始まらねばならない。ただの学問や知識など何の意味もない。肉体とともに消えてしまうものにかかずりあっている暇はないのである。