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高岡英夫について

私が身体論に興味を持ったのは別に齋藤孝を読んだからではなくて、それよりもっと以前から気功やらヨーガなどを実践していたことから来ている。気の世界などは十数年前から私には既知のものである。そのころに齋藤孝もまたいろいろなワークを実践しまくっていたわけで、そういう意味で同時代的なことを生きていたのだな、という感覚を持っている。そういう実践を通してのみわかることを、あくまで一般向けに啓蒙的に語ってくれるスポークスマンとして彼の存在はありがたいと思っている。

しかし齋藤孝の師匠でもある高岡英夫の凄さはもう形容もできないものである、ということも最近徐々にわかってきた。このところ集中して読んでいるのだが(ワークも少ししているが)、最新の『身体意識を呼びさます日本語のちから』はかなり初心者向きにまとまっている。これもよいのだが、やはり『身体意識を鍛える』は、彼のそれまでの探求をよくぞここまでというほど一般の人にもわかるようにまとめているという意味で、恐るべき書物といえる。実は、高岡のことを知れば知るほど、この書の背景にあるものの大きさには驚かされるのである。

その背景について少し知ろうと、少しさかのぼって読み始め、『意識のかたち』そして『極意と人間』を読んだ。これには、えっ本当?? というような彼自身の超人的パフォーマンスの話ものっている。これをホラ話と思う人も多いだろうが、私は人間の可能性は無限であることを知っているので(というのも、そもそも人間が本来神と同一であるというなら、無限であることは定義上もきまっているわけだが)それをありえない話であるとは思わない。もちろんこれは「普通の人間」の話ではないのだ。特に『極意と人間』は、「面白かった」というような言葉では形容できない、正直なところ、戦慄を覚えた。それは内容というだけでなく、その背後にある彼の「本体」というか、エネルギーというか、そういうものの圧倒的な力を感じざるを得なかった。そういうものがここまではっきり出ている本は他にはないので、この『極意と人間』はそれだけ本気で書かれていると思う。これは、日本の思想史上というレベルで、相当な人かもしれないな、と直観した。「健康法のおじさん」みたいに甘く見ている人は是非、この深みのことも知ってもらいたいと思う。結局、人間は人間を超えられるのか、という話になるのである。

ときどき、これは科学だということも言っているが、実際のところこれは少なくとも21世紀初頭のレベルでの科学にははまらない。そもそも彼が過去の達人の「ディレクト・システム」を直観してしまうというのは「超越揮観」とかいう、ある種の超時空的な直観力によるものらしい。これは今の科学者の理解を超えるものであろう。私は正直言うと、そのディレクト・システムを直観するとはどういうことなのかよくわからない。もっとも、私がむかし西野皓三氏を見たときは、胸のところのチャクラ(中丹田)が光っていて、天から頭頂・中丹田へ金色のような光がダイレクトにつながっているのが見えた(といっても肉眼的に見るのではないが)ということもあったが・・ いま、その見方で高岡英夫を見てみると、どうもとらえどころがない。なんというか、彼の身体は透明で、拳を当ててみてもそのまますぅっと向こう側に突き抜けてしまうような感じがするのだ。なんだか、突きあたるものがない。彼の本から来るエネルギーもそういう感じなのだ。ということは、やっぱりこれは植芝盛平級ということになるんだろうか。・・でも、こんなこと書いてしまっていいのかという気もする。○○○学会なんかではこういう話も少しはできるのだろうか? でも実際、相手のエネルギーを感じて、その流れを図にするということも、そういうことの延長線で理解できなくもないような気はする。

イチローや武蔵なんかのセンターははるか銀河系の彼方まで突き抜けている・・なんて書いてあるがこれももっともである。私自身はもちろんそこまで突き抜けてはいない。しかし、センターが銀河系、いやそれ以上の宇宙の彼方まで突き抜けうるものであることは理解できる。みなさんは理解できるだろうか。私は、ただそれが理解できるようになったというだけでも自分をほめていいほどのことだと思う。それは、まことに人間の可能性とは無限である、と本当に身体意識レベルで理解することだと思うのだ。高岡が書いている(そしてたぶん自身で体得している)ことは、神秘的にも聞こえるが、それは単に今の人間がそこまでの理解レベルに到達できていないだけのことで、そこには何一つ不思議なものはない。ただ、人間とは本来そういうものであるということに過ぎないのだろうと思う。

こういうのに接すると、凡人どうしが集まってくだらないことを言っているものにつきあっていられなくなる。大事なのは「無限の可能性」へ向かって生きることだと思う。私は無限の可能性へ向かって生きているのだ、というエネルギーが奥底からわきあがってくるようでなければ、本当に生きているとは言えない、と私は思う。・・まあ、そんなことを思ったのは、『極意と人間』を読んだ後、「コンタクト」という映画を見たときと同じように、はるかな人間の可能性を宇宙的視点から見たような、そういうエネルギーを感じたからである。ちょっと冷静ではないかもしれぬが、ま、そんなところである。

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