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身体感覚の精密さについて

ヨガのビデオ(DVD)はアメリカのガイアム社 (http://www.gaiam.com/)のものをたくさん持っていて、ロドニー・イーのもここから出ている。欧米のヨガブームの中でもガイアムは定番ブランドなんだそうだ。私は綿本彰のパワーヨーガDVDも持っていて、それも悪くないが、これはスタジオでモデルにやらせている。綿本DVDのいいところは、綿本サンの指導する声がかなり気持ちいいところだろう。スタイリストがいるのか、服装も女性にアピールするようパーフェクトに決めてますね。ガイアムのビデオは、ハワイとかデスバレーとかものすごく景色のいいところで撮影していて、音楽もマッチし、環境的にすごくリラックスできるところだ。教室風の雰囲気がいい人は綿本、バックグラウンド的なリラックス効果も求めるならガイアムというところだ。今度また、ガイアムの AM PM Yoga というDVDを買った。私はリージョンフリーのDVDプレーヤーを持っているので不安なく買ったわけだが、別にある普通のソニー製DVDプレーヤーで試したところ問題なく再生できた。アマゾンのサイトにはリージョン1で日本製では再生できませんと書いてあるが、実際にはリージョンの制限は入っておらずリージョンフリーらしい。これが他のガイアムの製品すべてがそうなのかはわからないが、そういう可能性も高いだろう。リージョン制限などは映画など著作権からみのもので、こういう自社制作のフィットネスビデオなどには制限など実際にはないのかもしれない。

それはともあれ、AM の方はものすごく簡単で、起き抜けに体が硬い時にやるためのものなのだろう。またもハワイのビーチである。このDVDにはロドニー・イーとパトリシア・ウォールデンのインタビューがおまけとしてある。これがなかなかよかった。パトリシアは、ヨーガとは mindfulnessの訓練であって、今の瞬間における自覚を高めることであると言う。そういう意味でのspiritual practiceなのである、と。今・ここで起こっていることすべてに気づいている状態、これが基本ですね。スピリチュアル・プラクティスといっても、体外離脱をして異次元世界を体験するというようなことではない。そういうのも否定はしないが、今・ここの意識という基本をおろそかにしてそういうことばかり興味を持つのはかなり危険であると言ってもいいかもしれない。ガイアムのHPでも、ヨーガの主目的は心の安定であると書いてあった。Eckhart Tolle の The Power of Now の世界であろうか。これのみでは物足りないが、これをまずおさえねばならないというところだろう。私は、岩田慶治のものもたいへん気に入っている。これがいいところは、そうしたスピリチュアルな自覚――つまりそれは、日常の根底につねにひそんでいる無限性を直観するということだと思うのだが――というものが、日本の伝統的な感性(アニミズム的感性)とうまく融合して語られているという点である。無限性というのは、切れ目がないということでもあり、つまりそれは最終的には、「全宇宙が一つの生命体である」という直観へと導かれていくものであるはずだ。その道のスタートとなるのが、今・ここで自分が「存在している」ということを十分に意識するという、いわば「存在意識」というべき微細な感性を発達させることだと思うのである。ヨーガは根本的にはそういうことのためのトレーニングなのである。

つまり身体技法というものは、身体感覚を精密にしていくためにある。身体感覚が鈍麻している状態で、いくら「宇宙は一つの生命体・・」と聞かされたところで、一つの考え方としてはわかるが何の実感も伴わないものになるだろう。私たちは、「わかる」とはどういうことなのかをもっと深く考えねばならない。「わかる」ということがあまりにも、受験勉強的なスタイルのみに限定されてしまっている。本来ならそういう「わかり方」というのは、自然体験や人間関係の体験からわかっていくものだろう。いまの学校教育の身体疎外はひどいものだと思う。体育というものがあるが、あれは実質的には英語や数学などと同じ構造で、ある一つの価値基準を絶対化して、一握りの勝者と大多数の敗者を生み出すような、プロのアスリートを頂点としたヒエラルキー構造に組み込まれたものにすぎない。はっきり言ってスポーツなんて大多数は体に悪いのである。プロ選手なんてほとんどがボロボロの体ではないだろうか。テニスなどすると利き腕ばかりが長くなってしまってバランス的にかなり問題が出てくる。その反面、ほんのちょっと体操や呼吸をすることによって自分の気分の浮き沈みをコントロールするという、その程度の身体スキルさえ、今の人間は持てなくなっている。まして、深い呼吸によって広い宇宙との一体感を得るなどという技術があるなどということは、ほとんどの体育教師の考え及ばないところであろう(齋藤孝の『呼吸入門』も、こうした一体感についてはっきり語っている)。身体に関する洗練された思考などほとんどどこにもない。粗雑なものを洗練していくのが教育であるのだが。ここでも「精密なわかり方」というのはどういうことか、を考えねばならないのである。

「身体を通して宇宙・世界についての精密な理解を得る」とはどういうことだろうか。その一つの考え方として、「身体は物質だけではないことに気づく」というところがポイントであるような気がする。では何かというと、身体は物質でもあるが同時に「エネルギー場」でもあるということだ。身体を精密なエネルギーのフィールドとして感じる。これは頭でそう思うだけでなく、実際に本当にそのように感じることができるようになること。そのためにトレーニングがあるのである。気功のテーマはまさにそれである。ヨーガも、一見すると肉体レベルのエクササイズのようだが、実際には肉体を通してエネルギーレベルの自覚を高めるシステムなのである。エネルギーレベルで、自分の身体と宇宙とが交流している感覚をつかむことがポイントである。そういうベーシックな感覚ができてきてはじめて、「日常的現実にぴったり沿うように、巨大な無限性が存在する」という言葉の意味が理解されるだろう。一挙手一投足が、きわめて普通の日常性の中にあると同時に、どこもかしこも通底した巨大な拡がりの中に存在しているという感覚があるのだ。私が無限性と言っているのはそういうことだし、その意味で、世界への扉は今ここに開かれているはずなのである。しかし、「わかる」ことは簡単ではない。そのような「わかり方」は、学校で教わることはできないからだ。そうした感覚能力は、人間の可能性として潜在しているはずだが、この人工的な生活環境では、トレーニングなしに呼びさますことができないのである。

ま、というわけで、

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