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「海辺のカフカ」と死後体験など(何の関係もなし)

休養日。というのはだいたい、DVDと読書と、庭を少し、それから太極拳など。

村上春樹、つづいて「海辺のカフカ」を読んでる。上巻終了。いやこれも、抜群に面白いです。
小説というのはこういうぐあいに、相当程度に長くて、そして世界の複雑さのメタファーとなるくらいの複雑さをそなえたものがよろしい。ベストセラーといっても「セカチュー」みたいにびっくりするような数字じゃない。だいたい100万部を超えるという話になると、ふだんほとんど本を読んだことのない人も買わないとなかなか達成できないんじゃないか? この文庫本も巻末の広告には漱石、芥川、太宰にディケンズ、ドストエフスキーなんかまであって、読者層があくまで正統派の文学好き人間であることを示している。しかし「海辺のカフカ」のどこが面白いのかというとなかなか説明がむずかしい。

4101001545海辺のカフカ (上)
村上 春樹


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ともあれ、私もいつも「あっちの世界」のことばかり考えているわけではないので、映画や小説をよく見るというのは、それだけ、「人間の経験」というものに興味があるということなのだろう。というより、私は完全に「こっち」と切り離された「あっち」というものには関心がないわけで、そういう世界があるとしても(あるのだが)とりあえず今の自分とは関係ないし、「あっち」と「こっち」が相互浸透することこそ面白いわけではなかろうか。人間の経験というものをたくさん知るということは、経験を重ねることがここに生を受ける意味なのだとすれば、それは魂の進化と深い関係があることであろう。と、そのような理屈をつけて小説を読むわけではなく、映画や小説は単に面白いから見るというだけだ。お勉強ではないのである。

もっとも、そうはいっても、一部で評判の坂本政道「死後体験」シリーズをついに私も読んでみることにした。まあ、モンローものは既にいくつか見ているし、そういう世界があることは知識として知っているので今さらという気もするのだが・・でも誰も私に対して村上春樹論なんかを期待する人はいないし、やっぱり「あの『死後体験』ってのはどういうものなんでしょうね~」という論評を人は私に期待しちゃったりしているかもしれない。そういう期待にこたえようという責任感や使命感など私にはさらさらないのであるが、まあ読んではおこうと思った。実をいえばそういうスピリチュアル世界探訪ものというのは、私は今までにけっこう読んでるんですね。そういう世界、中でも巷のサイキックなどが見ているような次元じゃなくて、もっと高次の世界というのが人間にも体験される可能性のある世界としてあるということはやっぱりもっと世間に広まらねばいかんと思う。既得権益にしがみつくお偉方が何を言おうとそんなことは関係なし。本当のことを書けば人びとの魂の深い部分に痕跡を残すことになる。たとえその時に表面意識では否定したとしても、死ぬまぎわになればいろいろな現象が起こるし、その時に「そういう話もある」ということを知っていただけでも大きな違いとなるわけである。・・ということだが、坂本氏の本、買っただけでまだ読んでない。レビューはまたのお楽しみ。

そういう「通信もの」というのはスウェーデンボルグとかの時代からたくさんある。科学や学問で扱う話ではないので、要するに一種の新宗教的な文書ということだろう。魂の不死や死後の世界について論じることは、いつしか哲学の領域から追放されてしまったわけだ。近代の理性主義の背後には、スウェーデンボルグの影がある。スウェーデンボルグがどういう人かっていうのは右の本のリストにある水木しげるの「神秘家列伝その一」を見るとわかる。それからこんなのもある。

4042776019霊界日記
エマヌエル スウェーデンボルグ Emanuel Swedenborg 高橋 和夫


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これはもう「信じようと信じまいと」の世界なので、私はこういうのを受け入れろと押しつける気はない。こういう文献にもニセモノもあるしだまされることも実際にあるからだ(自分をだますことも含めて)。宗教とはすべて自己欺瞞であると信じている人もあるが、その人は現時点ではそういう世界に住みたいのだからどうもしかたがない。「海辺のカフカ」にも、「想像力の欠けている人間を相手にしているといくら時間があっても足りない」とかいう言葉があったが。想像力というのはつまり、「この世界のことはもう私にはわかっている」のか、それとも「この世界はあまりに巨大であり、基本的に何でもありなのだ」とするのか、そういう基本的な前提の問題である。つまり未知というか、闇というものを感じて生きているのか、いないのかということかもしれない。私は、納得するかどうかというのは魂レベルの問題で、論理性のみによって説得された人はかつていたためしはないと思うので、決して「論破」はするつもりはない。わかってない人を論破してやろうというのは某宗教団体の「折伏」と同じわけだが、こういうことをする人のスピリチュアルな理解度は初級レベルだということだ。しかし誰しも通る道ではあるので軽蔑するつもりはない。

それはそうとそういう「通信もの」であまり知られていない面白い本を紹介しておく。これも「そういう話があるということを知るという経験をいま自分はしたのだ」という「事実」だけを受けとめるという考えで接した方がいい。間違っても私がお墨付きを与えたなどというとらえ方をしてもらっては困る。面白いことは保証する。スピリチュアル・エンターテインメントととらえてもいい。だいたいこういう話というのは基本的に面白いものではなかろうか。向こう側がどうなっているのかというのは人類の永遠のテーマなのだ。それについては、どういうことをこれまで人間は経験してきたのか、どういう話があるのかというのをできるだけ集めてから判断するのが妥当な態度ではなかろうか、と思う。そして、臨死体験やモンローの体験なんかを含めて、今の時代ほど、そういう体験についての情報がおおっぴらになった時代はかつて人類が経験していない。そういう重大な局面に際して、それについて何の関心ももたないというのは「思想家」とは呼べないであろう。思想というものの永遠の課題は「魂はあるのか、魂は不死なのか」ということだ。その意味で、確信犯的な時代錯誤が必要なのである。(なお第2巻になっているのは、第1巻はアマゾンでは発送に時間がかかると出てるからだ。全部で5巻ある。版元に直接注文した方が早いのだが)

489214021X私の霊界通信 (第2巻)
村田 正雄


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上のは宗教的な文脈での体験である。もう一つ私が「とにかくこれはどういう意味なのか、受けとめなくては」と思ったのはマイケル・ニュートンによる退行催眠を用いた「霊界探訪」である。ブライアン・ワイスの退行催眠、前世療法というのは既に知られているが、ニュートンのは前世というより「あちらの世界のしくみ」を退行によって探索するという試みである。つまり魂があちらにいたときの記憶を引き出すというわけ。私はそもそもこういう本が存在するということ自体に驚いた。しかしそれだけでなく、アメリカには相当数の退行催眠セラピストがいて、そのセラピストたちの多くがニュートンの本に興味を持って、そういう種類のセラピーのやり方を教えてくれとやって来て、ニュートン博士はいまそういう人たちへのワークショップなどを主にやっていて、マニュアル本まで書いてしまっている。そういうセラピストの団体まであるのである。(もちろんアカデミックな世界で認知されているというわけではない。そういうのはアメリカでも保守的なものである。欧米でそういうスピリチュアルな運動に関わっている人の多くは、個人開業のセラピストという職種である) ともかくびっくりするようなことが書いてあるが、もちろん「これってどこまでホントなの?」という疑問はだれしも感じる。あるいは、たしかにそういうことも間違いではないが、それはあくまで大きな真実の一部かもしれない(これはありそうだが)。しかしともあれ、生と死の問題を考えることを選んだ者は、こういう情報もあるということを受けとめる必要はある、とは思うのだ。無視はいけない。自分の都合の悪いことを無視するのはいちばん怠惰である。これだけの情報が世に出ているのだから、可能な限り情報を集めた上で判断を下すことが必要だ。最初から「それは決して解決できない問題である」と言って、そういうことを知ろうとしないのは、本当にその問題が痛切に身にしみていないからである。どうしても気になるなら、そういう本があれば読んでしまうものである。その上で、判断は魂レベルですることだ。そういう判断が、「サニワ」である。では、その「サニワ」ができるようになるにはどうすればよいのか、というと、今までの私の学んだことを総合していえば、それは「倫理的に生きるようにすること」だと思う。魂の向かおうとする方向が問題だ。これこそプラトンの哲学である。

訳書も出ているんだが、ただ、翻訳がよくないという話もあるので、どうなのか? 私は英語で読んでいるので訳書のできばえについてはコメントできない。いちおうアマゾンのリンクはあげておくが。なお原著は Michael Newton, Journey of the Souls そして Destiny of the Souls の二冊である。

4900550914死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」―退行催眠による「生」と「生」の間に起こること、全記録
マイケル ニュートン Michael Newton 沢西 康史


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さっきも書いたけど私はいつもこんなことばかり考えて生きているわけじゃないんだけどね。正直言うと私としては「この存在の世界の構造はどうなっているのか」という問いについては、知的に接近できるかぎりことは勉強したし、自分なりのイメージを描くことはできたので(それが『魂のロゴス』なのだが)、それ以上に進むには別のアプローチが必要かもしれない、と思っている。だから、やっぱりこういう情報をここに書いたりするのは「読者サービス」の要素があることも否定できない。できれば、私が到達した「世界の構造」についての概略も、いつかネットに載せたいとは思っている。

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