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プロティノスをめぐって

古本で買った『プロティノス全集』は目の玉が飛び出るほどの値段だったが(すでに絶版なので希少価値がある)、それだけのことはある。まず、これだけわかりやすい現代語訳はたぶん西洋語でも出ていないだろうということ。二種の英語訳はのぞいたことがあるが、正直言って、一読しても意味がさっぱりわからないしろものである。しかし日本語では訳者が文脈から多くの言葉を補っていてわかりやすくなっている。しかもプロティノスの他の箇所やプラトンへのリファレンスなど注も充実して、これだけのものはヨーロッパでもあまり出ていませんよ、という感じだ。そもそもプロティノスは西洋人よりも東洋人のほうがわかりやすいという面もある。鈴木大拙などもプロティノスを評価していたようだし。だいたい、ギリシア哲学というのは、西洋近代哲学の源流というよりも、インドや中国の哲学と同時代的なものなのである。井筒俊彦は、「東洋思想とは、ギリシア以東の思想のことである」というようなことを言ったそうである。まさしくその通りであろう。さらにいえばキリスト教もその初期においては "Neoplatonism with Jesus"だと言っている人もある。プロティノスをマイナー扱いするのは、西ヨーロッパの反神秘思想的バイアス(それは、ローマカトリック教会が人間の神性を否定したことに由来しているが)による偏向的評価にほかならず、ギリシア思想をその当時の地球文明的な視野において位置づけるならば、プロティノスは当然、ギリシア的宇宙観の完成者としてとらえられることになる。

ともあれ、この宇宙、存在の世界を、理性で語りうるぎりぎりのところまで語っている思想はプロティノスである。それが「永遠の哲学」というものの中核をなすことは確かだ。私は「普遍神学」という立場を提唱しようとしているわけだが、そのコアとなるのはプロティノスであり、それを補うものとして唯識~現象学という「現実性とはいかに生成するか」という分析ツールを使えばよいのではないか。華厳哲学の無限重畳的宇宙も、プロティノスの中に含まれていると考えてよいだろう。

ケン・ウィルバーの思想は、こうした永遠の哲学が「人間の理性で理解できる限度においては、『真理』をある程度反映している」という前提のもとに、それと近代心理学を接ぎ木して一つのシステムをつくろうとしているものだ。だが私にはどうも、そのような心理学との接合がやや余計なことのように見える。はっきり言うと、私はウィルバーほど近代心理学の洞察なるものを評価していないのである。人気が高いユングなども、今の私にはどっちでもいいような感じである。心理学者で私が評価するのは、サイコシンセシスのアサジョーリを別にすると、ジェームズ・ヒルマンである。ヒルマンの『魂の心理学』は、プロティノスの思想をベースにしているという。つまり、「人間の中に魂があるのではなく、まず魂があり、その中に人間はあるのだ」という考え方だ。これはまったく正しい。だが、この基本的なことを完全に理解するのは、そんなに簡単なことではない。わかってみればそんなに複雑なことを言っているわけではないのだが、近代世界の常識から抜けだせないうちは、『魂の心理学』は何を言っているのかさっぱりわからない本になるだろう。だがこれは面白い。名著である。私は三回くらい読んだ。それから『世界に宿る魂』も、プロティノスの言う「世界霊」を復活させようと言う試みでなかなか冒険的でよろしい。でもヒルマンにもかなり限界はある。ヒルマンは「魂」をはっきりととらえた。ウィルバーでさえも「魂」というものはあいまいな理解しかしていないので、その点はヒルマンの功績なのだが、あろうことか、ヒルマンはそれ以上の、つまり魂というレベルを超える宇宙領域があることを否定しているのである。これでは半分の真理である。ウィルバーも、ヒルマンも長所と欠点が混在する。私の『魂のロゴス』はそれらをふまえてそれを超えるヴィジョンを考えたものだ。

とにかく、超越的な「一者」とか「無」などと呼ばれる何かが、あらゆる現象世界を含むものとしてあるというようなことは、知性ある東洋人には比較的理解しやすい。だが、本当に宇宙や存在の基本構造ということを知的に理解するには、「魂」というテーマとぶつかることが絶対に必要である。そうでないと、ウィルバーのように、「人間は死んだらどうなるのか」という根本的な問いにも答えていない(答えることを回避する)思想になってしまう。そんなものは思想の名に値しない。魂ということはなかなかわかっているようでわかっていない。たとえば、よくある質問だが、「もし魂が転生するというなら、世界の人口が増え続けているということはどのように説明するのか」という疑問があるとしたら、残念ながらそれは魂のことがまったくわかっていない証拠であるだろう。というのは、そのような問いは、魂が「数えうるもの」であるという前提に成り立っているからだ。この点、プロティノスははっきりと説明してくれている。魂は、人間の中に入っているものではない。こういうことはウィルバーをいくら読んでもわからない。

その他、全集を読んではじめて理解しうる側面がある。たとえばプロティノスは、魂は死後にはどうなるのか、思いを残すと高い世界へは行けないことになるだとか、守護霊のことだとか(つまりこれは、ソクラテスにもついていたといわれる「ダイモーン」のことであるが)、自殺をした魂の運命だとか、そういったいまどきの霊的な書物に出ているようなこともかなりいろいろと語っているのだ。こういったことは、当然、大学の学者などはあまり重要視しない。だが私などが見れば、こういった記述は、彼が実際に霊的な世界を体験していたことのあらわれであることがわかる。本当は、プロティノスは、たとえばマイケル・ニュートンだとか、モンローだとか、そういうたぐいのものと一緒に読んでみると、その真の意義があきらかになってくる部分もある。そういうことはまず学者は絶対にやらないだろうから、私あたりがやればもう少し本が売れるかもしれませんな(笑) こういった記述は驚くほど一致する部分があれば、それは端的に言えば、それがかなり真実に近いことを示していると思う。

だいたい、魂と人間という根本的なことが問題になっているのに、それと重要な関係があるらしい臨死体験や体外離脱の経験をどう位置づけるかという問いを回避するなど、哲学者の風上にも置けないというべきではなかろうか。体験に基づいて考えるということが東洋哲学の伝統であるはずであり(その意味で今の東洋学の大半は、東洋思想の西洋人的解釈のまねにしかすぎないが)、その目でプロティノスを読めば、ヨーガや仏教の伝統との類似点も多く見えてくる。というわけで、そのような東西霊性思想の統合的ヴィジョンということが、私のいまの関心事である。

ここまでの参考文献

<永遠の哲学について>
オルダス・ハックスレー『永遠の哲学』
ヒューストン・スミス『忘れられた真理』
井筒俊彦『意識と本質』
ケン・ウィルバー『意識のスペクトル』

4434036742忘れられた真理―世界の宗教に共通するヴィジョン
ヒューストン スミス Huston Smith 菅原 浩


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4003318528意識と本質―精神的東洋を索めて
井筒 俊彦


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<ギリシア思想について>
『世界の名著 プロティノス・ポルピュリオス・プロクルス』
  (プロティノス入門はまずここから)
井筒俊彦『神秘哲学』
Pierre Hadot, Plotinus or the Simplicity of Vision.
Brian Hines, Return to the One: Plotinus's Guide to God-Realization.
 上の二冊は、プロティノスが「体験者」であるという前提に基づいたプロティノス思想の紹介である。

<その他>
ジェームズ・ヒルマン『魂の心理学』(理解できるまで何度も読んだ上で、乗り越えるべし)
ジェームズ・ヒルマン『世界に宿る魂』(これがむずかしいといっているようでは、『魂のロゴス』なんて理解できるはずがないんです(^^;)

4791755243魂の心理学
ジェイムズ ヒルマン James Hillman 入江 良平


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