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「神とひとつになること」そして、思想の地位について

このところ、右の「最近読んだ本」と音楽のコーナーを更新してない。はっきり言ってちょっとめんどくさい。あんまり「最近」じゃなくなっているのは気になってはいる。実はこのところ紹介できるようなものはそれほど読んでない。しかし思いつくものは、このブログでときどき触れていきたい。

つい最近でもないが、「神との対話」シリーズの一つ、『神とひとつになること』はかなりよかった。『新しき啓示』の方は、伝統的なキリスト教に対するアンチの姿勢が強く出ていて、あまり日本人向きではないなというところもあったが、この『神とひとつになること』はひじょうにコンパクトにまとまっていて読みやすい。対話体ではなくて「神」の語りという形式である(正確には「絶対の神」ではなかろうというのは、前に書いたとおりだが)。『神との対話』3冊、『神との友情』につづいてこの本も持っているといい。

4763193740神とひとつになること
ニール・ドナルド ウォルシュ Neale Donald Walsch 吉田 利子


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ここで誤解のないように何度でも書いておくが、このようなことがらがいま、科学やら学問で明らかにされつつある、というのではまったくない。「トランスパーソナル」などに、そのようなことを期待するのはまったく間違っている。世間の人は錯覚しているが、アカデミズムなんてほんとうにたいしたことないのだ。つまり、そういう「権威」を打ち立てて、「スピリチュアルな世界というのはほんとにあるんだぞ、わかったか」ということを「わかってない人」にわからせたい、そのために学問がこういうことをやるのを期待する、という発想そのものが、私が前々から言っている「折伏への欲望」にほかならないのだ。スピリチュアルにはなんの「権威」もない。世間的な権威でスピリチュアルの存在をわからせようというのは、ヨーロッパ中世の世界に戻ることになるのだ。もっとも危険な思想的テロルである。

同様に、ユングなどを持ち出してこういうことに学問の権威づけを求めるような日本に見られる傾向も苦々しい感じがする。よその国ではユングなんてオカルトでしょと考えられていることだって多いし、「ユング心理学では・・」などといえばわかった気になるような学問的権威なんて外国ではほとんどないのが実情。これほどユング心理学の人気が高い国はないわけで、ユング心理学者が文化庁長官になるなんてびっくりすることもある。しかしまあ、ユング心理学が悪いと言っているわけではない。ああいうものが存在するのは世の中のためによいことである。ただ私が言いたいのは、今の日本人は結局、思想とか哲学の問題というのを回避しているということ。本来、思想の問題として考えるべきことを、「心理学」とか、そういう科学めいたよそおいにしていかないと信頼しない、という傾向が見られることだ。いいかえれば、本当は思想としてやるべきことを、既成の学問に求めてしまっている。本来、哲学に向かうべき人びとが、心理学に走っている。つまり本当は何かスピリチュアルなことを考えたいという人が思想・哲学へ行かず、心理学という枠組みを選んでいるという状況があるわけだ。大学が学生集めに苦労している中で臨床心理学系だけは押すな押すなの大盛況である。これは、本来的に今の大学では「魂」を語れるスペースはないので、ただ心理学のみがその「隠れ蓑」になっているということだ。

要するに「魂の問題」をやっていきたいという人は多いのに、それだけの受け皿がないということなのだろう。それは私も、自分のやりたいことをやっている学科がなくて困ったという経験があるからよくわかる。見方を変えると、哲学や文学というものの権威がいかに低くなっているかということでもある。たしかに今の状況をみると、アカデミックな哲学からは実質的に「魂」の問題は追放されている。文学でさえある程度そうなっていて、これは大学に残るには「魂」のことなど棚上げにして「学界」が気に入りそうな論文をせっせと書かねばならないというシステムになっていて、そういうシステムに自分を合わせることに成功した人間のみが生き残るからである。そうした日本の知的世界の中でユング心理学というのは隠れ蓑的な役割を演じてきたと言える。だが、そういう状況そのものがそろそろ変化しなくてはいけない。

だけど、本来、権威なんてないのがあたりまえなのだ。結局、自分でやる、自分で考えるしかないのだ。あたりまえのことであるが。

トランスパーソナルだって権威ではない。それはまあ、いかがわしいと思っている人に対しては、アメリカでは大学院だってありPh.Dもとれるんですよというようなことも言ったりするが、それは世間がそういうことで人を信用するという習慣にやむなく合わせているだけのことだろう。世間でどう評価されるいるかなんてまるで関係ないだろうということはよほどのお馬鹿でない限り誰でもわかることだと思うが。問題は、神(宇宙や存在の始原)とか魂というようなことを語るのがなぜいかがわしいのか、なぜトンデモなのか、どうして世の中はそういうイメージを抱くまでに無神論に支配されてしまったのか、ということだろう。シュタイナーならアーリマンと言うところだが。いまの日本の精神的な病根は、思想する力の衰弱だと私は思っている。だから私はトランスパーソナルも思想の一つだとして受けとめている。それには賛成する点もあるし、反対する点もある。私の立場は決して「トランスパーソナル」と同一ではないので、その点にも誤解のないように願いたい

こんなことを書いたのは、「神との対話」シリーズに手を伸ばすのは、社会的に認知された世界から一歩踏み出すことになるからだ。ぜんぜん気にしない人も多いが、中には、世の中で受け入られている枠組みからはみ出すことを恐れて、なかなかその一歩を踏み出せない人もいるらしい。そういうふうに育ってきた人にはなかなか大変なことなのだ。

魂とか神についてのことがら(つまり「思想」だが)を勉強するのは独学をすすめたい。これまでにどういうことが言われているのか、そういう知識をまんべんなく教えてくれるコースなどはまずいまの大学などにはありそうもないし、考えてみるとそういう入門書みたいなものもない。なければ書くしかない、と思いもするが、元来私は過去の知識を体系的にまとめるなどという作業はあまり得意ではない。そこで、このブログを使って少しずつ読書案内めいたことなどをやっていこうか、とも思っている。

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