映画の話など
しかし・・週に一回しか書かないのは「日記」ではないですね。これは「ブログ」である、ということなのだが・・ 私の中では、日記は自分のために書くもの、ブログは人に読ませることで自分が楽しむもの、という位置づけで区別されている。というわけでこれは「日記」のつもりで書いてはいない。どうもこのブログの文章を書き始めると止まらなくなって思わず長くなり、いつのまにか一時間、二時間とたってしまうので、なかなかそれだけの時間をブログに割くこともできない、という状況だ。
現在、オペラとバレエのDVDを収集中。映画のDVDはレンタルで見る。映画といえば、「未知との遭遇」のスピルバーグが今度は「宇宙人侵略もの」の映画を作ったらしい、と聞いたがそれはどういうことなんでしょうね? 思わず耳を疑ったが。すでにどこかに書いたと思うが、「未知との遭遇」とか「E.T.」は、人類と宇宙との関係という壮大なテーマを秘めた傑作である。その彼がなぜに宇宙人が地球を侵略するなどという馬鹿なステレオタイプの作品を作るのか。まあ、もう少し情報がないとよくはわからないが。
ところで、昔なつかしい、大林宣彦監督「時をかける少女」を見た。1983年作品でご存じ(かどうか知らないが)原田知世の出世作でもある。ちなみに私は同じ原作をドラマ化した、70年代の「タイムトラベラー」というNHKの少年ドラマシリーズというのも見た記憶があるのだが。しかし「時をかける少女」は筒井の原作なんて枠組だけで、ほとんどが大林監督の思い入れによる作品である。これを「原田知世を売り出そうというアイドル映画でしょ」なんて甘く見るのはとんでもないことで、基本的にこれは少年少女では十分にそのよさがわからない、オトナ向けのノスタルジックな作品であると思う。そもそも冒頭から、「真実の愛を知ることは、人にとって幸福なのだろうか、不幸なのだろうか」といったエピグラムが入るのだが、いい年をしてこんなことを真剣に考えているオジサンというのは実に尊敬に値する存在である。しかし、すべてのことが美しく調和している、深い幸福感に満たされた作品だなあ、と思う。それはまた、「かけがえのない時」に対する深い郷愁と哀切が伴っているが・・それが大林監督の世界なのだが、やはりこれはその代表作の名に恥じないのである。ある世界への扉が開かれているのだ。特に、最後の「再会」のシーンと、その後の「カーテンコール」みたいなエンドロールのところの余韻の感覚は何ともいえない。その「終わり方」という点では私がこれまでに見た映画の中で最高ですね。思わずそこだけ三回くらい見直してしまう。「カーテンコール」では知世が主題歌を歌うのだが、確かにこれを聞くとレコード(CDではない)を買いに走りたくなった気持ちもわかる。この松任谷由実の歌も映画の内容にこれ以上ないくらいマッチしているし、やはりこの作品ができるにあたっては一種の天使的知性の介入があったのかもしれない、と思わせるほどの調和であった。なんというか、エンドロールのところではいろいろなシーンがフラッシュバックするような感じなのだが、それが何か、生が終わったときにその一生をフラッシュバックで見るという話を思い出す。もちろん、この映画を見て死後体験のことなど連想するのは私くらいのものであろうが・・(笑) というのはそのすべてが何かある大きなものに包まれて肯定されているような感覚がそう思わせるのかもしれない。オジサンにのみ可能な超ロマンティシズム全開である(女性というものはそれほどロマンチックではないらしい。偉大なロマンティシストはみなオジサンである)。