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スピリチュアル思想の基本について

ところで、このへんで私の「スピリチュアル思想」について少し述べておきたい。

●永遠主義の哲学
私の考えの基本は「永遠主義」の哲学である。それはヒューストン・スミスの『忘れられた真理』とかオルダス・ハックスリーの『永遠の哲学』に書かれている通りなのだが、近代以前にかなり普遍的に存在していた神秘的哲学である。それを単に研究対象とするのではなく、それは実は、かなり(人類が知的に理解できる限界において)「真理」に迫り得ているのではないか? 我々はそれと大まじめに向き合い、文明を再構築すべきではないのか? という考え方というわけである。こうした永遠主義思想の中でも代表的なものが、プロティノスの新プラトン主義思想、インドのヴェーダーンタ思想、仏教における華厳思想などである。思想とは新しくなければいけないというものではないのだ、ということである。

●トランスパーソナル心理学との関係
一部は「トランスパーソナル心理学」とも重なる部分がある。正確に言えばトランスパーソナル心理学とは、永遠主義哲学の復興という潮流と、ユングやマスローなどの深層心理学のラインとが交わったところにできた心理学の一派であると考えることができる。つまり「心理学とは科学でなければならない」という前提を捨てて、「心についての学問は一つの形而上学にまで至らなくてはならない」という学問原理の変更がなされているというのが重要なポイントである。これは基本的に心理療法へスピリチュアリティーを導入する試みであるので、心理学者、心理療法家のやるものである。従って私は心理学者ではないし、当然トランスパーソナル心理学者ではない。永遠主義思想はあくまでトランスパーソナル心理学の隣接領域である。ま、位置づけとしてはそういうことである。

スピリチュアル思想を現代に展開するにおいてはいくつかのポイントがある。勉強をしていく場合にはそれが「必須科目」ということになろう。

1.「科学主義」の批判 ……現代人はあまりに科学を絶対視しすぎている。科学的方法論の有効性の限界についての議論、またあらゆる知的営みに付随する形而上学的前提について、科学は世界観を構成することができないことについて、などの論点。この点を勉強することは絶対に必要である。というのは、科学を至上の価値とする価値システムを持っている限り、すべての神秘思想、形而上学は「うそくさく」思えてしまうからである。なお、「科学的世界観」となどという言葉を平気で使う人は全く思想哲学の勉強をしたことがない素人であるので、そのようなHPなどに目をくれる必要はない。現在の「脳ブーム」(養老孟司や茂木健一郎など)も、中途半端な科学信仰が生み出したあだ花でしかない。参考書・・村上陽一郎『新しい科学論』『奇跡を考える』その他、大森荘蔵『知の構築のその呪縛』、フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』

2.この世界はどのように成立しているか(素朴実在論からの離陸)
これは哲学的論点なのだが、結局のところほとんどの人がこれを理解できていないので、科学主義につけこまれてしまうのだ。科学主義は結局、素朴実在論の批判という哲学の問いを回避しているにすぎない(素粒子物理学の一部にはそういう問題意識が生じたが)。みな、世界がそこにあることが「あたりまえ」だと思っている。だがそうではない。なぜ世界があるのか、いや、本当に世界というものがそこにあるのかどうかということが、大きな問いであるのだ。この問いがわからなければ、「思想」はない。「スピリチュアル思想」である以前に、「思想」に入門しなければならないのだ。そのポイントが、この「存在の問い」を理解することなのである。この点に貢献しているのが、ヨーロッパの近代哲学と仏教の唯識であるだろう。近代哲学の中でも特にデカルトの問い、その先鋭化としての現象学の思考である。

たとえば、世界はなぜこのようにあるのかという問いに対して、宇宙は150億年前にビッグバンによって発生して、地球というものができて生命の誕生が云々・・といった答えを始めるのは、もう最初から全然終わっているのだ。そのような答え方ではまったくダメなのである。それはまったく何もわかっていないのである。そのような発想法で、なぜ世界があり、そこに「私」があるのかということを解明できるのだと本気で思うのは、ヘソでお茶を沸かすに等しいのである。ビッグバンなんてありはしない。ただそういうものがあるという夢を見ているだけの話かもしれない。そんなホラ話かもしれないあやふやな話の上に、もっとも重大な問いの答えを依拠させるわけにはいかない。

いや、さらに言えば、「地球」なんて本当にあるんだろうか。もしかするとみんなで「地球」というものがあるという夢を見ているだけかもしれないのである。そうでないという確実な証明があるのだろうか。地球が太陽の周りを回っているということも、みんながそう思っているからそれが正しいとされているだけかもしれない。・・これはアマノジャクではない。哲学というのはそのように考えるものなのである。ウソだと思ったら永井均の本を読んでもらいたい(永井均よりハイデッガーの方がいいけれども)。現象学というものも、こういった「存在の問い」の一つの徹底化なのである。

おそらくこの点が、「精神世界」系の人々がよく理解していないところなのだろう。だが、哲学における根源的な問いというものを理解すれば、私たちは、科学者によって提供される「物語」を疑う権利を有することがわかる。そうすれば何も怖いものはない。あなたは、思考というものが徹底的な自由であることを知るだろう。

哲学が面倒くさい人は、カスタネダの一連のドン・フアンシリーズは、ほとんど同じことを述べていると指摘しておこう。つまり、これは、カスタネダが素朴実在論から脱して、「世界と意識との関係」について徐々に気づいていく話として読めるのである。

つまり、どういうことか。それは、「世界の果てはいま、ここにある」ということだ。また、「私は、宇宙の中心に立っている」ということでもある。それはもっとも「まともな思考」によって導かれる結論なのである。

世界と意識とは分離不能である、ということである。

まだポイントはいくつかあるが、きょうはこの辺で。

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