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ホイットマンの神秘体験

なぜか思い立って、ホイットマンの「ぼく自身の歌」という長編詩を読み返し始めた。ホイットマンとはアメリカ最大の詩人であると言われ、「ぼく自身の歌」は『草の葉』という詩集に収められている彼の代表作である。つまりこれは・・「スピリチュアルな意識」、言ってみれば一種の宇宙意識の状態にある「私」を表現している希有の作品である。「私」が宇宙大に拡大しているという世界感覚を歌っている。少しずつ読んでいるが、ほんの少し触れただけでもうただならぬ波動がびりびりと伝わるのである。本物を見た人だけが表現できるあるエネルギーが放射されているのだ。幸いにして原文と日本語訳、語注がのっている本が大学書林から出ている。これは繰り返し味わうべき名著ですね。ただ英語は、相当むずかしいと言っていい。並大抵の英語力で歯が立つものではない。でもこのエネルギーは原文にしかないものだから(訳文ではエネルギーは10%くらいまで落ちる)、がんばって読まねばならない。まあ、日本語ではそういうのは宮澤賢治がいるからそれを読めばいいのだが・・だがホイットマンの作品は賢治をも超えている。

例によってといっては失礼だが、編者の英文学者にはそういうことはまったくわかっていないので、この詩で言う「私」とはいったい何であるのか、その解説の文章など信じてはいけない。これは、日本のほとんどのインテリには「私」というのがいったい何であるのか深く掘り下げた経験がないのだから仕方ないのだ。それは、シュタイナーがなぜ、究極の意識レベルを「Ich」(私)と言っているのか、ということにもつながる(ちなみに、シュタイナーの「Ich」を「自我」と訳したのは致命的にまずい翻訳だったのではないか。シュタイナーかぶれの人と話をしていると根本的な語彙において話が食い違ってしまう。「自我」はふつうの日本語ではエゴ、つまり唯識で言う我欲の根源としてのマナ識のことをいう)。「私は私である」というのは実は神の名である。この宇宙は「私は私である」ということ以外に本当に存在するものはないのだ、という意味なのである。

そういう意味での「私」というのが、ホイットマンの不滅の傑作で語られていることである。なお、こういうことは日本の英文学者は滅多に言わないことだが、ペンギンブックスの Leaves of Grass 初版本(この詩集は数度改訂されているので、その初版の形を収めたペーパーバック、という意味)の解説者は、ホイットマンの世界を「ウパニシャッド」にたとえ、その神秘体験的な側面を指摘している。れっきとした学者も言っていることで、決して私の世迷い言ではないのだ。

少しでも「それ」を体験したことのある人は、「あっこの人はあれを見たのだ」とすぐに気がつくに違いない。

なお、対訳とタイトルにあるが、訳文は巻末にまとめられていて、左右対照にはなっていない。

4475022185ぼく自身の歌―英語対訳
W.(ウォルト) ホイットマン 岩城 久哲


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