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『構造主義科学論の冒険』をめぐって

池田清彦『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)を読む。といっても、数式など出てくるところは斜め読みだが。内容は、まあまあ。要するに科学が前提としている素朴実在論的なパラダイムは根拠がないものであるという主張だ。カントやフッサールなどを取り上げてそれを論じているところは、なかなかわかりやすく、ここまで易しく書けるというのはちょっとした才能である(とは言っても、大学一年生レベルにはまだ難しいが)。科学は、他の認識と同様、「同一性」の発見であるという。ところで、ではその「同一性」はなぜ生じてくるのか、つまり現象学的な言い方をすれば、何故、世界がまさにこのようなディテールをもって実在しているように私には信憑されるのか、という問いについては、どうもあまりはっきりしない。そこでプラトンのイデア説を批判するのはいいのだが、その存在信憑が発生する根拠については、はっきりしないがソシュール的な「恣意性」という考えに傾いているようにも読めるのである。ただ、人間が考えることはだいたい似たようなものだ、ということで、人間という存在に内在する一種のパターンがあるような言い方もしている。もっともそれではその内在する構造はイデア的なものではないのか、それが存在する根拠はどこなのか、そもそも「人間」という種はアプリオリに存在すると考えているのか、・・といった、哲学的なツッコミを入れる余地はかなりある。つまり哲学としてはまだ徹底して考えられているものではないので、そこまで期待をしてはいけないが、とりあえず、一般に流布している誤解、つまり「外部世界が実在することは科学的にも証明されている」などという考え方が実は大ウソである、ということだけはかなり伝わる本であると言えよう。科学理論もある意味では「恣意的」なもので「真理」ではないということ。これはまあ、村上陽一郎その他相対主義的科学論ではおなじみだ。

わかりやすく言えば、地球が太陽の周りをまわっている、というのは普遍的真理ではない。世間がみなそのように考えるようになったから、それが真理として通用しているのだ、ということである。

最後の方ではこうした、フィクションであるはずの「科学の真理性」が権力的にも作用するということを述べている。著者の主張は要するに、「これが科学的な考え方だ、どうだ参ったか」という言い方をすることは許されないということ、いいかえれば、「科学的だかなんだか知らないが、私はそんな考え方は嫌いだから、ヤだね」と、それを受け入れることを拒否する権利があるのだ、ということだ。その際、べつにこっちも科学的、論理的に「反論」や「反証」をしなければならないという義務はまったくなくて、ただ、「私はそういうのは嫌いだからイヤだ」と言う権利を市民は持っているのだ、ということである。これを池田は「恣意性の権利は科学理論の正当性に優先する」といっている。すなわち「個人の恣意性の権利に抵触するときは、科学的という枕詞の妥当性をチェックすることなく拒否できるという原則を、社会理念として普遍的にすることはより重要であります」(242) 私もこれはとても重要なことだと考える。つまり科学の社会的権威をもっと低下させることが必要なのだ。人々は無意識的、意識的な科学への劣等感により、科学が前提としている素朴実在論が正当なものと思いこみ、その結果、自分の意識の存在自体が派生的なものであるかのごとき錯覚に陥っている。このことが、現代においてスピリチュアルな感覚というのがアンダーグラウンドに追いやられている最大の要因であろう。本当に確実に存在すると言えるのは私が経験する現象とその「私」が存在しているという事実だけである。フッサールはデカルト主義をそのように徹底化したが、それはすべての出発点となりうるのである。

本には書いていないが、こういうことであろう。たとえばあなたが何かとんでもない霊的な体験をして、あっちへ行って帰ってきたとする。だが、現行の科学のパラダイムではそういうことはありえないので、それは妄想であり、精神病ではないかということになる。そのようなレッテルを貼られ、下手をすれば強制入院なんてことになれば、これは立派な人権侵害であり、権力の濫用である、ということになるだろう。そもそも精神医学なんてものは、「そういう考え方でもって治療をすれば、たまには病気が治ることがあるかもしれないので、まあ存在するのもいいだろう」という程度のものであって、もしかすると治せないところか逆にひどくしたり、病気でない人を病気だと言い張ったりすることもあるかもしれないもので、そういうものが麗々しく「セイシンカンテイ」だという権威を持って流通し、それで裁判の結果なんかも左右されてしまう、などということはかなり恐ろしい社会ではないかと思う。そういう状況はヤバイということだ。特に医療分野というのは、もっとも専門家独裁がはなはだしい領域であろう。

ともあれ、相対論のところとかはちょっと難しいが、全体としてかなり読むに値するものではあった。

4061593323構造主義科学論の冒険
池田 清彦


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