「光の天使」など
エルガーのヴァイオリンソナタを聴いた。なんというか、落ち着いた渋いめの音楽だが、私としてはなかなか好きな部類である。エルガーはほとんど知らなかったのでこれからいろいろ聴く楽しみができたということか。五嶋みどりのCDでカップリングされているフランクのソナタもなかなかのものである。これはチョン・キョンフアのも持っているが、五嶋みどりのほうが好きかなあ。
この夏は旅行もいかず、CDやDVD・ビデオなどでマインド・トリップ(というと何か聞こえが悪いが)という感じだった。精神というのは瞬時にどこへでも旅できるというのはたいしたものである。最近何となく変化してきたことは、あんまりこの世的な価値にとらわれなくなってきたというか、たとえば「成功すること」などをほとんど意識することがなくなったということである。自分の本拠が向こうにあるということもわかってきたし、いつかはそこへ帰るということも実感が強まってきた以上、世間にどう見られるかなどということより、この一瞬をどのように充実させるかが問題だという感じになってくるわけだ。まあ、また本を書くのもいいけれども、それは何というか、たとえば「北の国から」で五郎が石の家を少しずつ楽しんで造ったみたいな感じでやっていけばいいことであるという感じか(「北の国から」はこの夏のメインイベントであったのでついその比喩になってしまうが)。
それはそうと最近であった音楽の中でかなりショックだったのは、ラウタヴァーラの交響曲第七番「光の天使」かもしれない。ラウタヴァーラはまだ生きていて70代くらいのフィンランドの作曲家。この「光の天使」で一躍世界的に有名になり、いまはたぶんアルヴォ・ペルトとかジョン・タヴナーと並んで最も売れっ子作曲家であろう。こういう最近の人たちというのは、ひところのゲンダイオンガクとは違って、耳に優しい。ああいう一時期の無調、不協和音のオンパレードみたいなものは、もはや時代遅れに聞こえるからフシギである。鬼面人を驚かすことを目的とするようなある種の現代芸術というものは9.11で決定的に終わってしまった。これからは昔通りに、どれほど魂の奥深くまで到達できるかという「精神性」の勝負になってくる。まったく好ましいことである。そういうことを千住博も『美は時を超える』という本で書いていた。
で、「光の天使」である。もうタイトルからして私好みではないか。そうこれは、ウルトラ・ネオロマン主義というべき作風であり、90年代以降のラウタヴァーラはこの作風でブレイクしたのである。それはつまり人々はこういう世界をこそ求めているのだ、ということだろう。スケルツォの楽章は激しいが、その他の楽章はみなゆっくりとした神秘的な音が流れており、ときおりブラスが咆哮したりするのはブルックナーと似ているとも言えよう。基本的には宇宙的な神秘性という感じのもので、武満徹をブルックナー風にしたとでも言えばいいだろうか。これはかなりお勧めですね。ラウタヴァーラの「ヴァイオリン協奏曲」や「天使と訪れ」はいまひとつよくわからない部分もあったが。ともあれ私はあと数枚はラウタヴァーラを買うつもりである。「光の天使」のCDをあげておく(私が聞いたのは Ondine盤である)。(いちおうアマゾンのリンクがついているが、輸入盤はHMVのほうが安いこともある)
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