エルガーの音楽
きょうはエルガーにはまっていた。エルガーのコレクションを始め、届いたCDの中から、「威風堂々1~5・交響曲第一番」(Elgar: Symphony No,1, Pomp & Circumstance Marches 1-5. London Philharmonic Orchestra, Vernon Handley)。演奏はたいへんすばらしい(いちおう、ペンギンガイドでチェックしてから注文するので、滅多にはずれることはないが)。まず超有名な「威風堂々第一番」、これはやはり何度聴いても感動的。というか、これに感動できるのは精神が健康な証拠ではないかと思う。いいかえればこれがダメだという人はどこか精神に健全でない部分があるのではないか・・などとも思う。しかし第一番以外も高揚感のある曲だ。交響曲第一番の方はさらにすごい。なんというかエルガーの音楽には器の大きさとか、包容力のようなものがある。絶対にネガティブな波動が入らないので、基本的な安心感がある。というわけで私の中では既にドヴォルザークと肩を並べるくらいの存在になってきている(ドヴォルザークもまたきわめて健全な音楽である。ドヴォルザークは毎日六時前に起きて森の中を散歩していたという人で、そういう人でなければ表現できない世界があるのだ。「のだめ」にも出てきた交響曲第五番などその典型である)。
実は、私は音楽を聴くこともまたスピリチュアル・ワークであり得ると思っている。『黎明』というニューエイジ界で評判の高い本にも「音楽は喜びに満ちた悟りへの道となりうる」とか書かれていたようだが・・ 実際この世界はどこまでいってもきわまりはないのである。私が再生装置のことをうるさく言うのもほかでもない、そういう自分の経験からなので、つまり、音楽から得られるスピリチュアルな体験の質というものが、ある程度以上の音質でないと十分に得られないからなのだ。私は十万円くらいの投資で、それまで安いコンポの時に経験していたものの少なくとも十倍以上の何かがそこに現れるのを経験したのである。その程度のお金を惜しんでそれをいつまでも知らないでいるのはあまりにももったいないので、そういうことを言っているわけだ。なおこれはクラシックには特にあてはまるが、ほかのジャンルでも同様だと思う。