« エルガーの音楽 | Main | アマゾンでナクソス盤を買うには »

アフターライフ探求シリーズ

依然としてエルガーが私的ブーム。今度は「交響曲第二番」と「ヴァイオリン協奏曲」、それに「コケイン」や「序奏とアレグロ」といったオーケストラ作品。特に交響曲には顕著だが、私には「海」が連想される。波が打ち寄せてはまた帰っていくのを眺めているみたいな感覚である。これを退屈と感じる向きもあるかもしれないが、頭を少しボーッとさせて音の波を聴くともなしに聴いていると、なんだかえもいわれぬ快適な波動に包まれるのである。というわけで、波打ち際に座って波をぼうっと見ているのが好きな人には合うかもしれない。その茫洋とした「満ち引き」の感覚がエルガーの特徴である。

さて久々に「アフターライフ探求シリーズ」である。この手の本を読んだのは久方ぶりだがこれは大ヒットであった。キャシー・ジョーダンの『死と呼ばれる誕生』 Kathie Jordan: The Birth Called Death: The remarkable story of one woman's journey to the other side of life だ。138ページの薄い本なので一気に読む。これは彼女が子供の時に経験した「あちら」の探訪記が中心となっている。彼女には何かミッションがあって、死んだ兄がガイドとして現れ、さまざまなあちらの体験を重ねるという話である。彼女の母親もそういうサイキックな人で、そういう体験をサポートしていたという。驚くのはそのときにはまだ子供であったにもかかわらず、すごい高い霊性を示していることである。そしてその探訪というのもものすごい高次元のところへ行っているのだ。探訪といっても、この世に近いあたりをうろうろしているだけのものも多いので、ほんとに奥深くまで行っているのはそんなにない。前に読んだ『スピリットランド』みたいな、地獄的な領域(アストラル下層)の探訪も興味深いが、それだけでは不十分で、やはりもっと光に満ちた世界の話こそ読まねばならないものだろう。それを読むこと自体が光を吸収することであり、いつかは自分で光を体験するための準備となるはずだからだ。

これまで学んだことからすると、この世の人間というのは本当にものすごく多様である。こういう霊的な話というのは、それを受け容れる準備ができていなければ、いくら言っても納得できるものではないだろう。こういう話を人にするというのは、馬鹿にし嘲笑する人がいることを覚悟の上で、いつかみなにわかる時が来るだろうという確信のもとに、反論や論破を試みず、静かに光を放ち続けていくという決意が必要なことであろう。科学というものの最大の強みは、「結果が出れば、たとえそれが気に入らなかろうと否応なく受け入れざるを得ない」ような形で知識が差し出されることだ。それは人類の知というものの中で科学が新たに獲得した画期的なことなのだが、残念ながらこういう手法は魂に関する知についてはまったく無力である(それをカテゴリー・エラーというのだが)。スピリチュアリティーを否定する人に「否応なく認めさせよう」という「論破への欲望」というものがあって、「霊性を学問で扱う」ことに魅力を感じたりするのも一つにはそれがあるのかもしれないが、それはまったく間違った考え方である。

その上で、いったい哲学というのは何だろうと考える。「あちら」のことを全く何も体験できないふつうの人間が、一生懸命考えたところでいったい宇宙の真理について何を知ることができるのだろう。哲学者として生きるということは、何かとんでもなくばかばかしいことで、それならもっと世の中の役に立つことを仕事にすべきなのではなかろうか。こういう哲学という行為自体に対する深い懐疑を抱いていないような鈍感な人間を、私は哲学者という名で呼びたくない。そのへんの哲学教授は「哲学史研究家」という名称で分類するのが妥当である。ハイデッガーとかそういう現代の一流と呼ばれる人にしたって、「あちらのことを何も体験できない人にしてはかなりがんばった」という程度のものではなかろうか? という懐疑が私にはどうしてもぬぐい去ることができないのだ。プロティノスやパタンジャリ(「ヨーガ・スートラの著者」)がはやっていないのも、ほとんどそれを理解できる人がいないからだろう。

私が考えるのは、中世とはまた別の意味で、「哲学は神学の侍女」ということである。その意味は、哲学とはあくまで補助手段であり、スピリチュアルな経験こそが主であるということだ。それは禅で、「お経というのはトイレットペーパーみたいなものだ」という言葉があるのと同じ意味である。つまり、間違った考え方や癖のために、霊的なエネルギーが通りにくくなっている状況を治療するために存在する知識システム、ということだ。その間違った思考の癖というのは、「リアリティというものは物質的なものが唯一のものだ」ということがまずある。この考えの誤りは、哲学で治療できる。そういう手段としてすぐれているものが現象学であり、そこを入り口として唯識などに入っていくのが、もっとも霊的なものに思想的に接近できる早道である。その唯識をもう少し拡張し現代化することを提唱しているのが『魂のロゴス』という本なのである。

1883991773The Birth Called Death: The Remarable Story of One Woman's Journey to the Other Side of Life
Kathie Jordan


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

« エルガーの音楽 | Main | アマゾンでナクソス盤を買うには »

霊性関連」カテゴリの記事

September 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ