スピリチュアルにおける「米とおかゆ」
さて、「関戸本古今集」につづいて「高野切第二種」も読破、つづいていよいよ「元永本古今集」にかかるか、というところ。これはなんと古今集全巻が残っている。紙も美しい。工芸品ですね。
しかし、こんなことばかりもしていられない・・ いちおうここは「スピリチュアル系ブログ」ということになっているらしい。そもそも「スピリチュアル」って何? というソボクな質問がもっともコワイわけだが、それはこう考える。正統派伝統キリスト教では「イエスが救い主であるとはっきり言い表すこと」を信仰の本質であるとしている。その言い方でいえば、スピリチュアルとは、「人間の本質とは永遠の生命であること」をその本質とする、と言っていいだろう。そのことについて、初めはそれを「信じる」ことから始まり、「予感」を経てはっきりと「知る」に至る過程を、スピリチュアルなことだということができる。
まあ、それが根幹なのだが、そのほかにいろいろなことがある。魂とは何かとか、輪廻転生とかの問題だ。これらについては、「これまで地球の各地で伝えられてきたことをすべて総合する」ことによって新しいスピリチュアルな「地図」を作ることが求められている時代だ、ということである。それが『魂のロゴス』で提唱されている「普遍神学」なのである。
霊的なことがらが徐々に社会に受け入られつつあるという時代の変化を多くの人が感じているだろう。それはいまのところサブカルチャー的なものであるが、これからも社会の変化は確実に進んでいく。
それにしても・・江原啓之は最初『人間はなぜ生まれいかに生きるのか』というマジメな本を出したものの全く売れなかったが、だんだん、「スピリチュアルな考えを広めていくには、『米』よりもまず『おかゆ』を差し出すことも必要だ」と気づいて、女性向けの軽いノリの本を出し、それがヒットした。そして有名になってから、本格的な「米」の本も書き、ある程度は売れるようになった。『スピリチュアルな人生に目覚めるために』というのは文庫の書き下ろしだが、コンパクトに「霊的な知識」をまとめているものだろう。
まだまだいまの世の中ではスピリチュアルについて「おかゆ」的なものが求められているし、江原とはまた違った角度からかみ砕いてスピリチュアルな世界観を解説するようなものも必要だろう。昔あった「まんだら浩+珍太郎」の対話ではないけれども、あの種の「おかゆ」もこれからは作ってみたいと思う。『魂のロゴス』なんかは、どうしてもすでにある種の「感覚」が開いている人にしかわからないところがある。とはいっても、もちろん、そういった「感覚」がないのに本当にわかるということがあるはずもないのだが、しかし、そういう世界への道筋をつけるということも大事なことではある。坂本政道がブレイクしたのも、結局、ああいう人材がいま必要とされているのに、需要に対して供給量が少なすぎるからそれに集中してしまうのであろう。
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「本音」で書いてあるところが面白い。いちばん書きたいのはこういうものだそうで、テレビからは折を見て引退したいと言っている。
つまりいちばんわかってほしいことは、「永遠の生命の自覚に至るまでの霊的な成長」ということなのである。そこをしっかりおさえているところが大事なところだ。