『科学と日常性の文脈』
講義の準備として、ひさびさに村上陽一郎の『科学と日常性の文脈』を読んでみた。
まあ、だいたいは私の理解している通りだったし、それを確認したということ。特に新しいものはなかったが、本当は哲学のひじょうにこみいった議論になるものを、できるだけ日常語を用いてわかりやすく書こうと奮闘しているのはアッパレ、という感じの本である。
テーマとしてはフッサールの『危機』書である。まあ、村上が言うようなことはほとんどフッサールがすでに書いているとも言えるが。
つまり「リアリティとは共同主観なのだ」というパラダイムであるし、その共同性のレベルというのは無限にあり、いわば階層的でもあるということ。そのような共同主観の重層という世界にあって、科学の意味世界は上位層にある。しかし最も基底的なものはわれわれの「生」なのであり、上位の抽象的意味体系である科学を絶対的基準軸として「生」をとらえようとするのは転倒である・・
・・あっと、簡潔に書こうとするとやっぱり言葉がむずかしくなってしまう。これでは普通わからんな。そこのところをかみ砕いて書こうとしている村上はたいしたものだ。
古い本だがロングセラーというのかまだ売っているようである。古本のゲットがおすすめか。
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