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縦書き、そして東西の霊性

これから原稿を書こうということで、「一太郎」をインストールしてみた。

これは縦書きで原稿を書くためである。MS-Wordでは縦書きで入力していくことはなかなかむずかしい。私は、印刷時に縦書きになるはずのものは書くときも縦書きでやるべきだろうと思う。そういうことでこれまで縦書きはエディターでやってきた。まえはQXエディターで、最近はWZエディターである。これでもいいのだが、表現上、どうしてもゴシック体を使うとか、文字装飾をやりたいことがある。エディターではそれは無理なので、ワープロで縦書きができるものといえばやはり一太郎なのだ。

インストールしてみると、非常によく考えられている。「書く」という作業をサポートする工夫がいろいろとなされている。特に「プロフェッショナル画面」という機能は大変便利である。エディターほど軽快ではないのはしかたないとはいえ、原稿を書くには十分そうである。縦書きで文章を書きたい人はすぐさま買うべきであろう。実際、ジャストシステムは、そんなふうに書くことに強いコダワリをもっている人をターゲットに設定して生き残りをはかっていると思われるので、縦書き対応はかなり真剣にやっているのであろう。

前に紹介した石川九楊にはそのものずばり『縦に書け!』というタイトルの本がある。日本人が縦に書かなくなったためにいろいろ文化の堕落が起こっていると言っているらしい(読んではいないが、だいたい他の本の内容から推して)。実際、横書きと縦書きとでは文章を書くときの感覚が大幅に違うことは、いつも経験することである。当然に手書きとワープロでは異なるが、さすがに長い文章を手書きで書くのはいまとなってはきつい。昔はそれが当たり前だったのだが。長い論文を清書して腱鞘炎になったというのも昔の話である。ワープロの便利さはなかなか捨てられない。

それからもう一つ、ワープロの利点は「速い」ということがある。思考の速度に書く速度を近づけることができる。手書きの遅さはある意味では物質性の抵抗であり、その抵抗を感じつつ書くのがよいのだという立場もあると思うが、一方で、思考の速度に書くのがついていかないと嘆いていた人も過去には多いのである。哲学者のフッサールは速記法を学んでそれでノートを書いていた。普通に書くのでは遅すぎて、まだるこしくてしかたがないのだろう。石川氏は、物質の抵抗を感じることに価値を見出しているが、一方で、そうした抵抗が薄くなり、徐々にアストラル的世界にこの世界が近づいているということも、事実としてはあることだ。

それはともかく、私が書こうとするのは、いま「精神世界」といわれているものがまだサブカルチャー的な位置づけになっているものを、もう少し「伝統」とつなげていこうという動機に発している。「アカデミズム」と結ぶというのは、実はどうでもよい。それよりももっと広い意味での東西の伝統である。人間の核心がスピリチュアルな次元にあるというのは何もオカルトでもニューエイジでもなく、それこそ本来の伝統の核心であるということである。それを現時点で論ずるとすれば、当然キリスト教と仏教の長所を融合した霊的世界観ということになる。その意味で、霊的な世界観をもっと「まっとう」なものとしていこうという目的は持っている。

ここで注意してもらいたいのは、私がやろうとするのは「東洋の霊性と西洋の霊性」の融合なのであって、トランスパーソナル心理学がいうような「東洋の霊性と西洋の心理学」の融合ではない、ということである。そういう発想は、いまだ西洋の霊性の深みをとらえていない議論であろうし、何より、キリスト教というものの奥深さを知らない人の発想のように思われるのである。私がウィルバーを批判する点も、西洋人でありながらあまりに非キリスト教的であるということが一つある。キリスト教の深みを理解しないということは、それだけ仏教のとらえ方もまた深みに限界があるということでもある。仏教も、キリスト教と同様、合理的知性だけで到達できるようなものではない。キリスト教に比べて仏教は知性的だから良いというような考えは、神を見失った近代知識人のタワゴトなのだ。

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