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無限の感覚

佐藤美知子『瞑想から荒行へ』、反復読書中。前にも書いたように、べつに「荒行」をやるつもりのない人でも、霊的成長とは何かという視点で読むとたいへん勉強になる。特に気に入った部分を抜き出してみる。

「見よう、見ようとする心が邪魔をするから見えないのです。目で見るのではない。目は脳が進化して突出した部分だから、脳の新しい働きを生むには、見ることを超えなくてはならないのです。そのために、心を遠くにやることを教えているのです」p.118

この、「遠くにやる」というのがここでのポイントだ。

「見ようとする心をなくしてしまうと、すっと、自分が離れていくような、そういう状態になるとすごいものが見えてくるのです。たとえば、空を見てもね、平面的に絵のように見てはだめです。宇宙の奥行を感じなければ」 

「青空の百キロメートル先、千キロメートル先、いや、もっともっと先、その無限に伸びてゆく奥行、それをつかまなければ、宇宙意識なんてわかりっこない。自分のこせこせした苦しみから、出られるはずがないのです。宇宙の一点になりなさい。自分のチャクラに集中する? そんな狭いところで考えているから、変わらない。人生が、変わらない。宇宙の果てまでも、ただ一途に、ずっと見ていくのです。その意識のレベルは、だんだんと伸びてゆく。そのレベルをしっかりと覚えていて、次に瞑想するときは、そこから入っていくこと。思考を動かしたらだめ。これが先生のいう遠くかな、なんて大脳で考えているうちはだめです。だから超意識が目覚めない。みんな、頭で、遠くを想像している程度なのです。考えることをやめて、ただ、ただ、この莫大に広い宇宙へ意識をとばしなさい。もう、考えている自分がなくなってしまうほど、どんどん、気が遠くなるほど、心を遙かにのばしなさい。それは、すごい空間が出てきます。」 p.119

ここには「無限の感覚」が語られているわけで、ある限界を突き破って、本当に無限に接したように感じた瞬間、世界が大きく転回したということは、私の経験としてもある。
ただ、その「遠さ」は、さらに限界なく、広がっているものだ。
何百億光年という距離と言われていても、それはまったく関係ない。私の意識は、どこまでも行ける。
私はそのことを感じたことはあるはずだが、佐藤先生の言うように、もっとそれをねばり強く追求していかねばならないなあ、と思ったのだった。

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