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レイキと世界観の問題

発展系レイキの中では、メジャーなのはカルナレイキとセイキムレイキである。この二つはかなり日本でも広まってきて、臼井レイキと合わせて基本三点セットという感じになる。その次にスピリットレイキ、クンダリニーレイキがあり、その他のエネルギーワークとしては、シルバーバイオレットフレーム、アバンダンスレイ、ラベンダーフレイムオブクアンイン、アテナウィズダムレイ、エンジェルリンク・・なんてのがある。そのほか、インド系のディクシャ、西洋神秘学系のものだとか・・

百花繚乱状態だが、これはある意味では、ちょうどルネサンス期のイタリアに近い精神状況で、その当時も、教会の支配から解放されて、一気に神秘学的な思想や技法が流入していったのだった。新プラトン主義の思想には、そういう「現実的な神秘学的技法」の世界が背景にある。私が「新々プラトン主義」を提唱するについてはそういう時代背景の類似ということもある。

教会の権威の崩壊というのは、いまでいえば、唯物論的世界観の権威の崩壊ということだ。そしてアカデミックな知的世界の近代主義の崩壊ということでもある。

気功と比べてレイキなどのエネルギーワーク(エネルギー伝授システム)はさらに反近代主義的である。
なぜかというと、この前書いたようにこれらは密教的なシステムであり、つまり、「超人間的な知性との契約」という概念なしには成立しないシステムなのである。つまり、この人間の作り出している世界(いわばそれは共同幻想だが)の外側にいる高次元存在があり、それとの契約によってあるエネルギーが、この物質次元の外側から物質次元の中へと流れていくことになっている、ということを意味するわけだ。つまり、この物質次元以外にも別種の世界秩序が存在し、その次元間の交流が行われている、という宇宙モデルへのシフトがそこには含まれている。

アカデミックな、というか、社会のメインストリームである唯物的世界観への信頼がまだ残っている人にとっては、とても受け入れられるようなパラダイムではない。つまりそうすると、レイキ的なことがらが受け入れられるためには、まずそういう近代主義的な世界モデルが揺らがなければならない、ということになる。

しかしながら、近代主義的な世界モデルには確固たる根拠はなく(それが「科学的に証明されている」と考えるのは、科学の本質について無知なことによる愚かな考えである)、それ自身は一つの形而上学でしかない。ここで考える必要があるのは、いろいろな世界次元が何重にも重層して、かつ調和している、という宇宙ヴィジョンである。これはある意味ではライプニッツ、スピノザ的世界観の復権でもある。

話がむずかしくなったが、つまり、気功と比べてレイキ系はさらに「コア」であり、受け入れるには時間がかかることが多いだろう、ということになる。気は認めても高次元存在との契約などというコンセプトは受け入れがたい、ということが多いのだ。それは、「悟り」といえばインテリにも受けるが、「聖霊による救済」といわれると宗教ぽいと感じてギブアップする、というパターンと似ている。つまり、合理主義的な世界了解からジャンプできていない。気とか悟りとかいうコンセプトは、一見すると、近代合理主義をほんの少し拡張すれば理解できるように見えるのだ。しかしそういう理解では浅いところまでしか到達できないし、さらに追求するとディープな世界にならざるをえないのだが。

そのような、レイキ系にある「高次元世界との契約によるエネルギーの流れ」ということは、シャーマニズム以来、過去の宗教にも普通にあったことであって、そういうコンセプトに今さら「えっ!?」という反応をする必要はない。キリスト教で「旧約・新約」の「約」とは契約の約にほかならない。契約によって聖霊というエネルギーが動くのである。
原始仏教・上座部仏教ではそういう側面を排除しようとしていたみたいだが、仏教でも密教系になるとそのようなコンセプトそのものになってくる。念仏だって阿弥陀仏との契約である。つまり霊的次元との契約というコンセプトはおよそ宗教現象のコアになっているものである。これは超近代主義的な宗教理解であるが、実はそれが本質だと思っている。

「知的権威」の崩壊という現象がある。学校の先生に権威がなくなり学級崩壊などしてしまうのはそのネガティブな面だが、反面、偉い人々がいう「マジメの世界」をあまり信用せず、自分の心の赴くまま平気でコアな世界に入っていく人が増えていっているという面もあり、レイキ系ワークの発展はそういうことの現れでもあるだろう。

キリスト教の世界でも「ペンテコステ派」が世界的に増えている。これはよく知らないが、聖霊のエネルギーを受け取ることに中心をおいたキリスト教で、実際にエネルギーが入って集団でエクスタシーに入ってしまうというような、かなりオモシロイというかアブナイものであるらしい。シャーマニズムの伝統があるアフリカやラテンアメリカ、韓国などでは相当隆盛である。しかしこれこそが原初のキリスト教のパワーなのだ、とも言えるのだ。

一般論的にも、およそ宗教現象には反社会的な性格、つまり既存の秩序を脅かすような要素があるものである。あんまり世の中の常識に忠実に「いい子」になってしまうとパワーを喪失するのがならいである。だから「スピリチュアル思想家」たるものも、多少は世の中に危険人物と思われている方がいいのである。

ま、そういうところである。
それから、このブログで勉強してます、という人があるが、基本的にブログという形式は、体系的な勉強には不向きである。どういう予備知識の人がどこから入ってくるのかわからないので、一から積み上げてきちんと理解していくということはできない。だから基本的に「勉強するつもり」で読むものではないと思っている。他人の仕事場をのぞきに来ている、というイメージの方がよいだろう。私もべつに、勉強してもらうつもりで書いてるのではない。最初から、きちんととした論述をするつもりはないので、時々わけわかんなくなることについては責任を持つつもりはない。ということで・・

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