アセンション本をめぐって
アセンション本といわれるハードコアの本について、この前、「よくわからないところは神話ととらえ、エネルギー的に読め」というふうに書いた。神話というのは、私たちの「常識への安住」に揺らぎを与えるため、あえてそうしているというふうにもとれる。常識という安全な枠組から踏み出す勇気がないと、なかなかこういう本は手に取れない(なんも考えずに読み始める人もあるだろうが)。そこが一つの意識変容のための方便になりうるということかもしれない(ちょっと考え過ぎかも、だが)。
その後いくつかチェックしてみたが、なかなかよい本と本当のトンデモ本が混在しているようなので、いよいよ読者の見極めは重要になってくるらしい。トンデモ本の方が多いかもしれない。
その中でよいのは『ハトホルの書』であった。
アセンションのプロセスには終わりがありません。アセンションのゴールとは、ある特定の意識のオクターブに達することではなく、自分自身を愛にゆだね、そして人生に起こりくるさまざまな状況に対して最高次の可能性にゆだねることなのです。そうすることが全体に貢献することになり、同時に個人が意識を高めることにもなると考えています。ですからアセンションするかしないか、あるいは肉体上の死に向かうか否かは問題ではありません。アセンションという現象をまるでマラソン競技のように見なし、最初にアセンションにゴールした人が「勝者」だと考える人もいるようですが、わたしたちはそういうふうに見ていません。(中略)
わたしたちの念頭にあるアセンションのゴールとは、日常をできうるかぎり豊かに精一杯生き、常に自分を愛と気づきという偉大な力にゆだねて生きることにほかなりません。存分に生き、日々のどんな場においても最高次の可能性を生み出すように努めるなら、わたしたちの文化、種族、共同体、文明全体が高められます。わたしたち全員が現在の次元にとどまるかどうかは問題ではありません。なぜなら無限の大宇宙を生きるわたしたちは全員、いずれアセンションすることになるからです。新しい千年紀にあたってのわたしたちのアドバイスは、時刻表やら現在の現象やらにあまり囚われないにということです。どんな現象も自然に収束するものです。しかもそれらは大宇宙のなかで、人類の思考や干渉には影響されない部分に属するものなのです。したがって、まずはあなたが手掛けられることから変えてゆくほうが、この場合ははるかに有益であると思われます。そして、あなたが手掛けられることというのは、あなたが世界にもたらす愛を増やすことなのです。
p.159-160
なかなか『神との対話』的な表現・・
ここだけ見ても、この言葉を発した存在(よく知らないが)が、たいへん「まとも」な考え方をするものであることがわかる。
フォトンベルトとか、一部でいろいろ言われることも、あんまり気にするなと軽くかわしている場面もある。
たしかに宇宙文明からのメッセージという設定自体はトンでいることだが、内容的にはグラウンディングの効いた、きわめてまともな「霊的成長についての本」という印象で、なかなかのものだった。それと、エネルギーワークと、音を使ったワーク(トーニング)についての情報がある。このエネルギーワークも私から見るとなかなか理にかなっていると思うし、全然トンデモ本じゃなくていい本である。
アセンションというコンセプトは、宗教学的にいうとキリスト教の終末思想の現代版という側面もある。
そういう面もあるのだが、シュタイナーの『エーテル界におけるキリストの再来』でも言われているように、霊的変化によって次元変容していくというのは、基本的に内面的プロセスとして理解すべきものだろう。
それを物質的な次元の終末に結びつけて終末感をあおるのは、いささか問題だ。
たしかに地球自体のエネルギー変化は存在していることは事実だが、上の引用のように、もう少し地に足をつけた理解をすべきだろう。
それにしても、気がついたことだが、
最近のエネルギーワークはどうも、ハートチャクラを中心としているものが多いように思う。
これはなぜだろう? 伝統的なヨーガは、下から上のチャクラへとエネルギーを上げていくのだが。ヨーガに熟達している本山博師は、第一チャクラから目覚めさせると危ないからまず第三の目のチャクラを目覚めさせろ、と言っているが、ハートチャクラという話はない。気功では基本的に丹田重視であるのはもちろんである。ただ禅密功のようなスピリチュアルな気功だと、第一と第六(第三の目)も重視される。
時代の変化にともなって、エネルギーワークのやり方も変化していくのだろうか? 興味深いテーマである。ちなみに私も、ハート中心のほうがしっくり来る感じがする。べつにどれでなければいけない、ということはないと思うが。
それにしても・・
まさかこの種の本を紹介することになるとは・・
私の中で何か抑制か恐れが解除されてしまったかもしれません(笑)
この本に限らず、この手のものは、
自分で吟味し、受け入れられないところは読み流し、フィットしたものだけ取り入れればよい、
という、そういう読み方をするべきものと思う。
本を作っている方(それが何者であるかは知らないが)も、そういう前提でやっているし、序文にそういうふうに書いてあることも多い。
それがエネルギー的な読み方というものだろう。
すべては方便である。
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