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レイキティーチャー

最近のことといえば・・

太極拳「総合コーチ」の資格取得!

ってのがある。教えられる種目は、簡化24式、48式、32式剣の三種目である。それはまあいいとして、次に、

ついに「レイキティーチャー」を取得!

ってのもある。まだ早いとは思っていたが、割引価格だったのでこの機会ということで取ってしまった。
アチューンメントの実地練習もしたが、なかなかおもしろい経験。
というのはやっぱり「聖なる次元」とつながって儀式を行っている、という強い感覚があるからで、そこに聖なる時空が開かれるということが経験できる。
過去の多くの宗教儀式というのも本質はそういうものだったのだ・・いまそれが宗教という枠を外して体験できるようになっている・・ということかも。

アチューンメントも、せっかく習ったものなので使うつもりである。具体的には、少し慣れてきたら、週一日か二日のペースで、アチューンメントを提供していこうと思っている。HPなども作ったりして。
ただ私の習ったティーチャーは、「伝授だけでなくヒーリングも平行してやっていったほうがいい」と言う。そのほうがヒーラーとしてバランスがとれるという。
たしかに、アロマやオーラソーマなんかのサロンに、伝授だけがメニューとして入っているなんていう例は多いが、ヒーリングをメインメニューとしているところは伝授をやるところ全体の3割くらいらしい。

ヒーリングも本格的に行うとなると、多くのところでは、臼井式レイキだけではなく「カルナレイキ」を併用している。実際、臼井式レイキだけでは対応できないこともできるようになるそうである。カルナをやると臼井式も強くなるので、ヒーリングを本格的にやりたい人はカルナまで進んだほうがいいらしい。

また、セラピューティックタッチやクォンタムタッチなどとの併用も効果的ではなかろうか。そのあたりも研究してみたいところだ。

しかし、病気の人がいろいろやって来るというのも正直言ってかなりたいへんそうなんで、考えるところではありますね。あまり安易に考えないほうがいいということはまちがいない。

ヒーリングについては遠隔という形もあるので、こちらの「美しさの中を歩め」でも、遠隔ヒーリングのモニター募集なんてことをやるかもしれない。乞うご期待!

ゲートウェイの話

さっき、みみねっとあきこさんのページを見ていたら、ゲートウェイの話があった。
フォーカス10に行ってみると、真っ暗でブラックアウトした感じで、何も見えない。体は金縛りにあった感じ、とある。そこにずっといると退屈してくるとか(^_^; で、彼女はイメージでいろんなところに行ってしまった、という話。
フォーカス12でもやっぱり黒い世界だが、押さえつけられるような感じはなくもっと拡張した感覚だという。
それを読んで、やっぱりね~~と思ったわけだが、というのも私の経験でもそんな感じだったわけね。
ゲートウェイの世界(最初の方だが)はどうも真っ暗なんだな~~と思った。真夜中の砂浜にいるみたいな感じなんだが。私もこれがずっと続くのは退屈のように感じた。
で、英語の誘導瞑想テープでは、もっとまばゆい光の世界に連れて行ってくれるものもあるので、そっちの方に走ってしまったりしたわけだが。
そんなわけでフォーカス12以上はあまりにまじめにやっていないが、いつか藤崎ちえこさんのワークショップなどには行ってみたいとは思っている。
というのも、ヘミシンクは確かに、自分のエネルギー体に作用してくるという感覚ははっきりとあるからだ。エネルギーフィールドというか、そこの波動を変えていくということは間違いない。それは体感的にわかることである。

むかしはこういう思考も・・

ひさびさに昔のブログを読み返してみた。
そうすると、自分で言うのもなんだが、今の自分にはとってもこんな文章は書けないな~~と思うことがある。
私はある部分では退化してるんですかね? 最近はあんまり論理的でなくなってきたし。

特に2004年11月のブログはすごかった。これって中越地震直後ですね。ある意味でハイになってたのかも。
でも12月にはエネルギー的変調を来してダウンしたのでした。

http://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2004/11/index.html

もっとも今の気分としてはもっと「マッタリ」がよろしいので、これでも私にはちょっと「論破モード」に過ぎるような気がする。こういうふうにやっていると反動がくるのだ。

広義の体外離脱について

で、藤崎ちえこ『魂の帰郷』には、「体外離脱そのものが目的ではない」とある。ヘミシンクは体外離脱をしようとするものだ、というのは誤解なのである。さらに重要なことには、広義の体外離脱というのがあって、つまり、肉体の意識を残したまま意識の一部が違うところへ行っている、ということもあるということ。四次元、五次元と高次元になってくると、「肉体の中にいるという感覚ももちつつ、体外離脱が可能」なのだという(p46)。だから体外離脱というのは1か0かの世界ではなく、「フェーズ、あるいはアナログであり、つまりは何パーセント肉体から出ているか、という説明のほうが理にかなっている」(同)という。

ということは、「脱けた」「脱けない」というのとはちょっと違うということ。肉体意識はあるが、意識の一部が異次元に行っているとか、異次元を見ているというケースがあるということは、私の経験に照らしても納得がいく。私は完全にスポッと100%の離脱になったことはないのだが、意識の一部が別の場所にいることは経験がある。

一般には「見える」ということについて大きな誤解がある。「見える」というのはもっと微妙なもので、肉眼で見るのと同じように見えるわけではない。そういう人も多少はいるだろうけれども。頭の中に直接電極みたいなものを差し込まれて、脳の中にあるイメージが出現するみたいな、そんな見え方もある。肉体を経由しないチャネルで情報が入ってくるみたいな感じで、なぜそういうことがわかるのか、自分でもメカニズムが理解できなかったりする。

ま、私はちえこ先生のミーハー的ファンなので、『魂の帰郷』もおすすめしておこう。

魂の帰郷―あなたはなぜ生まれ、どこへ帰っていくのか魂の帰郷―あなたはなぜ生まれ、どこへ帰っていくのか
藤崎 ちえこ

あまり深く考えていないコメント

例の「オーラの泉」っていう番組のことで、こういう情報が出ている。
私も言いたかったことだったので、勝手にリンクをしてしまおう。
http://www.diviner.jp/Library/AuraNoIzumi/index.html
ちなみにこれを書いたのは私の知ってる人である。いつのまにかスピリチュアルカウンセラーをパートタイムで始めてしまったらしい。突如「お呼び」がかかって、「ガイド」をナビとしてロードスターで巡礼に出かけてしまうような人である。

それはそうと・・藤崎ちえこ『魂の帰郷』も買ってしまった。こちらはちえこ先生の写真が入っている。カワイイ~~(←ミーハーモード)。あ、私から見てカワイイのであって若い人が見たらおばさんかもしれませんよ(笑) なぜか年齢のデータは書いてないが・・ それで本の内容の方は、ヘミシンクとの出会いなんかが書いてある。

あと、萩尾望都『マージナル』を読んでる。これは完成度としては『バルバラ異界』以上かもしれない。あまりに良いので、早く読み終わるのがもったいなく、少しずつ読んでるような感じ。

本と言えば・・『魂のロゴス』や『忘れられた真理』のアマゾンレビュー、誰か書いてくれませんかね(もちろん好意的なレビューだけど)。レビューを書くっていうのは敷居が高いんだろうか。私にはとてもレビューなんて、ていう人がいるかもしれないが、まあはっきり言って内容なんて二の次なのよ(笑) 星です星! 五つ星レビューが並んでいれば見ている人は買う気になるわけ。「これすごくいいからとにかく読んでみてよ~」なんて無内容なレビューでもあった方がいいんです。一種の人気投票みたいなもんね。
こんなこと書くのもなんだけど、もう少し売れなくっちゃ次の本がなかなか出せないもんで・・

なんかきょうは無内容でまとまりないが、このへんで。

藤崎ちえことヘミシンク

このブログは毎日更新するというものではありません・・最近ネタ切れかも。というか、「ここに書けるようなネタ」がないということか。ウラでは、いろいろなことが進行中・・だったりして。

藤崎ちえこ『天国の法則』って読んでみた。これは精神世界・・というより私は「ニュースピリチュアルフィロソフィー」って呼びたいのだが、そういう今なんとなくできつつあるスピリチュアル世界観をヘミシンクの体験からまとめたもの、といったらいいか。そんなに傑作っていうほどのエネルギーはないけどまあまあかな?という感じか。彼女も越智啓子と似たパワフルおばさんのタイプ(いや、おばさんって言ったら怒るか)。この本にはないけど別の本には写真が出ていてなかなか美人ですよね。

この世界観は誰が書いてもある程度は同じになってしまうのはしかたないので、問題はそこにどれだけエネルギーが入っているかということになるかも。藤崎さんについては他のヘミシンクにフォーカスした本の方がもっといいのかもしれぬ。次に読んでみたい。

しかし彼女についてはワークショップの方が有名。ヘミシンク関連のワークショップをやってるとこって、例の竹中大臣に似てる「光明庵」と、藤崎さんの「心の森研究所」が日本ではメイン。そういうので、すでに相当数の人がいろいろ体験をしてしまっているっていうところがポイント。

つまりもう、ただ理屈であれこれ言うだけの時代ではないっていうこと。ヘミシンクはいろいろの技法の一つではあるけれど、こういうものってやっぱり21世紀的というか、これからの文明の方向を示唆するようなワクワク感を感じさせるものではある。アメリカ人のフロンティア・スピリットの最良の成果。

こういう体験をする人がどんどん出てきて、今の状況は、前衛的な人と保守的な人の差がものすごく開いて来てるということじゃないだろうか。アカデミズムなんて問題外であるのはもちろん、トランスパーソナル心理学にしたって、もう今じゃ、どっちかというと「スピリチュアルに興味はあるけれどあまりコアなものには入っていけない人が集まるところ」という、スピリチュアルの世界ではやや後方に位置するようになってきてるかもしれない。

私はちょっとメタミュージックのCDがほしくなってきた。いきなりゲートウェイのCDというのもなかなか敷居が高いので、メタミュージックでリラクセーションを練習しつつヘミシンクに慣れていくというのは賢いやり方かも。心の森ではワークショップの準備として聞くおすすめCDをいくつかあげているが、たくさんあってどれを選んでいいかわからない人にはありがたい。そこでは一枚3150円・・決して高くはないが、私はモンロー研究所のサイトで買ってしまう。ここは一枚19.95ドルで送料一枚4ドルと、心の森とそれほど変わらないが、「3枚買うと1枚おまけキャンペーン」があるのだ。これは魅力ですね~

しかしゲートウェイの日本語版もたちまち出てしまったし、これからもますますはやっていきそうである。
時代のエネルギーが急速に変わっているので、置いて行かれないようにしないといけない。

天国の法則―人生を劇的に変える22のスピリチュアル・レッスン天国の法則―人生を劇的に変える22のスピリチュアル・レッスン
藤崎 ちえこ

5.22追記
ヘミシンクCDを売ってるショップはたくさんあるが、みな3600円以上とかの値をつけている。これってモンロー研から買って横に流しているだけなのよ。英語ができるというだけで一枚1000円の利益とはちょっともうけすぎじゃない? そこへ行くと心の森は良心的な価格ですよ。モンロー研サイトで買うのがいちばんいいけど。ウッカリ高いサイトで買わないように・・

「なごり雪」

なんか最近ココログが重くて更新ができないことがある。

きょうはずいぶんひさびさにDVDの映画を見た。大林監督の「なごり雪」である。これはもう・・またも大林ワールド炸裂ですが、はっきり言って完全な「中高年向き映画」、45歳未満お断りという感じ・・ たとえば、「あのとき、あの人と結婚していれば人生は今どうなっていただろうか・・」というような思い残しが少しでもあるような人には、かなりコタエルものがあったりする作品、といったらよいか(いや、私のことじゃありませんよ)。つまり、人生にはあとから考えるといろいろ分岐点や選択肢があったのだが、そこであまり深く考えずに選んだことが、今になってその結果が現れ、そこで自分のもう一つの「あり得たはずの人生」を思う・・というような、人生の後半期の気分を映し出している映画なのである。その名の通り「なごり雪」という歌の雰囲気を映画にしたような感じなのだが、その「なごり雪」はイルカではなく伊勢正三のバージョンである。イルカのは、透明感・清涼感のようなものがあるが、伊勢のオジサンのはもう少し、浄化されない感情がドロドロと・・というようなところがちらちらと感じられる。

舞台は大分県の臼杵の町・・臼杵石仏ってのが有名で、私はもう20年位も前に行ったことがあるのだが、いくらなんでもあんなボロの駅じゃなかったと思う・・古い町並みからノスタルジックな映像を作り上げる監督のマジックが見られるが、現実の臼杵ではなく、思いの中にある町である。

登場人物のしゃべり方からして他の映画と全然違うので、舞台のように言葉を明瞭に発音してしゃべる。せりふもクサイとも言えるが、舞台なのだと思えば理解できる。

大林監督の作品は、たとえば「時をかける少女」や「ふたり」のように、少女を主人公にした映画でも、決して子供向けなのではなく、大人がノスタルジーに浸るための映画になっている。「時をかける少女」は原田知世のアイドル映画として制作されたのだろうが、できあがりは全然違うものだ(だから今でも残っているのだろうが)。

この「なごり雪」は、作品テーマとしては、石田ひかりが主演した「はるか、ノスタルジィ」にかなり近い傾向のものだろう。・・と、思わず、大林作品に詳しいことがばれてしまうが、実はこの世界がかなり好きであることは否定しない。「なごり雪」については「たくさんの人に見てもらいたい」とはあんまり思わない。むしろ、大林監督の世界があまりよく理解できない人は見ないでほしいという感じがする。よく分かっていない人に「なんだこれ?」などと言われたくないのだ。片隅でそっと大事に取っておきたいような、そういう世界なのである。

ウィルバーについてのコメント2

もう一丁、ウィルバーだが・・ 私の彼に対する評価は、

認識論 ◎
存在論 ○
発達論 ×

である。認識論がいちばんの貢献である。
ホラーキー(ホロン階層構造)という世界観も、まずまず。
ただ、いただけないのは意識発達論。特に『アートマン・プロジェクト』はダメ。
これは、エーリッヒ・ノイマンの『意識の起源史』の影響を受けすぎだろう。ノイマンはユング派の学者だが、こういう発達史のパラダイムはかなり古い。
ウィルバーのいう、プレパーソナル-パーソナル-トランスパーソナル、という発達段階論は、単に理論上だけでつじつまを合わせたものにすぎず、意識という現象の実態を反映していない。
プレパーソナルという意識段階など、実在していない。そのような段階はないということ。実は、トランスパーソナル的領域にある個的意識の根源(唯識では阿頼耶識と呼ぶが)が、物質界という共同主観領域に適合した知覚・意識システムを形成していく過程が実在しているだけである。それが幼児期には十分に発達していない段階を、プレパーソナルと呼んで独立させているが、これはノイマンとピアジェをむりやり接合した頭の中のアクロバットに過ぎないと思う。

従って、「前・超の虚偽」(プレ・トランス・ファラシー)などというものは存在しない。
つまり、プレパーソナルとトランスパーソナルではまったく違う世界を見ているという理論は完全に誤りで、実際には同一である。ただ、そこに物質界的知覚・意識システムが十分に機能しているかいないかという相違に過ぎない。これは精神世界系では一般に「グラウンディング」と呼ばれる。つまり、わけわからず「行っちゃってる」人も、そうでない人も、まったく存在論的に違う世界を見ているわけではない。行っちゃってるというのはつまりグラウンディングができているかいないかという問題だ。

「前・超の虚偽」というコンセプトは、ニューエイジ系であまりにグラウンディングできていない人が多いので考え出されたというが、プレとトランスを存在論・意識発達論的に完全に分離するのは、理論的に行き過ぎであり、意識現象の現実とはかけ離れている。このようなコンセプトを信じている人とは一線を画さざるを得ないね。

ただもちろん、あっちを見ているといっても、あっちといっても千差万別だという問題はある。つまり「あっち」だといっても「こっち」より高いとは限らないということ。ここで、さらに次の、ウィルバーの致命的な理論的誤りが明らかとなる。

それは、彼の言う「微細次元」(一般的には「アストラル」などと呼ばれるが)を、一方的に物質次元よりも高次な領域だと見なしていること。これは決定的な誤謬である。

これは、たぶん、彼は修行が禅なので、魔境をできるだけ回避しようとしており、その結果として、アストラルの下位的な世界を見聞する機会に乏しかったということが一因ではないだろうか? ところが、日本の伝統的な「霊能者」のたぐいは、どうもこっちの世界が専門といってもいい。また好むと好まざるに関わらず、体質的にこういう領域に感応してしまう人も結構多い。そうして、下位アストラル(これはウィルバーの言う「下位微細」とはまったく異なるものだ)を知ってしまった人は、ウィルバーの理論にリアルさを感じないだろう。早く言えば、

ウィルバーは、「地獄」を知らない?

ということになるのかもしれない。もちろんそんなもの知らないに越したことはないのだが、ここで言うのは、「意識の地図」を作るのであれば、それを知らないというのは許されないということ。

アサジョーリは、そうした領域を、上層・中層・下層の三つに分類している。実はこちらのモデルの方が、意識と世界の実態をつかんでいる。

私はユングだってたいしたことないと思っているが、心理学者の中でいちばんものがわかっていた人はアサジョーリである、と確信している。

ウィルバーの理論構成では、トランスパーソナル的であり、かつ一般的な自我レベルよりも「低次」な意識領域というものは存在し得ない。個を超える領域は必ず自我よりも高次であることになっている。

従って、たとえば、自我レベルではあまり人格的に発達していないが、アストラル次元のことはやたらに見えてしまうような霊能者のたぐいというのは、説明困難となる。勢い、ウィルバー理論からすれば、そういう人はリアルな向こう側を見ているのではなく、それはプレパーソナルなんだ、単なる自分の無意識なんだという以外に理解のしようがなくなる。
同様に、自我が未発達な子供がしばしば霊的なものを見てしまうという体験も、説明できなくなる。

これはすべて、「アストラルを一方的に物質次元より高次だと考えてしまう」ことからくる理論的欠陥である。
しかしこの欠陥は、実用的には致命的なのだ。それでは、実際にスピリチュアルな発達に伴う様々な問題に、的確に対処することができなくなる。実際にはまったく使えないのだ。

この理論的欠陥がわからないという人は、実際の霊的体験がいささか乏しいのではないかと思う。
「見える」ことは特に成長とは関係ない。成長しなくても見えることはあり得るのであり、「何を見るか」が問題なのだ。生まれつき見えてしまう、ということは、生体エネルギーのシステムに先天的にあるバランスの狂いがあれば、簡単に起こってしまう。
正直言って、ウィルバーほどの人がどうしてそのくらいのことがわからないのか、理解に苦しむのである。
たぶん、先にふれた「前・超の虚偽」も、これと関係している。
つまり、グラウンディングできていないアブナイ人が、本当の「向こう」を見ているはずがない、という思いが、ウィルバーにはあるわけだ。だから、前と超を全然違うものだという理論になるのである。それはアストラルの多義性を見損ない、一方的にそれを「高次」として措定しまったことにより、理論的混乱に陥ったのである。

日本のトラパ関係者もこういう誤った考えから早く脱しないと、いつまでも実質的な霊的発達へのサポートというレベルに達しない。いまんとこ、そういうレベルには全然ないという実態を厳しく見つめるべき。

意識現象の実相としては、ウィルバーがいうような、物質次元が基層となって、その上に微細領域がきているという積み上げ構造ではない。
むしろ、アサジョーリモデルが示唆しているように、アストラル的次元の広大な広がりのなかに、ある「特殊領域」として物質領域が切り開かれているのである。つまり、「地層」というイメージではなく「海のなかの島」というイメージの方が、実態に近い。

私がウィルバー理論のなかで特に「嘘っぱち」と考えているのは以上のような点である。


ウィルバーについてのコメント

どうも失礼・・前回「非物質的リアリティについての記述が少なすぎる」と書いたのはもっぱらウィルバーについてだ。そもそもどこまでをトラパというのかということもあるが、グロフなどでは、「過去生とも理解されるような経験」が生じることは事実として確認されている。ガイドのような存在との出会いだって、現象としては認知されている。前世療法についてもその事実そのものは動かないわけで、その事実についての「解釈」がさまざまなのである。しかし当のワイス博士自身、べつに転生を信じなくても過去生療法の効果には変わりないと言っている。ミンデルでは、ワークの途中で非物質的な存在とのコンタクトのような経験が生じうることは視野に入っているようだが、その扱いはかなり微妙なものがある。しかしミンデルには、何が出ても驚きませんよという感覚があるみたいだ。

私がどうしても疑念を感じるのはウィルバーなので、私はこの人には霊的知覚力があまりないのではないかと疑っている。もちろんスピリチュアルな自覚というのはある。しかし、そういうのがあっても実際に非物質的な諸世界を知覚する能力はそれほど発達していないというケースもありうるのだ。もちろんかなり究極近くまで覚醒してしまえばそういう矛盾はなくなるはずだが、途中段階ではそういう能力のばらつきは生じうる。スピリチュアルな自覚は低くてもアストラルのある領域についてはやたらによくわかるとか、そういうことがあると思うのだ。ましてウィルバーの実践したのは禅であり、これはすべてのそうした知覚を魔境として退けるのだから、そういう「禅的バイアス」が彼の理論にはかなり入っている。密教を実践していたら全然違ったものになっているはずである。その意味で普遍性に欠けているように思う。従って、ウィルバーに心酔している人というのは、彼と同じような傾向を持っている人が多いということになる。スピリチュアルな自覚には関心があるが、そういう中間的な世界はできれば避けて通りたいという傾向を持っている人が集まってくる。知識人にはそういうタイプが多い。

なので、ウィルバーは、自分自身で直接知覚できない領域のことについては、文献や霊的知識などを元に頭でまとめてしまっているような印象がどうもしてしまう。そのへんでちっともリアルでないという感じを与えるのだ。

なお断っておくが私はウィルバーを全否定しているのではなく、よい点も疑問の点もあるということで、それは他の思想家についてと同じことである。これが最高だ、これしかないと言ったらそれは個人崇拝である。まして、その思想家以外にほとんど勉強していないのに、それが最高などとして祭り上げたりしたら、ちょっとシラケちゃう人も出てくるんじゃないかなあ。プロティノスも読み、唯識も大乗起信論も読み、西田幾多郎もハイデッガーも読み、キリスト教神秘主義も密教も、宗教学も学び、さらにスピリチュアルな経験のデータベースも、臨床データも、また現代のスピリチュアル文献の言うところも全部理解した上で、私はこういう世界観が妥当だと思います、というふうでなくてはいけないのでは。私も全部やってるわけではないか、そうした方向の勉強の上で、決してウィルバーが最高ではないと判断している。私は何か間違ったことを言ってますか?

それから、「ウィルバーは、中間的世界のことをはっきり書かずに逃げてるぞ」と批判しているのは、私だけではない。私が読んだ範囲では、Wilber in Dialog という本で、正確には覚えてないが、McDermott だったか、あるいは Rothenberg だったかの論文で、はっきりそう書いてあった。つまりウィルバーは「非物質的存在者」の問題を曖昧にして、それがユング的な元型だとか何とか、要するに合理化してごまかしてるんじゃないかという話だ。だからアメリカの学者からもそういう批判が出ているんで、私だけじゃない。それはウィルバーの発達論が完全に「自力」にのみ集中し、「他力の道」をほとんど軽視していることとも関わっている。私が思うにそれはウィルーのもつ「脱キリスト教の欲求」の表れである。「他者としての神」による救済の道というキリスト教的な道を捨て去って、仏教的な自力覚醒の道へのシフト。つまりスピリチュアリティーの東洋化の試みなのだ。それは彼が、他者としての神をもはや信じられなくなったという、現代知識人における「信の欠如」という状況にあるからだ。

しかしこの東洋化とは、都合のよい部分だけを切り取って理想化した東洋であり、その意味で、オリエンタリズムである。「トランスパーソナルにおけるオリエンタリズム」というのは興味深いテーマだ(Rちゃんもそんなことをむかし言っていたな)。

つまり「伝統的な他者としての神をもはや信じられなくなった人々は、どのようにスピリチュアリティーを見出すか」という問題設定になっている。神だけはない、天使とかガイド、シャーマン的な「盟友」など、非物質的意識体との交流によって霊的に進化していくという伝統の否定である。そのようなものがいかがわしく思えてしまうという人が、ウィルバーに救済に見出したような気になるのだろう。わかりやすいことばで言えば、こういう人は守護霊と低級霊、あるいは高次神霊との区別ができない。そういう識別の自信がないから、全部いっしょくたにして、とにかくこういう世界はイヤなんですということになってるのではないかな。

いや、イヤならイヤでいいんですよ。それがいけないとは少しも言っていない。そういう世界がイヤな人のために、たとえばヴィパッサナみたいな修行法があるわけだ。

ただ、イヤなのはあくまで非論理的に、ただ自分はイヤだからイヤなのだというふうに自覚をしてもらいたいわけ。いけないのは、そういうイヤなことを合理化したり、権威づけようとする、つまり普遍化正当化しようとすることである。こっちの方が正しいんだ偉いんだというふうになってくると、これはちょっとエゴトリップが入ってくる気がします。ヘタにこういうふうになってくると進歩が遅くなると思うので、とにかく、イヤなものはイヤ、と非論理的、女性的に(というと怒られそう(^_^;)思ってしまえばよいのではなかろうか。イヤだというのは、その時点では近づかない方がいいため、ブロックがかけられているということもありうる。つまり無意識レベルでのメカニズムとしてはそれで完璧なプロセスであるということなので、イヤなものはイヤ、でよいのだ。時期が来ると何かのきっかけが与えられると思うので。私は、「いつかは」こういう世界とも会うときが必ずくると思う。

絵で見る死後体験

出てから少したってるけど、坂本政道『絵で見る死後体験』ていう本を見た。

いや~、これいいですわ。「わかりやすい」とうたっているだけはある。これは、坂本氏と女性ジャーナリストの対話という形式になっていて、タイトル通りイラスト入りで、向こうの世界はどのようになっているか解説しているもの。そのまとめ方が、ホントにわかりやすい。『死後体験』シリーズ三冊のエッセンスがわかる。一般的な死後世界から、輪廻や、銀河の果て、宇宙の源まで、全領域をカバーしている。

それから、今までの情報でははっきりしなかったところも明確になっている。特に、ヘミシンクと体外離脱との違いについての説明は貴重だろう。つまり、ヘミシンクは必ずしも体外離脱そのものをめざすものではなくて、肉体レベルの意識を残したまま、意識のある部分が異次元を体験することも可能(むしろそっちの方が普通)ということがはっきり書いてある。つまりバイロケーションともいえるが、肉体意識が残存している方が危険も少ないし、そっちができるならそれがいいに違いないと思う。体外離脱は確かに、自分とは肉体とは違うということははっきりと自覚できていいが、何が何でも体外離脱じゃないといけない、というわけではないということ。

フォーカス10から49まで。大まかに「宇宙の構造」を描き出している。
この宇宙はどうなっているのか、自分の生と死を含めて、その全体が概観できるような本を一冊だけ教えてくれ、と、こういう話をあまり知らない人に問われたら、まずこの本を推薦できると思う。体験から書かれているので説得力がある。精神世界初心者でも理解できる。

もちろん内容的には、信じようと信じまいとの世界かもしれない。しかし別に信じる必要はない。ヘミシンクという、自分で確認する方法が提供されているからだ。自分で探索をしてもみないでああだこうだ言うのは傲慢である。

経験的証明の手段が提供されているという点では、ケン・ウィルバーが主張しているトランスパーソナル的認識の公準も満たしていると言える(この文、わからない人は気にしなくていいです)。

大いなる自己の実在とか、転生という問題についても、今や(モンロー系に限らないが)、きちんと知的論理的に理解できる方法が開かれている。この『絵で見る死後体験』で書かれている宇宙構造は、いまスピリチュアルに関心がある人に、かなり共有されている一般的な枠組みとだいたい一致していると思うが、それはこの21世紀初頭という時点において人類が理解しうることの最大公約数ということではなかろうか。もちろん本当の真実から見ればそれも方便ではあろうが(そのことを忘れないために荒唐無稽なる超ぶっ飛び神話本が存在するのだ)。

ガイドとか転生などは非論理的だ、などと言う人はいったい何を勉強しているのだろう。それは「意識としての宇宙」の構造から完全に理解できることがらのように思えるが。それから基本的に言って、経験そのものは論理もへったくれもない。そういう経験がある、というなら、それが実在するということは論理ではない。そういうことは論理的にあってはいけないからウソだ、というのはもはや大槻教授クラスの妄言である。まずもって、そういうふうに表現される経験とはいかなるものなのか、を実際に経験的に理解してのちに、そのことを全宇宙モデルの中にしかるべく位置づければよいのだ。このモデル化というのは方便であるから、どれが絶対に正しいということはない。人間が知りうる全経験を完全に理解した人がいない以上、宇宙モデルの当否を判断できる権威など、地球人レベルではありえないのだ。

一時期はやったトランスパーソナルなどが勢いを失ったのは、スピリチュアル関心層がかなりディープな情報まで接するようになり、もはやトランスパーソナルの本では物足りなくなってきたからだろう。それはトランスパーソナル系の本は、どうも、非物質的リアリティについてのリアルな描写が少ないからで、ホントにどこまで経験してるんかいなと思えるところもあったりするからかも・・(私は何回か言っているが、そもそも「人間は死んだらどうなるのか」という根本的な問いに答えを与えていないでスピリチュアルもへったくれもあるかい、というのが本音なんだが・・) かといって知識人層のガードは相変わらず堅く、スピリチュアルと知識層との分裂がさらに大きくなってきたからではないか。

ともあれ、『絵で見る死後体験』はすごいオススメである。右のコラムの殿堂に入れちゃおうかな? 入門書として最適なので。このブログの読者は、基本的に知ってることが多いと思うが、それでも所々知らなかった情報が入っていると思う。
しかし、『死を超えるスーパーラブ』とか、ああいう本の文章はヘタだなあ・・(^_^; あっちは読まなくてOK。『絵で見る死後体験』の文章はたぶん、ライターさんが書いたんじゃないかという気もする・・

これを読んでおもしろかったら次には、マイケル・ニュートンの死後世界探求本がオススメとなります。

わかりやすい!絵で見る「死後体験」わかりやすい!絵で見る「死後体験」
坂本 政道


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久々の登場?

きょう、人体科学会から封書が来ていた。今年の年次大会の案内。去年は四国の松山・・パラトラパ先生のお膝元というのはちょっと恐くて(笑)――いや、パラトラパさんじゃなくて四国の濃い霊界がね――パスしたのだけれど、今年はどこか? と思ったらなんと長岡大学。といえばあの、易占がプロ級というS先生が委員長である。まあ私も女子学生相手のタロット占いではかなり自信をつけてますが・・それはともかく、

学会というのはあまり好きではないので、基本的に「自分が発表しない聞くだけの学会は行かない」というのがポリシーである。しかしこんな田舎町でわざわざやるのに私が行かないのもS先生に申し訳なく、そういえばこのところ発表や論文がなくって、つい別チャンネルの探求がメインになっている状況であり(笑) このへんで何かやらないとマズイな、ということで、よい機会なので発表を計画することにした。とりあえず今の私の構想をパワーポイントなんかで整理して専門外の人にわかった気にさせる・・もとい、「イメージを伝える」ことができればよろしい、ということで。

そのタイトルは・・「スピリチュアルな世界観とヒーリングエネルギーの位置づけ~~現象学、唯識とプロティノスを基礎とする展開~~」。大会のテーマは「代替医療」だっていうので、ヒーリングエネルギーのテーマをクローズアップしてみる。しかし一冊の本になる話を20分で、というのがなんともね。しかしこのタイトルは、現在の私の関心をなかなか正確に伝えているのである。

発表原稿に手を入れて論文にするというのは常套手段だが、ここで一度まとめてみて、それをベースに一般向きに書き下ろした原稿にしていこうというのが今後の予定。出版社は? というと、宇宙の流れに乗っていればそういうことは気にしなくてもいいのだということである。

それにしても真夜中だというのに27度というの気温はいったい何? フェーン現象でしょうか。ついに冷房をつけてしまったぞ。

『海のアリア』と『バルバラ異界』

考えてみると連休中、マンガと囲碁の本しか読んでいないような気もする・・
ま、さすがに囲碁の本の話はここではおいといて。
マンガというのは右脳と左脳のバランスがなかなかほどよく、ちょうどいい感じがする。もちろん作品によりけりだが・・ 囲碁もかなりバランスとれてますね。将棋なんかはちょっと、左脳すぎるんだが。

しかし萩尾望都の『海のアリア』『バルバラ異界』、これは読みごたえあった。
いや、このオバサン、ただ者ではありません。

『海のアリア』は、私が好みの、「宇宙的郷愁」の雰囲気が漂った作品。
「宇宙の音楽」を奏でる楽器になる、という発想がすごい。
だいたい、SFというジャンルそれ自体に、宇宙的な郷愁という気分が含まれているように、私には思えるんだが(もちろん、筒井康隆は別ですが)。
ディープなロマン主義である。
宇宙を考えるということは実は魂を考えることである。
というのも、魂の故郷は地球ではなく宇宙なのではないか、ということ。
もちろんそんなことはこのマンガには書いてありませんよ(^_^;

そしてついに『バルバラ異界』を読んだ。
いやもう、これはタダモノではない傑作。
だんだん、時間とか現実の感覚があいまいになってくるような感じだが、そこがまた、今日的とも言える。
主人公は「夢先案内人」という職業で、他人の夢の中に入りこむことができる。その夢を、映像化してモニターに映し出すという脳内イメージスキャナーという装置が開発されている、という設定。
なかなかこれは、ありそうでいままでなかった設定である。

しかしすごく複雑な物語で、はじめよくわからず、第一巻は二回読んでやっと話がわかってきた。

主人公が入りこむ夢は、バルバラという世界。そこは未来世界でもあるらしい。そしてその世界では、「すべての生命は一つ」なのだという。つまり未来世ではすべての魂が一つだという自覚のある世界が実現するのだが、その過程にあるのがバルバラだ。そのバルバラは、眠り姫のように眠り続けている一人の少女の夢の中にある。しかし・・

もう複雑すぎて説明できないし、説明してもネタバレになるだけなのでやめておこう。この作品自体は、その「魂が一つになっている世界」を肯定も否定もしていない。霊的思想という立場では、そういう世界へと地球が進化していくということを肯定するわけだが、そういうわけではない。かといって否定もしない。

読後感が似たような作品があったなと記憶をたどると、村上春樹の『海辺のカフカ』だった。
あれもちょっと説明のしようがないが、あれは恐るべき傑作であり、世界文学という枠で考えても屈指のものだと私は思っている。私は予言するが、そのうちに村上春樹は必ずノーベル文学賞を取る。実際、海外ではそのくらい評価されているのだ。『ノルウェイの森』くらいしか読んでいない人は、単なる青春恋愛小説家だと甘く見ているかもしれないが、『ねじまき鳥クロニクル』と『海辺のカフカ』のディープさを知らないのである。そのくらいこの二作はすごかった。三島由紀夫や大江健三郎なんてメじゃない。近代日本最高の作品なのだ。

ともかく、それが『バルバラ異界』とどのような共通点があるかを言語化しようと試みると、こういう言葉になる。・・つまり、「魂の封印を解く」ということ。
封印されている世界、そこへ入り込んでいくという感覚、それがあるということではなかろうか。
何を封印しているかというと、それは記憶である。何を思い出すのかということでもある。そして、徐々に、夢と現実が混じり合ってくる。

そのような、現代の底層にあるテーマを、無意識的にもキャッチしているというのが、萩尾望都の非凡なる才能である。

あえて言語化を試みたものの、やっぱりゴタゴタしてしまった。
ともあれ、おもしろいマンガはないか、という人には強力にオススメいたします。
私はしばらく、萩尾望都にはまりそう・・ということで。

PS:モト先生、なぜか火星がかなり気になるご様子。ここはぜひ、ネイタルチャートを見てみたいもんだなあ、と思いました。


バルバラ異界 (1)バルバラ異界 (1)
萩尾 望都


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ネタ切れなので

連休でお休みモードが続く・・ 何か書こうかと思うのだがあんまり書くことがない。どうでもいいようなことならネタはあるが、まさか、「ヤマザキの柏餅はなぜあんなにうまくないのか。いくら松たか子のファンだといってもそれは言わないといかんな~」などというような、くだらないことを書くわけにはいくまい・・(と、書いているが)。ろくな柏餅がないので、久々に笹団子を買ってきた。

4月30日 日々草、マーガレット、サルビア、インパチェンス、松虫草、百日草、ジャーマンカモミールを植える。
5月1日 シャクナゲとユスラウメを植える。
5月3日 ハダニの予防薬(バロックフロアブル)を散布。
5月4日 オルトラン水和剤とダコニールを散布。
5月5日 金魚草、インパチェンス、ベゴニア、ペチュニア、キンレンカを植える。シャクナゲが開花する。

現在、庭で咲いている花――ライラック、カタクリ、ジンチョウゲ、ユキヤナギ、日々草、マーガレット、松虫草、キンレンカ、百日草、シャクナゲ、ツツジ、ナデシコ、チューリップ(各種)、金魚草、ペチュニア、ベゴニア、ビオラ、ムスカリ、ハナミズキ、ゼラニウム、インパチェンス

ジンチョウゲというのはウソではありません。桜も散ったというのに今頃咲いている。不思議なものである。
カタクリは球根を植えたら二つだけ咲いた。野生よりも遅い。

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