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ウィルバーについてのコメント2

もう一丁、ウィルバーだが・・ 私の彼に対する評価は、

認識論 ◎
存在論 ○
発達論 ×

である。認識論がいちばんの貢献である。
ホラーキー(ホロン階層構造)という世界観も、まずまず。
ただ、いただけないのは意識発達論。特に『アートマン・プロジェクト』はダメ。
これは、エーリッヒ・ノイマンの『意識の起源史』の影響を受けすぎだろう。ノイマンはユング派の学者だが、こういう発達史のパラダイムはかなり古い。
ウィルバーのいう、プレパーソナル-パーソナル-トランスパーソナル、という発達段階論は、単に理論上だけでつじつまを合わせたものにすぎず、意識という現象の実態を反映していない。
プレパーソナルという意識段階など、実在していない。そのような段階はないということ。実は、トランスパーソナル的領域にある個的意識の根源(唯識では阿頼耶識と呼ぶが)が、物質界という共同主観領域に適合した知覚・意識システムを形成していく過程が実在しているだけである。それが幼児期には十分に発達していない段階を、プレパーソナルと呼んで独立させているが、これはノイマンとピアジェをむりやり接合した頭の中のアクロバットに過ぎないと思う。

従って、「前・超の虚偽」(プレ・トランス・ファラシー)などというものは存在しない。
つまり、プレパーソナルとトランスパーソナルではまったく違う世界を見ているという理論は完全に誤りで、実際には同一である。ただ、そこに物質界的知覚・意識システムが十分に機能しているかいないかという相違に過ぎない。これは精神世界系では一般に「グラウンディング」と呼ばれる。つまり、わけわからず「行っちゃってる」人も、そうでない人も、まったく存在論的に違う世界を見ているわけではない。行っちゃってるというのはつまりグラウンディングができているかいないかという問題だ。

「前・超の虚偽」というコンセプトは、ニューエイジ系であまりにグラウンディングできていない人が多いので考え出されたというが、プレとトランスを存在論・意識発達論的に完全に分離するのは、理論的に行き過ぎであり、意識現象の現実とはかけ離れている。このようなコンセプトを信じている人とは一線を画さざるを得ないね。

ただもちろん、あっちを見ているといっても、あっちといっても千差万別だという問題はある。つまり「あっち」だといっても「こっち」より高いとは限らないということ。ここで、さらに次の、ウィルバーの致命的な理論的誤りが明らかとなる。

それは、彼の言う「微細次元」(一般的には「アストラル」などと呼ばれるが)を、一方的に物質次元よりも高次な領域だと見なしていること。これは決定的な誤謬である。

これは、たぶん、彼は修行が禅なので、魔境をできるだけ回避しようとしており、その結果として、アストラルの下位的な世界を見聞する機会に乏しかったということが一因ではないだろうか? ところが、日本の伝統的な「霊能者」のたぐいは、どうもこっちの世界が専門といってもいい。また好むと好まざるに関わらず、体質的にこういう領域に感応してしまう人も結構多い。そうして、下位アストラル(これはウィルバーの言う「下位微細」とはまったく異なるものだ)を知ってしまった人は、ウィルバーの理論にリアルさを感じないだろう。早く言えば、

ウィルバーは、「地獄」を知らない?

ということになるのかもしれない。もちろんそんなもの知らないに越したことはないのだが、ここで言うのは、「意識の地図」を作るのであれば、それを知らないというのは許されないということ。

アサジョーリは、そうした領域を、上層・中層・下層の三つに分類している。実はこちらのモデルの方が、意識と世界の実態をつかんでいる。

私はユングだってたいしたことないと思っているが、心理学者の中でいちばんものがわかっていた人はアサジョーリである、と確信している。

ウィルバーの理論構成では、トランスパーソナル的であり、かつ一般的な自我レベルよりも「低次」な意識領域というものは存在し得ない。個を超える領域は必ず自我よりも高次であることになっている。

従って、たとえば、自我レベルではあまり人格的に発達していないが、アストラル次元のことはやたらに見えてしまうような霊能者のたぐいというのは、説明困難となる。勢い、ウィルバー理論からすれば、そういう人はリアルな向こう側を見ているのではなく、それはプレパーソナルなんだ、単なる自分の無意識なんだという以外に理解のしようがなくなる。
同様に、自我が未発達な子供がしばしば霊的なものを見てしまうという体験も、説明できなくなる。

これはすべて、「アストラルを一方的に物質次元より高次だと考えてしまう」ことからくる理論的欠陥である。
しかしこの欠陥は、実用的には致命的なのだ。それでは、実際にスピリチュアルな発達に伴う様々な問題に、的確に対処することができなくなる。実際にはまったく使えないのだ。

この理論的欠陥がわからないという人は、実際の霊的体験がいささか乏しいのではないかと思う。
「見える」ことは特に成長とは関係ない。成長しなくても見えることはあり得るのであり、「何を見るか」が問題なのだ。生まれつき見えてしまう、ということは、生体エネルギーのシステムに先天的にあるバランスの狂いがあれば、簡単に起こってしまう。
正直言って、ウィルバーほどの人がどうしてそのくらいのことがわからないのか、理解に苦しむのである。
たぶん、先にふれた「前・超の虚偽」も、これと関係している。
つまり、グラウンディングできていないアブナイ人が、本当の「向こう」を見ているはずがない、という思いが、ウィルバーにはあるわけだ。だから、前と超を全然違うものだという理論になるのである。それはアストラルの多義性を見損ない、一方的にそれを「高次」として措定しまったことにより、理論的混乱に陥ったのである。

日本のトラパ関係者もこういう誤った考えから早く脱しないと、いつまでも実質的な霊的発達へのサポートというレベルに達しない。いまんとこ、そういうレベルには全然ないという実態を厳しく見つめるべき。

意識現象の実相としては、ウィルバーがいうような、物質次元が基層となって、その上に微細領域がきているという積み上げ構造ではない。
むしろ、アサジョーリモデルが示唆しているように、アストラル的次元の広大な広がりのなかに、ある「特殊領域」として物質領域が切り開かれているのである。つまり、「地層」というイメージではなく「海のなかの島」というイメージの方が、実態に近い。

私がウィルバー理論のなかで特に「嘘っぱち」と考えているのは以上のような点である。


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