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身体性について、など

ひさびさに論文らしきものを書き始めている。これは、考えをまとめるための手段だが、書けたらせっかくなので学術誌に出すと思う。最終的には本にするもので、前作にくらべ、もう少し現象学的な思考の意味と、それからヒーリングエネルギーの位置づけというテーマを含めていきたい。それをまたたとえば対話体とか、ごくわかりやすい文体レベルまで落としこむのである。ヒーリングエネルギー、「気」についてはたとえば湯浅泰雄『気とは何か』などがあるわけだが、今にして読むと、湯浅氏の現象学理解は、存在論的な理解を欠いている。いってみれば宗教現象学とか、そういう意味での方法論的な現象学ととらえているように見えるので、気の問題が結局は存在論の問題まで行くということがまだ明確になりきれていない。メルロ=ポンティの身体論についてみても、「無意識的凖身体」とかいっていて、かなりいいとことらえてはいるが、メルロ=ポンティのいう身体というのは世界現実の生成そのものだという視点がもっと出てほしい。身体性のレベルの一つとして「無意識的凖身体」をいうだけではまだ不徹底ではなかろうか。

根源的な身体性とはもちろん肉体(対象化的認識が可能な身体)ではないわけで、そこで「微細な身体性」というコンセプトが導入されうることになるので・・こういう思考は面白いと思うんだが。

しかし、このようなことを言っても誰も理解してくれないんですよねえ・・ 哲学と「気」の両方がわかるなんて人はいないんですかね? ともかくメルロ=ポンティかハイデッガーだけでもいいから完璧に何を言ってるのか理解して、しかもその上で、実際に気や微細エネルギーの身体感覚とはどういうものかを理解してごらんなさい・・ってやっぱりそんなヤツはいないって(苦笑)

というわけで、新たな視角によって『気とは何か』が書かれるべきである(求む出版社・・ものすごくやさし~く書きますから(笑))。

ところで前回も書いたように、エネルギーを落ち着かせるのに音楽療法をしているが、きょうはめずらしく古楽でいった。つまりルネサンス期の音楽。ビクトリアの「ミサ・アベ・マリア」とパレストリーナの「エレミアの哀歌」だった。
普通に聴けば退屈このうえない音楽だが、瞑想状態に入って波動を浴びる感じ。なかなかグッドだった。特にパレストリーナ(プロ・カンツォーネ・アンティカの演奏)はいい。何年ぶりに聴いたか。

それから例によってガーデニングなどはグラウンディングには最適である。

アマゾンにもあったので、のせておく。
波動で聴くべし。

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