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シュタイナーの『いかにして前世を認識するか』

シュタイナーの『いかにして前世を認識するか』をこの間衝動買い(古本だけど)。この本は特に第五章が面白かった。

人智学にしかないものというのはいったい何なのか、という問いがある。すると、「人間は高次の意識に達することができる」とか、「私の本体は宇宙自我である」というようなことは、人智学で言われているが、それ以前の「叡智の伝統」においてすでに明快に示されていることであり、人智学が初めて言い出したことではない。

人智学が現代世界において発する新しい主張は、「輪廻転生が存在する」ということだというのだ。つまり、現代のスピリチュアルな課題として、人間の魂は転生するという認識が必要だ、ということである。その認識を広めることが人智学の最重要な課題だと言っている。

これには大いに同感した。同感しまくりである。

「叡智の伝統」を真剣に再検討するということは言うまでもなく大切なことだが、それだけでは足りないのである。輪廻転生ということが魂の事実である、という認識がもっとも重要なポイントとなるのだ。

いいかえれば、その点を明確にしていない思想は、現代のスピリチュアルな思想としては失格であるということにもなる。逃げるなどというのは論外である。

シュタイナーによれば、輪廻転生を受け入れるということは必然的に「魂の気分」を変えることになるのである。

つまり、いま私がこのようにここに在るということは、限りない過去からの積み重ねの結果としてあるのであり、また人生に起こることや、出会う人々もまた、過去の自分が行為した結果として起こっていることで、すべてが自己の責任としてあるということ、そして今ここで行動することのすべてが、未来を形成し、それはまた、遠い未来世の地球がどのようにあるかということまで、関係してくること・・このような「責任感情」が、狭い限界を超えて広がるのだ、とシュタイナーは言うのである。

しかし、仏教に昔からあるような輪廻観、つまり、輪廻をただ否定的なものと見て、ひらすらそこからの離脱を願うようなメンタリティーも、もはや現代にはそぐわない。仏教とキリスト教の融合という形に近いが、「魂は輪廻を経て進化していき、ついに地球そのものが霊化していく」という、進化のとらえ方も必要になっている。それを、そんなのは本当の輪廻観じゃないなどというのは、過去を絶対の基準とした馬鹿な話であって、上に述べた東西融合的な輪廻観こそこれから真剣に考慮していくものだろう。最近になって普及してきたいろいろな霊的情報も、ほとんどすべてこうした見方を支持している。それが正しいという「証明」はもちろんないが、そのような価値観を採用することは時代の流れとして必然だという感じがする。(価値観というか、もっと言えば、ある「魂において深くわき起こる感情」みたいなものを感じられるか、否かということ。あることが真理か否かという「サニワ」は、結局、そのような「魂の感覚」が最終的な決め手になるほかはない。その意味で、だれかがどう言ったからではなくて、すべては自己責任である)。

これまでの霊的な思想は、いずれも「部分的」だった。
少し乱暴に割り切って言うならば、


  • 東洋には、輪廻転生の思想(そこからの解脱を含めて)が受け継がれ、
  • 西洋には、魂の霊化と、地球の霊的な完成という思想が伝えられた。

これはいずれも真理の一端をつかんでいる。その両者を統合することが重要なのだ。これが私がいちばん主張したいことで、輪廻転生を通じての魂の進化、その結果としての地球の霊的完成という「イデー」が、いま、地球には求められているのである。
(なお、輪廻転生はギリシア思想一般――プラトンやプロティノスを含む――にみられ、キリスト教でもオリゲネスなどに受け入れられていたので、正確に言うと「東洋」には入りきらない。私はむしろ、井筒俊彦が示唆していたように、ギリシア世界――ヘレニズムを含めて――は東洋に入れるべきだと考えている。つまり、上に「東洋」というのはギリシア-インド-極東系、「西洋」というのはキリスト教系だと言ってもよい。また、イスラムはどうなるのだとか、そこまで言うとややこしくなるので、このへんでやめておく)

いうまでもないが、輪廻転生については科学的方法で研究することは不可能であり、これを「非科学的だから信じない」というのは典型的なカテゴリーエラーの議論である(ウィルバーの解説書を書いている当人が、自分のブログでそのようなことを書いていたが、なぜ平気でそういうことを書くのか、今もって理解できない。そのようなカテゴリーエラー丸出しの話を公の場で書いてはいけない。それはウィルバーの解説者としての倫理的責任である)。しかし「論理的」ではありうる。論理的というのは論理的に首尾一貫した表現をすることが可能であるということであって、そのこと自体の真偽を明らかにすることではないが、論理的な表現を好む人をも満足させるだけの論理的表現が可能であることは、シュタイナーの著述自体を見ればわかる。よって、「非論理的だから信じない」という人も、シュタイナーや唯識などをまるで読んでいないということで、勉強不足だと言わざるを得ないことになる。

またそれから、「魂が輪廻転生するのならなぜ人口が増えたりするのか」という議論もまた、初歩的疑問なのだが・・これについては、プロティノスの魂についての議論を勉強すると良い、とアドバイスしたい。プロティノスは「魂とは数えられないものである」と言っている。英語の授業で、数えられる名詞、数えられない名詞というのをやったと思うが、魂とは water や fire などと同じように「数えられない」のである。人口がどうのこうのという議論は、魂が一つ、二つと数えられるものだという前提に立っている。魂と人間は一対一の対応をしているわけではない。霊的情報によると、一人に複数の魂からのエネルギーが複合したり、また同一の魂が複数の転生を同時に展開するといういわゆる「分魂」の事例もあるのだという。そういうことはありえないという証拠があるわけでもないので、「一対一の対応をするはずだ」という前提には何の根拠もないのである。

輪廻転生問題は、スピリチュアル思想の重要なテーマとして、まじめに討議する必要のあることであり、そのように「まじめに考える」という風潮を広めていく必要がある。それを頭ごなしに、そういうことを口にのぼせること自体がオカルトでいかがわしいなどというのは、そもそもそれは日本の伝統文化の一つだったという事実を忘れた妄言なのである。また、スピリチュアルに関心があると言っていながら、ヘンに思われるのが恐くて、そういう話題を避けたがる知識人たちもまた軟弱なヤカラだと言うほかない。ウィルバーでさえ、その批判は免れない。

プロティノスや唯識、シュタイナーも読まずに、議論ができるなどと思ってもらっちゃあな・・て感じか。

こちらのリンクも。

輪廻転生問題についての哲学的・神学的な見解


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