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批評について

しかしなんだ・・この間、学者についていろいろ批評を述べたけれども、「批評」と「批判」というのは仕分けがむずかしい。批判というのは、不平不満モードになりがちで、どうしてもそれを言っている自分自身が落ちてしまう。分離的意識に支配されてしまうわけだ。だからといって、まったく「批評」が存在しないということも、その分野の発展のためには望ましくないことである。ジャーナリズムなんかは批判をすればいいと思っていて、特に政治家に対してはどんな悪口雑言も言っていいと思っているようだが、ああいうものがいかに国全体の波動を落としているかわからない・・って、これも批評だ。だから、批評は存在しないといけないものだが、そこにどうしてもネガティブな波動が生まれがちになってしまうのはどうしたらよいのか。

悪口雑言というのも立派な暴行なんですよね。このまえジダンの頭突き事件というのがあったが、身体的な暴行は目に見えるものだから厳しく処罰されるが、言葉による暴行はなかなか裁かれない・・という現実。
週刊誌の広告に並ぶ見出しなんか見ると、いかに、言語による暴行がまかり通り、またそういう記事をわざわざ読むことによって自分自身の内部にあるルサンチマンやら暴行衝動のはけ口にしているという現実・・まあ、大衆ジャーナリズムなんかどこの国でも同じようだろうけども、ものすごいストレスが充満した恐ろしい国だなあ、とうすら寒くなってくるのは私だけであろうか? 2chなんてそのようなネガティブな心的エネルギーの充満する「魔界」である。魔界は心の内にあり、というのは真理だ。(悪いこといわないから、「きっこのブログ」みたいな「魂によくないもの」を読むのはやめときなさいって)

ともあれ、批評はむずかしい。成熟した精神と卓越した表現力が必要なものだ。そういう熟練した批評家といえる人材が今の日本にどれだけいるだろうか。

スピリチュアルの分野では、さらに、批評というものの困難さは増す。スピリチュアルということがら自体が、ネガティブな波動で語ってはいけないものであるからだ。そりゃあま、本音でいえば、カラダを張っていろんな世界を見てきた私としては、根本的にわかってない人に対していろいろ言いたいことはたくさんありますがね・・ シュタイナーは『いかにして超感覚界の認識を獲得するか』だったかで、批評は言ってもいいが、ただしいかなるルサンチマンや怒りの感情とも無縁に、客観的事実を述べるがごとくに冷静に言わねばならない、などという意味のことを書いている。教育の場面を例にとれば、「怒る」と「叱る」は違うということである。「叱る」には感情は入っていない。むしろ、どのように言えばもっとも相手の成長に役立つのか、を冷静に計算した「演技」なのだ。それが完璧にできればたいしたものである。しかし現実には「自分の思い通りに動かないから感情的になる」というレベルの人が「厳しい教師」として喝采を浴びたりするようなおかしな状況というのもある(世の中にはこういう教師がたまにいるが、自分のエゴの満足を「厳しい教育」ととらえて自己満足に陥り、そのエゴイズムが矯正されず深い人格的問題となっていく・・という例がある。これが「教師病」である)。

人間のエゴというものの恐ろしさを、自分の内面を含めて、厳しく見つめるということも成長のためには必要なことだ。その恐ろしさと、輝かしさとの、両面を見る。いってみればドストエフスキー的な世界か。でもやはりそれが、人間の真実であることには変わりない。闇を見つめる気迫のないスピリチュアルなんてダメ。

言っておくが、精神世界やニューエイジといわれるものでも、良質のものはちゃんと「自分の持っている闇を浄化していく」ということの大切さを語っている。精神世界をばかにする一部のトラパ系の人の中にも、闇の部分を軽視する人はある。

闇があることに気づけば、この前書いた「このままではいけない」という自己否定の要素も当然出てくる。ある意味では「人間というのは本当にダメでどうしようもない」と、一度とことん絶望してからはい上がってくるのでないと本物にはならないのかもしれない。

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