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Pure Universal Love

前のエントリーでも出てきたが、結局スピリチュアルということで私が理解している、いちばん根幹のことは、ブルース・モーエンの言葉を借りればPUL,Pure Universal Loveである。それにつきると言ってもいいくらいである。PULが実在し、PULが支配している世界というものがあり、私(人類)もまた、それを本質としているということである。スピリチュアルな体験とは、このPULと接触することであり、PULの原則に従って生きるようになるという自己変革である。PULが関わっていないものは、「異次元体験」ではありえても、スピリチュアルではない。そういうのは「サイキック」と呼んで区別するべきだろう。PULは「光」とか「愛」という表現がされる。どれだけPULのことを理解できていくのか、スピリチュアルな成長とはそういうことだ。

ということできわめてシンプルだ。もちろん派生的な知識というのはいろいろありうるが、つきつめればそれになる。

PULに接触すると、だんだんいろいろなことがわかってくる。たとえば、自分の本体はPULの世界にあるのだとか、あるいは、この日常の現実と表裏一体のように、ごく近傍に圧倒的な光の次元があるのだとか、そういうことが何となく感覚的、直観的に感じられるようになり、本で読んでいたことが実感としてそういうことかとわかるようになってくるわけだ。

玉城康四郎さんが「ダンマの顕れ」と言っていたのもそれを指すのだろう、と理解できる。もちろんPULの理解にも、無限に階梯があるわけで、玉城先生と比較しようという僭越なことを考えているわけではないが、ダンマの顕れがあるのだということは理屈抜きに理解できることである。

いいかえると、ダンマの顕れ的なことがはっきり語られているのかどうか、私としてはそのへんが重要なチェックポイントになっている。スピリチュアルについて発言している人を見ていると、この人はPULの世界に強い憧れや予感を抱いているようだが、まだそれを全面的に「見た」ことはないらしいな、とか、そのようなことは書いているものを見ると何となくわかる。しかしもちろん、私も誰かにそのように読まれているわけで、この人はこのへんまでしか見えていないのか、と誰かが思っているであろう、ということは容易に想像できる。それはもう覚悟の上で書いているわけである。このまえ、そういう覚悟のないという人は要するにヌルイんですよ、と生意気なことを書いたが、基本的にはそういう考えは変わらない。しかしPULをかいま見るということは自力で達せられるものではなく、基本的には「恩寵」によるものだと私は理解しているので、それをかいま見たからといって自分が偉くなっているように思うわけにはいかないし、そう思ったとしたらそれはもうPULの原則から外れてしまうことになる。だから決して馬鹿にするつもりはない。ただ、公的にものを書くということには大きな責任が伴うことなのだ。スピリチュアルに関することを発表するというのは、決して、自分の好きなことをやっていればいい、というものではないと思う。霊的責任というものがある。誤解を生む表現かもしれないが「神に対する責任」があると思う。完璧であることは不可能だが、少しでも誤差なくPULの世界の実在についてメッセージが伝わるかどうか、自分が適切な「媒体」となりえているかを自己検証する努力は必要である。

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