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2006.10.02

スピリチュアルとロハス

最近、「スピリチュアル」と「ロハス」をむすびつけてとらえる人が多くなってきたと思う。スピリチュアルというのをひところのように修行モードではなく、「今ここでどのようにして至福とつながるのか」ということとして理解するというのは時代の傾向だし、たいへんけっこうなことだと思う。そして、至福につながるためにはそれなりに「浄化」もあるんだということもかなり理解されつつあると思う。何の浄化もなしに今ここが絶対だと言ったところでそれはギマンでしかない。グラウンディングの必要ということも浸透してきており、昔のようにニューエイジといえば足が地についてない人、というイメージもなくなりつつある。やっぱりだんだん時代が進歩してきてはいるのである。

私の最近の方向もやはりロハス志向だということもできそうだ。つまり今ここでいかにして無限の光とつながるのか、ということがテーマであって、そのためにはどのような方法があるかという具体的な技法の話に関心がいっている。これは「禅か密教か」といえば密教だ。さらにいえばルネサンスのアグリッパ、パラケルススなどの「マギア」にあたるものだといえよう。現代の精神状況はほんとにルネサンスによく似ていると思う。マギア全盛である。マギアとはつまり微細エネルギーを通して意識や身体のヒーリングや変容を促す技法ということである。イメージを使う瞑想法もマギアの一種である。

純粋な禅というものはこの世には存在しえないのであって、人が現実にまだ悟ってはいない以上、必ず密教、マギア的なものは存在せざるを得ない。それが物質界だと思う(なお、チベットのゾクチェンも禅とほぼ同じものだと私は理解している)。また、これはスピリチュアルとヒーリングは一体ですよ、ということでもある。マギアは必然的に浄化をめざすものとなるからだ。スピリチュアルとは、何か新しいものを得るのではなく、よけいなものを除去することによって「本来あるもの」を輝かせることだ。

マギアは方便である。しかし方便をもって究竟となすである。方便がいらないなら初めから何もいらないのだ。だからすでに禅がある以上、もうそれに一言も付け加える必要はない。禅のマネをしたことばを吐いているひまがあったら、実際に「そこ」へ行くためのマギア研究に時間を費やすべきであろう。つまり、これをやればここまで行けますよ、という経験知である。それなしで、理論だけえらそうなことをいっていても始まらないのだ。

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