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突然、デリダの話

斎藤慶典氏の『デリダ――なぜ「脱-構築は正義なのか――』を読む。

斎藤慶典がデリダ? というのは何の不思議もない。デリダの思想は現象学の徹底化に他ならないからである。徹底しすぎてもうどうにもそれ以上にどこへも行けなくなってしまった思想というべきである。

とはいっても、私はデリダの本はよくわからない。しかし、たぶんこんなことを考えているのであろう、と思っていたわけだが、この本でその私の考え方がだいたい正しいらしい(というか、少なくとも斎藤氏とほぼ同じであるらしい)ということがわかった。

世界の現象は「同一性の反復」によって発生している。その同一性をすべて拒否するとどうなるか、ということである。そもそもフッサールが現象学的還元といっていたのはそうした同一性反復をいったん括弧に入れ停止することのはずだった。

話が飛躍するようだが、このことはカスタネダのドンフアン本に出てくる、「世界を止める」ということに等しいのである。

世界は本当に止まるのか? つまり、同一性を拒否して生きることはできるのか。

フッサールは、止めることの可能性に懐疑的だったと思う。デリダも、その不可能性はよく知っている。その上で、現象を生み出してくるその「背後ではない背後(としかいいようがないが)」を見つめざるを得なかった、という思想家なのであるらしい(たぶん)。しかし、この世界を見つめるのは怖いことである。

だから怖いのを乗り越えてブレイクスルーできるか、ということだ。それがドンフアンや禅の目指したことなので、そこからすればデリダは「入口を見た」だけなのかもしれない。

ちなみに私は修士論文のとき、デリダを上のように神秘主義的(というか、現象の影にあって現象を生み出す何かとして)解釈して、そこから詩的言語とか、折口信夫の呪言論とかに展開するという論文を書いたのだが、審査する教官はほとんど誰も理解できずあやうく放校になりかけたのであった(笑) しかし思うにあの当時私はフッサールを十分に理解していなかったのでデリダ理解に限界があった。その時に斎藤慶典の『フッサール・起源への哲学』のような優れた解説書があったら、とよく思う。私は今頃ブランド一流大学の教授だったかもしれないのである(笑)

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