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オリゲネスが熱い?

『キリスト教東方の神秘思想』には、巻頭に、訳者宮本久雄氏による簡単な初期キリスト教思想史の概説がのっている。これがなかなか優れもの。たいへんよくわかる。

私がオリゲネスの思想に接したのもそれが最初だったが、いま見ても、オリゲネスの思想というのはほとんど間違っていないように思える。つまり私としてはまったくその通りであるように思えてしまうのである。

窮極的三一的善は自己と交流しうるペルソナ的存在を在らしめようと決断し、理性と自由意志を備えた数限りない存在を創った(天使・人間の生魂の創造)。この自由な存在者の創造は世界に恣意や混沌をもたらすためになされたわけではない。むしろ父は自由な存在者がその善意志と責任においてよき自己と世界を完成させ、そこに生ずる無限の善を彼らが享けることができるように意志したのである。このように物質的世界に先立って知的存在者が全く等しく類似したものとして創られた。ところで父神は「焼きつくす火」といわれるように善意志=愛そのものである。知的存在者のあるものは自らの自由な選択を通じて父の善にますます与ってゆき、あるものは彼から離れ、愛の点で冷えた。このように知的存在者が愛したり怠ったりした度合いに従って彼らの間に多様性と相異が生じたのである。p12


人間が肉体という虚しさに服したのも、生身に在る間に様々な情欲や挫折を経験し、自己の弱さを身にしみて自覚し、それによって善に従い生きるためであった。世界に悪が生ずるのも、父が人間の病を癒やすための手段として父の「予めの思いはかり」のうちにあることである。・・従って宇宙は・・そこで変容と飛躍が求められる教育・摂理の場である。p13

たとえこの代で魂が浄められずロゴスと一致しなかったとしても、次の代またさらに次の代において浄められ、いつか徳と知恵を備えて神を観想するに至るであろう。・・この代々の浄めによってやがて万物は更新され、神が「すべてにおいてすべてとなる」。p13

私としては特に訂正すべき個所を見出せないのである。しかしこの解説文の何カ所かに「この教説は後に・・として非難される」という注釈がついてくるのはなんといったらよいであろうか。

私は以前、「キリスト教的なイデーと輪廻転生思想との結合がこれからの霊的思想の課題である」と述べたが、それはすでにオリゲネスによってある程度実現されていたのである。当然、この思想では、輪廻の主体となる魂の先在(生誕に先立って魂があるということ)と、悪のある物質世界は「教育の場」として創造されたというイデーを含むことになる。これらは異端という疑いをかけられていたが、今から見ると、オリゲネスの神学はほぼ完全に肯定しうる神学思想となっている。

もっともオリゲネスは、禁欲を求めるあまり、自分のあそこを切ってしまったという「豪の者」でもある。そのように聞くと新プラトン主義的な身体蔑視があるのか、と思うが、思想的にはそうでもないらしい。その点新プラトン主義やグノーシスとは一線を画しているようでもある。

現在のいわゆる「精神世界」的な神学思想――たとえばシルバーバーチ、ホワイトイーグルなどのスピリチュアリズム、エドガー・ケイシー、『神との対話』など――は、基本的にオリゲネス神学とほぼ一致している。

これらの「精神世界思想」はオカルティズムと考えられる場合もあるが、むしろ非教会的な神学思想だと思う。シュタイナー思想も非キリスト教的神学思想として理解できる。現代では神学思想というもの自体が疑いの目で見られる。伝統的なキリスト教各派と関連したキリスト教神学だけが何とか(世間の片隅で)存在を許されているにすぎない。伝統的な宗教にどこにも属していない者が普遍的な神学を考えようということ自体が疑惑の目で見られるのである。(ただ、「精神世界」には、ルネサンス的な意味でのオカルティズムに類似した要素もあるが、それについてはここでは述べない)

この新たな神学的イデーは、西洋人にとっては輪廻転生思想の受容という意味がある。それに対して日本人にとっては、輪廻転生思想の再確認ということの他に、もともとキリスト教思想の中ではぐくまれてきた、「神の宇宙経綸(オイコノミア)」というイデーが流入したという意味があることを指摘したい。神は教育の場としてこの宇宙を創造し、それぞれの魂はその教程を経て神に帰還するのだというイデーである。ここには「すべてがすべてとなる」終末の時というイデーも付随してくる。このようなイデーをこれほど多くの日本人が受容した時代がかつてあったであろうか。それが精神世界思想の日本における思想史的意義であるといえる(こういうこと、宗教学者は誰もいわないですね)。

ただ「法華経」には部分的にこうしたイデーが見られるようである。大乗仏教は「キリスト衝動」的なものを含んでいる。

なお『キリスト教東方の神秘思想』の本編にはオリゲネスはあまり出てこない。

ともあれ、「いま、オリゲネスが熱い!」なのである。

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