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霊的感覚

あいかわらず、最近はギリシア教父・東方神学の研究に没頭している。たとえば『ロシアの神秘家たち』、『ロシア思想におけるキリスト』『ソロヴィヨフの哲学』などを読んだ。

これら東方神学の伝統で確認できたのは、人間には五感の他に「霊的感覚」があり、これによって神の働きを知ることが可能なのである、という考えが一貫してあるということである。もちろんアウグスティヌスにもある。

ついに、『エネルゲイアと光の神学』というグレゴリオス・パラマスの研究書を買ってしまった。前に借りて読んで、気に入っていたのだが、8900円という値段にびびっていたのである。しかしこういう本というのはどれだけ売れるものなのであろうか。そういえば『ロシア思想におけるキリスト』を注文したら、来たのは「昭和58年」の初版本であって、紙もやや黄ばんでおり、どうやらずっと出版社の在庫にあったものらしいのである。何ともマイナーな世界である。

ともあれ、霊的感覚の存在についてはっきりと語っている思想家は古代からたくさんあり、また哲学者でも、人間の根底において絶対への超越が開かれていると考える人はいろいろある、ということは勉強するとわかってくる。

また最近、「スピリチュアリティー」ということばがよく使われるが、このカタカナ語にはどうも耐え難く軽薄な感覚を覚えるようになってきた。私はこのところできるだけこのことばを避けようと思っている。形容詞の「スピリチュアル」は時々使っていたが、これもできれば「霊的」と言いたい。このブログのサブタイトルからも「スピリチュアル」は取ることにした。スピリチュアリティーということば自体になんとなく「うそくささ」が感じられてしまう。事実、スピリチュアリティーということばが題名に入っている本に、いいものはほとんどなかった。霊的なことがらに関わるのに、あまりにカジュアルな感じがするのは、やはり60年代カウンターカルチャーのノリが入っているからではなかろうか。どうしてもトランスパーソナル系カルチャーの一部にはそういうヒッピー的文化の名残が入っているようだ。

なぜ「霊性」とか「霊的」と言わないかというと、これはそもそもキリスト教の概念なので、日本人はそれを基本的に理解していないという状況があるのだ。Spiritといえば神に関係したことなのである。spiritualityというのは人間が神を求めて行う行為の総体を言うのである。「霊」といえば「聖霊」を連想するものである。ところが日本で「霊」というと、死者の亡霊をイメージするのであるから、それを嫌って日本ではなるべく「霊的」という言い方を避けているのである。

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