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フィチーノとロハス

というわけで、村上陽一郎『科学史の逆遠近法』を再読しているが、やはりこれはかなりの名著と言っていいだろう。フィレンツェでのプラトン・ルネサンスから、占星術、魔術、カバラ、パラケルススなど全部書いてあるし、そうした伝統が科学革命の後にも残っていたのがロマン主義だ、などという見通しも提示されている。さらにいえば、今日隆盛であるところのいわゆる「精神世界」の文化もその系譜に連なるものであることも想像は容易だろう(事実、その点については Haanegraffの研究がある)。

4061591630科学史の逆遠近法―ルネサンスの再評価
村上 陽一郎
講談社 1995-02

えっ絶版? 驚きである。古本ゲットへ走るべし。

その他、クリアーノ『ルネサンスのエロスと魔術』およびシャステル『ルネサンス精神の深層――フィチーノと芸術』を再読し、フィチーノ思想関連をいろいろ調べる(さらにウェブスター『パラケルススからニュートンへ』も調べるがこれにはたいしたことはのっていなかった。久々に大量の文献調査で、いささか疲労)。

相変わらず、万物照応や世界霊魂のイデーにはアットホームなものを覚える。
またクリアーノの本では、「アストラル体を浄化する」ことによって神的な次元へ近づく、という発想が、ストア派にさかのぼるらしい、という興味深い事実を知った。その伝統がフィチーノまでつづいているというのはおもしろい。

たとえばフィチーノはそうした浄化の方法として、「希石、薬草、呪文」などをあげていたというが・・

考えてみると

希石 = パワーストーン
薬草 = ハーブ、アロマ、ホメオパシー、オーラソーマ等
呪文 = アファメーション、マントラ

と、今の霊的文化には全部ある・・ 私のまわりにもある・・ それを「魔術」といわれてしまうと多少当惑してしまうが。これはもともとはマジックではなく「テウルギア」である。私が思うところではどんな宗教にもそういう要素はある。仏教にもある。そういうテウルギアの視点を理解できないというのが宗教観の貧困化を生んでいる(特に近代仏教学)。いつもいうように、宗教とテウルギアを分離する発想はアウグスティヌスの影響であるが、日本人まではその影響に染まることはないだろう。

「お守り」だって立派なテウルギアである。それは、霊的エネルギーがある物体に転写可能であるというセオリーを前提として成り立つ宗教行為である。

「万物照応劇場的世界観」はそれほど奇異なものとは思えないのであるが・・

と、ここで思ったが、上にあげたようなオーラソーマやパワーストーンなどという文化は、いまや「ロハス」のライフスタイルの一部となりつつある状況もある。

ロハスというスタイルには、機械論的な宇宙に住むのではなく、豊かな共鳴や共感に満ちた、生気ある宇宙に住もうという意志も含まれているのではないだろうか?
それは必ずしも禁欲的に神のみを求める道ではない。そのような修道院的な霊性ではない。明らかにそれは、かつてルネサンス期のフィレンツェにあったような、宇宙との交感を楽しみつつ少しずつ浄化の道を歩もうという霊性のスタイルである。求道者には軟弱に感じることもあろう。しかしそういったスピリチュアル・ロハスというスタイル、文化は過去にも存在したものである。

PS:

『科学史の逆遠近法』とともに、こちらの古典的名著を。
近代がなぜ霊的世界観を失ったか、これを読めばわかる。
『科学史の逆遠近法』では、ここの所説を一部訂正している。

4788508028近代科学と聖俗革命
村上 陽一郎
新曜社 2002-07

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