« エーテル体について | Main | フェルネルのアストラル・ボディ論 »

哲学史入門書

このブログは、読む人は哲学史と宗教史の基礎知識があるものだという前提で書いているかもしれない。べつに意識してはいないが、どうも読み直してみるとそうなのだ。ブログというのはおよそ、基礎から勉強していくということには向かないメディアである。

手っ取り早く哲学史の全体像について知識が得られるような書物を人にすすめようとしても、適当なものがなくて困っていた。だいたい私は、現在アカデミズムで行われているところの「哲学」が成り立っている前提そのものを疑っているのであって、現在の哲学のあり方から過去の哲学を眺めてもしかたがないのである。

そういう制限はあるが、出ているもののなかでは貫成人の『哲学マップ』(ちくま新書)がいちばんましのようである。これでもむずかしいという人にはさらに簡単に、『図解雑学 哲学』がある。この後者は、どんなに偉大な哲学者も見開き2ページか4ページで、図も入るので説明文はごくわずか。これを読んだ人が「一生かけて考えたことがこれだけで片付けられるのはつらいですよね~」と言っていたが、まったくそのとおりである。

で、『哲学マップ』だが、古代から近代、現代に至る哲学史を「基本的な認識図式」から論じているので、かなりわかりやすくなっている。その見方は、現在の哲学者のかなり多くに共有されているスタンダードなものだと言えよう。それを知っていると、私のように、「第一の認識図式」であるプラトン的な世界把握を復興させようとマジに考えているということがいかに異端的であるかというのもわかってくるわけである。

貫もまた、「哲学と神学(形而上学)の分離」を自明のものとする近代人的な地平に立っており、それを疑っていないというポジションから書いているので、古代・中世哲学についてはその実像そのものではないのである。中世以前の哲学では、神は直接に体験されており、そういう基盤をもちつつ哲学が行われていた。だいたいほとんどが修道士であったのだが、デカルト以降は聖職者の哲学者はほとんどいない。神にのみ心を向け、一生童貞を守るくらいでないとトマス以前の哲学は理解できないのではないか。「俗人」であることを肯定するという前提の上で哲学者になるということは、そもそも哲学が「聖なる知」の追求とは見なされてなくなったという歴史的変化によるものである(と、このように書くと私個人についてあらぬ誤解をする人があるかもしれないので、いいかげんにしておこう)。当然、『哲学マップ』は、そういう前提の変化まで考慮には入れられていない。そういう限界を知った上で、あくまで「スタンダード」とはこういう見方をするものだという知識は得られるということである。こういうとえらそうに聞こえるかもしれないが、私は、この本に書いてあることで知らないことはほとんどない。しかしながら、大学一年生にもわかるように、ここまでうまく整理して語るというのは、やはり特別な才能を必要とすると思う。こういう啓蒙書はべつに業績にはならないものであるから、こういう本を書くというのも評価してよいことだと思う。

4480061827哲学マップ
貫成人
筑摩書房 2004-07-06

« エーテル体について | Main | フェルネルのアストラル・ボディ論 »

霊性思想」カテゴリの記事

April 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ