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占いについて

このところ、記事のカテゴリーとしては「思想関係」がほとんどである。以前は「スピリチュアル系」や「ヒーリング」というのが多くて、これは要するに「実践的」な内容になっていた。ある時期から、あまりそういう内容を公開しないことにして、そのためアクセス数は若干減っている。しかしまあ霊性思想が本道であるので、本当にそれに関心を持つ人だけ読んでくれればいいとも思う。が、きょうは久々に「スピ系」である。

このところタロット占い希望者が殺到しており大変である。というのも誰かを占うと、その友達や同級生へ口コミで広まるので、来るときには次々と来るという状況になることが時々ある。

かの大沼忠弘センセはカモワンタロットの大家になってタロット講座を開いているようであるが、私はそのように、タロットの魔術性にのめり込んでいるわけではない。はっきり言えばタロットの魔術性などまったく信じないと仮定しても占いはできるのである。

ユング心理学では易やタロットなどがしばしば使用されるのは周知のことで、フォン・フランツには『偶然の一致の心理学』という占いを扱った本もある。占いというのは古代的には、そこに個人の意志を超えた何か大きなものが入りこんでくるというプロセスを設定することであるが、古代では「神々」と考えていたものをユング心理学では「無意識」に置き換えるということである。

つまりほかならぬあるカードを選んだということには何か「神意」があるのか、どうなのか。それは「おみくじ」にも言えることであろう。そのような「個人を超えた大きな意志」の働きを絶対に信じない人は、占いはやらない。そういう意志があるかもしれないし、ないかもしれないが、少なくともそういう可能性にオープンである人が、占いをやってみようと思いつくのである。

なおここで、占いといっても、易やタロットのように「偶然性」を基本とするものと、占星術のように、その人によってあらかじめ規定されていることがらを「読む」ことに重点があるものとは、区別して扱うべきではないかと思う。

占星術はあらかじめ規定されているものを読むので、人の運命は基本的に星によって決まっているのかという世界観になる。そこでプロティノスやフィチーノなどの古代・ルネサンスの哲学者には、星の影響は認めるとしても(それはルネサンスまでの常識だった)、星に運命が規定されているという考え方にはほとんど否定的だった。フィチーノのいわゆる「魔術」というのは、たとえば土星の影響が強すぎるときは、土星の力を和らげるようなエネルギーを持つもの(石や薬草とか)を使ってそれを中和していくことができる、と考えられたわけである。このように「人は自分の運命を変えられる」という考えがルネサンスに出てきた考えだが、それは理性的というよりは「魔術的」な発想である。私なら、ここで魔術というのは「微細エネルギーと宇宙の照応の原則を用いた『魂のテクノロジー』」と呼ぶであろう。

さて、私の占いは当たるのだろうか? という問いだが、実はこういう問いには意味がない。私は、「あなたの母方のおばあさんは二年前に亡くなっていますね」などということを当てるわけではないのである。つまり反証可能な事実について何かを述べるわけではない。そういうことがわかるとしたらそれは霊能力ということになり、そういう「当て方」をする人は、占いの技術そのものより自分の持っている霊能力を用いているのである。「あなたは自分の感情をブロックしているところがありますね」とか「あなたは直観やイマジネーションを用いる職業に向いています」というようなことは、解釈学の地平に属することで、科学的反証が不可能なことである。つまりこの場合、「あたる」というのは、占ってもらった人が「当たったと感じた」ということが「当たる」という意味なのである。反証可能な事実について述べないものには「当たる・当たらない」の判断は客観的には成立しない。その意味で言えば、「ユング心理学は当たるのですか」という問いにも意味がないことになる。それも、クライアントが「なるほど」と思うか思わないか、セラピストが「うまくいった」と思うか思わないか、というはなはだ主観的、せいぜい言って「間主観的」なことがらである。そういう意味でいって、私の占いは、占ってもらった人が「当たったと感じた」という確率は80%以上であるとは言えるだろう。人間のもつ知的技術の中で、「当たる・当たらない」を客観的に決められる部分というのは実はそれほど多くはなく、多くはこうした、間主観的に成立するはなはだあいまいさを含む知であるのかもしれない。

学者などは占いを「失敗した疑似科学」などととらえたがるが、実際に占いというものをやってみて「当たると感じる」とはどういうことかを体験すれば、占いとは科学よりもカウンセリングに近い行為であることは明瞭であろう。たとえば同じカードが出れば常に同じ意味に解釈するわけではないのでる。それはその人、状況によって、ある幅の中で無数の選択肢がある。占いとは基本的に「カウンセリング+エンターテインメント」であると思う。エンターテインメントというのは「宇宙との戯れ」ということである。宇宙との戯れという環境を設定することによって、クライアントがふだんは奥にしまってある感情を表に出してくるケースがよくあり、占う人はそれを鋭敏に察知して、それを解釈の中に取り入れていくのである。そのように相手の微妙なプロセス(ミンデルのいう二次プロセスか)を読むことが重要である。その意味でプロセスワークにはなはだ近いようにも感じる。いろいろ表に出していけるのは、それ全体が「遊び」であるという設定によるところも大きいと思う。だから占いはあくまで占いであって、科学のようなステイタスを望んではその本質が失われるだろう。あくまで「ほの暗い領域」に存在するということ自体が重要なのである。

なお参考までに、私が使用するのは基本的に Radiant Rider-Waite である。参考書としていちばん信頼しているのはバニングさんの Learning the Tarot である。あと占いをやるにはカウンセリングの本も少し読むべきだと思う。

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