« August 2007 | Main | October 2007 »

モーエンの『純粋な無条件の愛』

最近なんだかぶっ飛び本情報ばかりだが・・いまはモーエンの死後探索シリーズ、『純粋な無条件の愛』を読んでいる。実はこれ、すでに英語で読んでいるのだが、訳が出ているので、もう一度読んでみようと買ったのだが・・やっぱりすごいですね。何が、といえば「情報量」がすごいのだ。向こう側に存在する(らしい)ことをこれでもかと書いてくれる。それが事実かどうかは、自分でそこへ行って確かめればよいことで、多次元的意識に目覚めていない者があれこれ言ってもしょせんは「見えない者の遠吠え」にしかならない。もちろん三次元意識に変換された情報はあくまで参考にしかならないが、それでも、そういう情報が存在するということは受け止めるべきだろうと思う。

モーエンのシリーズは、マイケル・ニュートンの退行催眠による死後世界探索と、こうした「あちら側情報もの」では双璧だろう。坂本さんの本が好きな人はいずれも必読である。

この第三巻は「無条件の愛」の強烈なエネルギーが炸裂しまくりである。いや、そのエネルギーの片鱗は、活字を通しても伝わるものがある。

考えてみると私はもう、「哲学」の中に、学びたいものはあまりない。そういう方法でわかることはもうだいたい、自分ができるところまではやってしまった気がする。もちろんそれをわかりやすく人に伝えるということは別のこととしてあるが、探究としては私にとって哲学という方法は終わったのかもしれない、と感じることがある。私がいま、読んでおもしろいと思うのは、とにかく霊的なエネルギーが現実にそこに入っているという本、そして、これまで人間の意識には閉ざされてきたフロンティアについての「情報」を与えてくれる本である。モーエンのこの第三巻には、その両方があるのだから、私にとってこれ以上に面白い本は、今の時代にはあまり存在していないと言うこともできるだろう。

問題は、これまで閉ざされてきた「多次元への門」を押し開くことではなかろうか。それが優先課題でなければならない。

4892955566純粋な無条件の愛
ブルース・モーエン 塩崎 麻彩子
ハート出版 2007-04

激烈なるチャクラ覚醒体験記

この前、激烈な体験記を紹介したが、もう一つ激烈といえば、これかなあ・・

4774506508天啓気療―病を改善し、魂を救済する、自然法則に基づいた愛のヒーリング
北沢 勇人
現代書林 2005-01

クンダリニー・チャクラ覚醒体験記である。クンダリニー・チャクラ覚醒ということでいえば、このほかに日本語で読めるものは、本山博師のものである。北沢氏と本山氏の体験を比較すると、かなり類似点が見出される。それから翻訳物では、ゴーピ・クリシュナのものがあったと思う。クリシュナさんのは、かなり危ない体験であった。

英語では、グリーンウェルによる、クンダリニー覚醒をスピリチュアル・エマージェンシーという観点からまとめた本がある。これは特別に修行などしていなくて、自然に覚醒が始まってしまった人の体験がむしろ中心である。こちらはSEの文献としては古典的なものとされている。

クンダリニー覚醒には非常な危険が伴うことはご承知の通りで、「ちゃんとした師」につくことが推奨されるのも、「いざというとき」に対応できる能力がある人は、限られるからである。万々が一、クンダリニーがいきなり暴走し始めて途方に暮れている人がこのページを見ていたら、先に挙げた北沢さん、本山さんは何とかしてくれるかもしれない、との情報を受け取ってもらいたい。その他にもいるのだろうが私は知らない。グリーンウェルもいろいろと対処法を述べているが、結局のところは、自分もその体験をくぐり抜け、ある程度まで達した人でなければ根本的な解決はできないのである。そこまでの人は、なかなかいないものである。

またチャクラ覚醒法というヨーガの技法があって、本山氏が教えているが、正直言うとこれは、よっぽど本山氏に縁のある人でないかぎり、一般の人はあまり近づかない方が無難かもしれない。やはり、危険な行法なのである。いざとなれば会社をやめ、家族を捨てるくらいの覚悟がないと続けられない。もともとこれは、道場で修行する出家者のために作られた行法であって、危険な時期には、道場という物質的な環境と、師匠の霊的な力で保護されるという環境を前提とするからである。

私は、この伝統的なクンダリニー・ヨーガの行法体系は、基本的に現代人には無理だと考えている。エネルギー的にいうと「下から上へ」という方向がどうかと思う。むしろ現代では「上から下へ」という流れを基本としたほうが危険が少ないのではないか。シュリ・オーロビンドも、上から下への方向を推奨していた(内藤景代氏も)。もちろん本山氏も、第一・第二と同時に第六(第三の眼)のチャクラを目覚めさせないと危ない、ということは言っていて、バランスを考えた教え方にはなってはいる。しかし、クンダリニーを動かして上へ突き抜かせるという基本は同じだし、それはよほどの覚悟がないとできないということは事実である。

北沢氏は、瞑想のやり方として、頭の上方からエネルギーが降りてくるようなイメージの方法をすすめているが、私もそちらの方が普通の人にはよいように思う。これには更に理由があって、現在、このように上方から降りてくるエネルギーが、十数年前に比べて格段に拡大しているという状況があるらしいということもある。クンダリニーの覚醒というのは、重力離脱のためのロケットを点火させるということだが、今ではむしろ、上方から引き上げる力が増しているので、それに乗っていく方がずっと楽だし、危なくないのではないか、などとも思う。そういう過激なやり方が必要だったのは、それだけ「離脱」のためのエネルギーが必要だったという地球の状況があったからで、今はその地球のエネルギー状態が変化していて、そこまでの大きなロケットは必要としなくなっている、という見方はできないものであろうか。

ともあれ、北沢さんの本は「資料」としてお読みください。

お彼岸パワー

坂本さんのブログ・・じゃなくて「さるさる日記」があった。「体脱世界日記」。しかし、さるさるのランキングを見ると、アクセス数は当ブログの半分ほどだが、なぜそんなに少ないのだろう? 私もアクセス数なんてどうでもいいから、本の方が売れてほしいものである(笑)

しかしきのう23日も、秋分の日、秋のお彼岸ということもあってか、実に半端ではない量のエネルギーが天から降り注いだ。私もエネルギー調整のためフラフラ状態であった。少し前なら考えられないほどのエネルギーが流れるようになってきている。これはもちろん私の側の回路が変わってきたということもあるのだろうが・・ 春分、秋分をお休みにするという日本の偉大な知恵に感謝のほかはない(笑) できれば夏至・冬至もそうしてもらいたいところである。こういう時に大事なのは「肉体次元のケア」である。私は秋がいちばん忙しいのだが、エネルギー的変化が大きいのはいつも秋である。これからどうなっていくのか?

封印が解かれた?

こちらの本を読んだが、かなり激烈でした。これは、「普通のお父さん」だった人が、好奇心からヘミシンクのワークに出たことがきっかけで、激烈な霊的プロセスが始まってしまった体験をつづったものである。ハイヤーセルフとの合体やら、すごいことがいろいろ出てくるが、このブログを読むほどの人は、想像外の世界ではないであろう。それにしても、時代のエネルギーが急速に変化していることを実感する。この本の背後には、これとほとんど同じような体験をしている人がいったい何人いるのであろうか。実感として感じるのは「この頃ますます加速する一方だ」ということだ。どうなってしまうのか?

やはり「あの情報」には何らかの根拠があるのか? 地球のエネルギーが変動していることには異論の唱えようもない。こうした霊的変容は、ものすごい勢いで拡大している。

つまり、この前も書いたが、「過去には相当な修行をしないと出てこなかったプロセスが、いとも簡単に起こるようになっている」ということだ。ヘミシンクとは、一つのツールにすぎないものだが、これも「過去には大変苦労しないとできなかったことがわりと簡単にできるようになる」という意味を持っているわけで、その点でレイキなどとも共通しているわけだろう。それはやはり、比喩的に言えば、封印が解けたということにならないか? それは何らかの、高次の意志によるものなのか?

4828413421ヘミシンクで起きた驚愕の「前世体験」
鈴木 啓介
ビジネス社 2007-03-26

体を温める(2)

安保徹の本に従って、39度のお湯で長時間入るという入浴法を始める。そのついでに、風呂でヒーリングミュージックをかけようと思いつき、防水CDプレーヤーを購入。

B0007O8U9WTOSHIBA 防水CDクロックラジオ TY-CDB3(W) ホワイト
東芝 2005-02-16

小さいわりには音はまあまあである。
この写真ではブルーっぽく写っているが、実際は落ち着いたグリーンという感じである。

この手の製品がいくつか出てて、需要があるんですね。

それから安保本では、石けんを使うのは週に一回でいいなどと書いてあるが、それをやってみると、さすがに体がかゆい気がする(笑) 洗わないというわけにはいかない。ただしボディソープはよろしくないというのは私も前から感じていたところで、どうも食器を洗う中性洗剤のような感覚がするのである(もちろん同じではないが)。で、自然素材の固形石けんを使うという、石けんの選択の問題に落ち着きそうだ。

坂本政道さんの超ぶっ飛び新刊本

坂本政道さんの新刊。
いやはやまたぶっ飛びエンターテインメントだった(笑)
死後体験シリーズ3までを読んでいなくていきなりこれを読むと、狂気の書としか思われないでしょう(笑)

私がこの本に目を通しての反応は、まず、爆笑・哄笑だった。
もちろんその内容をばかにしての「嘲笑」ではない。内容については「そういう情報もあるか」ということで、肯定も否定もするつもりはない。ここでいうのは、なぜかこの本は「楽しく、明るくなる」ということである。その意味での爆笑・哄笑である。つまりそこには何らか、精神が解放された感覚がともなっている。このぶっ飛びに接していると、もう細かいことはどうでもいいじゃん! という、オープンな開放感がわき起こってくるのである。もしかしてニーチェが理想としたのはこういう哄笑ではなかったのか(ニーチェ自身の笑いは一種のひきつりや毒を伴うことが多かったようだが)。

いや~とんでもない話ですね(爆) ――という感じだ。
どうしてもそこにみなぎっている「楽しさ」の感覚が印象的だ。

それが「本物」かどうかなどということを、私に聞かないでほしい。私はそういうことを述べるつもりはない。それは各人で判断することである。
ただ言えるのは、モンロー研にも役割があるし、また坂本さんもしかるべき理由があってこういうことをやっている、ということだ。

地球に無条件の愛のエネルギーが注がれているということは、疑うことはできない。もちろん、それが注がれていなかった、などという時代はなかったのだと思う。
ただ、これまでは相当に厳しい修行をしなければ達せられなかった意識状態に、普通の人がかなり簡単に行けるようになっているという変化があるのは事実である。
そこへ行った人が増えれば、行きやすくなるということのほかに、サポートのエネルギーも増大していることも、事実のようである。地球上においていろいろなことが起こっている。モンロー研や坂本さんも、大きな経綸の一環としてある。

近代の知的世界では「地球外知性体との交渉」というテーマは最も強いタブーなので、知識人たちは黙して語らないであろう(ひそかに読んでる人もいるかもしれないが)。読んだことをはっきり書くのは私くらいなものである。これはあくまで情報の一つとして理解すべきだと思うが、ともかくここに漂っている明るいエネルギーに印象を受けたので、あえて書いてみたのである。エネルギーグッズとしてなかなか優れているかもしれない。意識の制限を自由にする効能は、あるように思える。

『かもめのジョナサン』のラストシーンを思い出して、こう言ってみたくなる。

――「無限」なんですね? マサさん。

4892955736「臨死体験」を超える死後体験 4 - 2012人類大転換
坂本 政道
ハート出版 2007-08

エネルギー変化?

長い休みが終わるときは少し心残りの気分がするものだが、学期が始まってみると、これもいいかな、と思う。あまりにリラックスしすぎると副交感神経が優位になりすぎ、かえってバランスを崩すということもあるのではなかろうか。

以前にここで哲学史の構想を書いたが、今回はこれまででいちばん、自分で納得できるプログラムになったような気がする。人類の叡知探究の歴史としての哲学を一望のもとにおさめ、それをわかりやすく語ることができる、という自信のようなものが出てきた。そこでここ数日、「いよいよ、『自分の真実を言い表すこと』へ第一歩を踏み出すのだ」という感覚が去来するようになってきた。この一週間でずいぶんエネルギー状態が変わってきたものだ。

いろいろ書いていくこともこれからできそうに思うので、興味のある出版社さんは早い者勝ちである(爆)

9月11日の不思議

この前の9月11日って、なんかあったんですかね~

いや、同時テロ事件の日だということではない(それもどこかで関係あるのかもしれないが)。新月で、日食が(日本でないけど)ありましたね。私はその前日にものすごい頭痛がして、それは、ここでは書けないがある霊的な方面であるステップに進む決断をしたことと関係しているらしいのだけど、その11日になって、用事があってスーパーに立ち寄った時のこと。車から降りると、「おや、これは何??」という感じがした。なんだか、見慣れた風景であるのだが、全面的にエネルギーが刷新されてしまったような、みずみずしさというか、清新さに満ちた空気を感じたのである。何かが根本的に新しく始まったかのようなエネルギーを感じた。

私の身体はこの前日までに冷えの極点に来ていて、この11日を境に「暖めること」に目覚めてエネルギー的にも転換してきたのだけれど、この11日というのは私の意識の及ばない範囲で、何か大きなことが起こったのかも、という感覚が漠然と感じられる。で、ネットを少し検索してみたら結構すごいことが書いてあったりするので驚いてしまったが(笑) う~ん・・私はそういうのは「文字通り」に受け取るべきものではなく、神話・象徴だと思うことにしているのですがね、しかし、何らか、意識を超えた次元のことを意識に気づかせるための「方便」として出てきた情報かもしれない、という解釈はありかもしれない、と思う。

何のことかわからない人は、わからなくていいのよ(笑)

体を温める

最近どうも、心身の調子がいまひとつだと思ったら、どうやらその原因は、夏の間にクーラーにあたりすぎた「体の冷え」にあるらしいということがわかった。

気を活性化することもいいが、もっと直接的に、長い時間入浴するなどで、体を温めることに気をつけないといけない。

あんまり冷えすぎて、「冷気ティーチャー」になっては、シャレにならないところである(笑) エネルギーワークをしている人は、肉体次元へ直接働きかける方法の重要性も忘れてはならないという教訓である。

「冷え」の重要性は、東洋医学では昔から指摘されているが、例の安保徹も、低体温は免疫力を低下させると言っている。最近、岩盤浴がブームになっているのも、「体を温めること」の気持ちよさが知られてきたからであろう。岩盤浴は残念ながら女性専用のところが多いのだが、近所に「陶板浴」があるので、そちらにもトライしてみようと思う。

さっそく図書館で次の本をみつけて読んでみた。
安保徹は、西洋医学も否定せず、東洋医学的な考え方を統合しようという方向なので、「統合医療」のヴィジョンとしては優れたものであると思う。もっとも最近、ものすごい数の本を出しているが、これは全部自分で書いているはずがなく(教授というのはそこまで暇ではない)、ライターが書いたものを監修・修正して出しているのだと思うがなあ。まあ、それは本の評価とは関係ない。


4816337172体温免疫力―安保徹の新理論!
安保 徹
ナツメ社 2004-05


見ることと、理解することは違う。


見ることと、理解することは違う。
たとえぼくが餌付けをしてグレーシャーベアをおびき寄せても、
それは本当に見たことにはならない。
しかし、たとえ目には見えなくても、木や、岩や、風の中に、
グレイシャー・ベアを感じ、それを理解することができる。
あらゆるものが私たちの前に引きずり出され、
あらゆる神秘が壊され続けてきた今、
見えなかったことはまた深い意味を持っているのだ。

星野道夫『Michio's Northen Dreams 3 最後の楽園』 p.57

枕頭の書――いわゆる「霊的感覚」について

ニュッサのグレゴリウス『雅歌講話』はすごいいいエネルギー! 最近は枕のそばに置いて寝てます(笑) 本は波動グッズだったのか? いや、少しずつ読んでます。

「モーゼの生涯」もいいのだが、こちらは『キリスト教神秘主義著作集』に入っていて、擬ディオニュシウス・アレオパギタと一緒になっている。やっぱり、他の著者と一緒になるとエネルギーがピュアでなくなるというか、どうしてもブレンドされてしまうので、それだけ単行本になっているのは全然エネルギーが違ってくるみたいである。同じことは、マクシモスの『フィロカリア3』にも言えることである。こういう売れそうもない本を出す出版社は偉い。

ことし、近代以前の哲学、特に教父の思想を少し研究して、そこにはインド哲学などとも共通した、「人間には霊的次元を認識する(潜在的)能力がある」という前提が存在していることを確認した。このあいだ、「凡庸なる哲学史」を批判したのも、その前提を見失ったことが近代における哲学の衰退を生んだという判断があって、そういう「霊的認識能力」の存在を認めるか、認めないか? という「問題意識がない」ということ自体が問題だということであった。そういう問題があるということに気づかない、無視する、というのはつまり、「ない」ということを自明の前提としているわけで、その瞬間にもう「近代」という知的世界に取り込まれてしまい、その「外部」は見えなくなるのだ。従ってこういう問題意識が「ない」ものをすべて凡庸と呼ばせてもらったのである。

雅歌講話といえばオリゲネスのもある。こちらも買ってはあるが・・ 
なんといっても、現代の「精神世界」に最も近い哲学は、オリゲネスである。彼は、「世界は霊的進化のための学校である」と見なし、人間の魂は転生を通じて神に近づいていく、としたのだから、これって「そのまま」現代に通ずる。今こそ蘇るオリゲネス!! 

決して、「マニアックな話」ではないつもり。

そうそう、こういう「霊的感覚」の世界を、幻想だのなんだのという「批判」について、友人がミクシーでこんなことを書いていた。

やれ、前世のせいにするのは逃避であるとか、宗教はファシズムだとか、依存性を助長させるとか、オーラなんて幻覚だととか、この手の批判は、たとえれば、将棋の羽生名人に「いい大人が、木っ端遊びで時間をつぶすな」といっているようなものでしかない。

将棋の世界には、あの、吹けば飛ぶような木っ端と、升目の中に、思考の宇宙が広がっているのである。その宇宙の存在を否定しても、それは批判になっていない。

うまいこと言うな~ と感心しきり。(ただし、将棋の名人は現在、森内であって羽生ではありません)

安倍首相のストレス

しばらくはお気楽モードが多くなります。

突然で誰もがびっくりした安倍首相の辞任だが、その原因はどうやらストレスによるブレイクダウンのようですね。
病気なら病気といえばいいのに、なぜあのような説得力あるとは思えない会見を?

総理というもののストレスは生半可なものではないと思うが、ストレスを軽減するリラクゼーションのさまざまな方法は試してみなかったのだろうか? 西洋医学の医師の診察を受けるだけでは、ストレスそのものは軽減しない。

こういう立場の人は常に監視されているから、メインストリームから外れたヒーリングなどやることはできないのであろう。しかしレイキは無理としても、最近メジャーになってるリラクゼーション技法はさまざまあり、何か一つでも試してみてはどうだったのであろうか。執務室にお香を焚いてはいけなかったのか?(いけないのかもしれない・・そこがつらいところだ(^_^;) あるいはロミロミを受けるとか・・こういう高い地位にあるといろいろやれることの制限が多くて大変だ。あまり有名人にはなるものではない。

マスコミを見ると批判、批判ばかりだ。
マスコミというのはとにかく何か人の落ち度を見つけ出して批判することが正義だと信じている。そういうことも社会には必要であろうが、自分のことはちっとも批判しない。こういう業界に長年身を置いていると、たぶん一種の「くさみ」がついてしまうだろう。そういう眼ですぐものを見るようになってしまうので、もし人生の大きな目的を霊的な進歩ということにおくなら、こういう職業は避けた方がいいだろうと思う。

「ストレスを軽減するためにできることはなかったのか」という論点を、誰一人として提起しない・・そういう問題意識っていうか、想像力がマスコミはないんですかね?

安倍首相は辞めない方がよかったのか・・と、そういう問題ではない。
少なくともこの時期はまずいでしょ・・なんとかリラクゼーション技法でこの時期を乗り切って、いずれ辞めるにしろもっといい辞め方ができただろう、と思うのである。要人には「ストレス管理のためのノウハウ」が必要であって、そういう発想を側近たちが持てなかったのが、一つの敗因かな。そういう知識も「危機管理」の一つ、という発想があれば・・よくない辞め方になってしまったので、今後の政治生命にも悪影響があるだろうと思うと、残念である。(危機管理に弱いのは安倍政権の体質だったかな)

しかし、ものごとのプラス面を見るならば、たぶんこれをきっかけに「機能性胃腸障害」をはじめとするストレス性の心身症に対する世間の認知が進むであろう。こういう人たちはこれまでとかく「仮病」などと見なされてつらい思いをしたこともあったろうと思うので、世の中全体が「ストレスにどう対処するか」というリラクゼーション技法への関心を高めるきっかけになればいいでしょうね。

すべてはエネルギーワーク

なんというか・・
最近よく思うのは、「すべてのもの・ことは、『エネルギー』として見ることができる」ということだ。つまり、「すべてのことは、『エネルギーワーク』としてすることもできる」ということである。

何かを「物」として見てしまうことは簡単である。しかし、すべてはそれ固有のエネルギーを持っているのであり、そのエネルギーと自分のエネルギーが接触しているのだととらえると、その出会いは何を意味するのか、ということが気になってくる。そうすると、神的エネルギーとつながることの重要性もしぜんにわかってくる。

生それ自体がエネルギーワークではないか、とも考えることができるのだ。
実はその「視点」が、エネルギーワークにとって大事なことかもしれない。

禅密功の朱剛先生も『気功生活のすすめ』で似たようなことを書いていたぞ。

ちょっと日記モード

昨晩BS2でやっていた「ジョビン記念小野リサコンサート」は見ましたか?
いや、かなり久々でした。私が小野リサファンであることを知らないというのは、このブログでは「新参者」であろうか? それはともかく、最近の彼女の、世界各地の歌をボサノヴァ風にアレンジしたCDなんかは、あんまり関心がなかったのだけれど、やっぱりジョビンはすごい。

リサさんの歌っている時の表情が美しいんですよね。「魂の幸福感」に満ちあふれたエネルギーを放っていて。音楽とはオーラそのものである、というか。よく「オーラが出てる」と言うが、そういうときは、ほんとに出てるんだからね(笑) 比喩ではない。

リサさんの魅力とジョビンの偉大さを改めて確認、というところ。これはおすすめです・・といっても終わってしまっているからしかたない(笑) レコーダーに録画してあるが、これをコピーして売るのはたぶん法律違反になりそうだからやめておこう。しかし客席が映ったが、ちょっと年齢層高めでしたね(^_^;・・

録画といえば、以前BSハイビジョンでやっていた星野道夫のドキュメンタリーをDVDに焼き、これでアラスカの映像を見ながら気功をする、なんてことを最近やっている。大自然の気を摂取するためのイメージである。これはオダギリジョーのナレーションもまたいいので、そこには「<巨大なる未知>を知った者がもつ畏敬の念」というものがよく出ている。ほんとうにぴったりなので、たいしたものだと思う(オダギリジョーの映画では、「メゾン・ド・ヒミコ」をおすすめする)。

なんかDVDも売ってるみたいで、3巻になっているが、ハイビジョンでやっていたのはこれの縮約版なのかなあ? よくわからん・・ BS2でもちょっと編集が違うのをやったことあるし・・

B000FTW9FU星野道夫 アラスカ 星のような物語 感受編 春~初夏
藤原ヒロシ オダギリジョー
マーベラス エンターテイメント 2006-08-02


・・と、最近は体調・エネルギー回復モードなので、ブログもむずかしいことはやめて、日記モードである。なお、いろいろやってることの中で、書いてもさしさわりのないことしかここには書いてないので、そのつもりでお読みいただきたい。

このところよく近所のJ温泉へ行く。
こちらは郊外の田園地帯(要するに田んぼですな)にあるが、源泉掛け流しで、お湯の質で知られている。なんと言っても数分入っているだけで、肌に泡がついてくる。これは湧出口と浴槽との距離がちかいためである。つまりほぼ真下に湧いているのである。

その温泉までは車で10~12分。
この季節、窓を開けて走っていると、虫の鳴き声がものすごく聞こえる。主としてコオロギである。県道を走っていても聞こえる。


追記

調べたら、やっぱりDVD出るんですね。しかし高い・・私は4350円も儲けたことになる・・(笑)

Lisa Ono 2007 SUNSET BOSSA-Tribute to Antonio Carlos Jobim-Lisa Ono 2007 SUNSET BOSSA-Tribute to Antonio Carlos Jobim-
小野リサ


Amazonで詳しく見る

雑感

いやぁ、宮本久雄先生の『愛の言語の誕生』、味読しましたね。
これはニュッサのグレゴリウス『雅歌講話』を読み解き、ギリシア教父の精神性とはどういうものかを教えてくれる書である。つまりは「神的な美を感じ、さらにその奥へと歩み続ける」のです。

雅歌の注釈といえば、十字架の聖ヨハネも有名である。『愛の生ける炎』や『霊の賛歌』。

最近、読書傾向がすこぶるこっちの方向になってきました(^_^;

次はいよいよニュッサのグレゴリウスご本尊にトライです。

音楽ではなぜか、シューマンのチェロ協奏曲(特に第二楽章)や、交響曲第二番(特に第三楽章)などにはまり・・これって決して明るくないのです。愛と光の世界というわけではない。でも暗いところもあるんだけど、それだけともいえず、苦悩なんだけれども、それでいて生の喜びも含まれているという・・書いていて自分でもなんだかわからないが、でもそういうものだから仕方ないのだ。なんだか、自分の中のモヤモヤしているものに共鳴するが、それがまた浄化でもあり・・というような気分。これを聞いている限り、すくなくとも「精神の若さ」は保てますね。まったく「青春」的なモヤモヤなのです。つまり自分は何になろうとするのかということを必死に考える人だという意味。それは「仕事」ということではない。

つまりは「生きようとする魂の意志」をシューマンには感じるということ。

何事も「お手軽」にすまそうというのは霊的ではない。「じっくり味わう」ということがすべての感情において必要なことのように感じる。

アウグスティヌス『告白』より


「そこでわたしは、それらの(新プラトン派の)書物から自己自身に立ち帰るようにとすすめられ、あなた(神)に導かれながら心の内奥へ入っていった。わたしがそうすることができたのはあなたが助け主となって下さったからである。わたしはそこに入ってゆき、何らか魂の眼によって、まさにその魂の眼を超えたところ、すなわち精神を超えたところに不可変の光 lumen inconmmutabile を見た。……真理 veritas を知る者はこの光を知り、この光を知る者は永遠を知る。それを知る者は愛 caritas である。……わたしがはじめてあなた(神)を知ったとき、あなたはわたしを引き寄せて、わたしが見るべきものは存在するが、わたしはまだそれを見るだけの者になっていないということをわたしに示した。そして、あなたは激しい光を注いで私の弱い目を眩まされたので、わたしは愛と恐れとに身を震わせた。それとともに、あなたから遠く隔たり、不類似の境地 regio dissimilitudinis にいる自分に気づいたのである」
谷隆一郎『アウグスティヌスの哲学』144
『告白』第7巻第10章16

「そのとき遙かに高いところから、〈わたしは大人の食物である。成長してわたしを食べられるようになるがよい。だが、肉体の食物のように、おまえがわたしを自分に変えるのではなく、おまえがわたしに変わるのだ〉という声を聞いたように思った。……あなたは遙かに彼方から、〈わたしはわれ在りというところの者である〉 ego sum, qui sum と呼ばれた。わたしはこの声をあたかも心で聞くかのように聞いた。それゆえ、疑いの余地は全くなくなり、〈創られたものを通して悟られ、明らかに知られる〉真理の存在を疑うよりは、むしろ自分が生きていることを疑うほうが容易だったであろう。」
同、同

新カテゴリー:名文抜粋集(星野道夫)

まったく突然であるが、新しいカテゴリーとして「名文抜粋集」をつくった。

その第一弾。

私たちが日々関わる身近な自然の大切さとともに、 なかなか見ることの出来ない、 きっと一生行くことが出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。 そこにまだ残っているということだけで心を豊かにさせる、 私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である。 (11)
 ぼくが子どもの頃に、頭を悩ませていたのは、北海道のクマの存 在である。自分か日々、町の中で暮らしている同じ瞬間に北海道で クマが生きている。そいつは今、どこかの山を登りながら、大きな 倒木を乗り越えようとしているかもしれない……そんなことを考え 始めると、不思議で不思議でならないのである。そしてその不思議 さは、自分の存在が消えてしまうとさらに不思議なのだ。つまり、 クマと出合うのではなく、その風景を天空から見ている自分を考え ることで、人間のいない世界に流れる自然の気配を想像する不思議 さである。その頃は言葉にはできなかったが、それはすべてのもの に平等に同じ時が流れている不思議さだった。 (35)


4569665578Michio's Northern Dreams (3) 最後の楽園 PHP文庫 (ほ9-3)
星野 道夫
PHP研究所 2006-01


『99.9%は仮説』

竹内薫『99.9%は仮説――思いこみで判断しないための考え方』(光文社新書)なる本を借りてきた(基本的に、新書はまず図書館で借りることにしている。だいたい、あとでもう一回読み返すような内容の新書などめったにないし、古本に出すにも値がつかないので困るのである)。

しかし、期待してなかったけど、意外にこれはいけます・・! いけるというのは私の場合、授業で使えそうということである。この本は科学というものは仮説であって、真実だと思いこんではいけない、ということをいろんな例を出して述べている(コペルニクス説が神中心の世界像を壊したなどというのは、ちょっと勉強不足であるが)。要は、「常識を疑いなさい」ということを言っている。

哲学とは常識を疑うことだとよく言われるが、それは別に哲学の専売特許ではない。常識を疑うということは哲学というより「学問」あるいは「思考」の前提であり、出発点であるということだ。人類学であれ社会学であれ、常識をそのまま信じていては進歩がないのは変わりない。よって、常識を疑っているという理由で哲学を特別視する理由もないのである。

『99.9%は仮説』には、永井均が仕入れ先と思われる、「世界数秒前開始説」もとりあげられていて、それを反証することはできないと述べられている。

竹内薫は、すべて絶対確実なものはないということをあっけらかんと肯定している。近代哲学は、「絶対に確実なものは何かを知る」という欲求から始まったはずだが、「そのようなものはない」という状況を、べつにニヒリズムだとも思わず明るく認めているわけである。これはやはり日本文化の伝統の一つではないかな? そもそも「絶対確実なもの」を求めようなどという思想がとんでもなく西洋的なものかもしれないのである。日本人は「すべては仮である」ということを当然と見なすという文化を持っていた。仮であるものにおいて、一瞬であれ輝きを認めることに、永遠を見出していたのだった。

それはともかく、「すべては仮説である」ということ、科学であっても、何事かを絶対的に証明し、「真理」を発見したわけでないこととか、先端科学者のやっていることもけっこうアヤシゲだったりすることもある、などということが非常にわかりやすく述べられているので、学生にはイチオシの本であろうと思う。

もう一度いうが、常識を疑うことは「学問」あるいは「知」の前提であって、それ自身は哲学の問題ではない。では哲学固有の問題とは何か、といえば、それは「実在についての常識を疑う」という「問いの方向性」にあると言うことができよう。

はっきり言うとそれは「どう考えてもいい」のである。ただその仮説が、美しい生へと導くものか、そうではないのかという相異があるのみである。美しい生とは、自分だけのことではない。どう考えてもいいが、その結果は自分で引き受けるのである。

私が「凡庸なる哲学史」の本を批判したのは、現在、常識的とされている哲学史の構成、つまり過去の哲学からのとりあげるものの選択、その描き方に疑いを抱いているからである。端的に、そのような構成で人類の哲学的探究の遺産を扱うことは「美しくない」のである。その常識的構成を、たとえ入門者向きだからという理由であれ、それを疑問に付すことなく採用してしまうことは、その常識を「良し」とするという選択を行ったことを意味している。しかし、一方で哲学を「常識を根本的に疑うこと」などとその本で述べるというのは、自己矛盾の最たるものではなかろうか。そもそもその本自身が、その知的要請を実践できていないわけではなかろうか。入門書は常識的構成でよいというのは、結局、高校の倫理の授業や大学の(常識的なる)哲学の授業の参考書としても有用でなければならない、といった、世間の常識に合わせたという行為であろう。もとより、それを百も承知の上で、自分は凡庸なる本を書いていると自覚しているというなら、それは一つの「お仕事」としてありかもしれないが。しかし、その著者が、本当に常識的な哲学史の構成に疑問を抱いているなら、それはその本に何らかの形で反映されたことだろうと思う。結局、そういう常識を疑えていなかったということではなかろうか。いや、もう少し正確に言えば、「哲学は疑いだ」はけっこうだが、そもそもどういう方向に、何を疑っていくべきなのかという点で、近代哲学の地平を超えていないから、常識的な構成を疑えなくなってしまうのである。つまり、疑うことはあたりまえであって、問題は「疑いのスタイル」なのだ。私は、近代哲学の「疑いのスタイル」は美しさに結びつかないものが多いのではないかと思っている。疑いはほんの出発点にすぎない。大事なのはそこから、ある「魂のあり方」へ至る道である。その道が哲学なのだ。その点を見失った哲学を大きく取り上げる必要はないのである。

つまり、常識的な構成は、「疑うこと」のみに価値を置き、そこから「ある魂のあり方」に至ることが大切だという価値観を持っていないのである。したがって、そういう構成を採用する人は、「ある魂のあり方に至るということは哲学の最重要問題だ」という考え方をしていないことがわかる。この点で、私から見れば、世間一般の「哲学的疑いについての常識」を超えていないということになるのだ。なおこれは、あくまで私個人の価値観からの判断であることは、言うまでもない。

この本の話からは外れるが、もう一つ哲学において大事なことは、「根本感情」だと思っている。これはハイデッガーの用語でもあり、「根本情調」などとも訳されているが・・つまり、根本的な「魂の気分」である。哲学的な探究を主導するのは、この「魂の気分」なのである。たぶん、それを共有しうる思想が、「わかる」と感じられるのであろう。哲学には論理的体系性を重視するものがあるが、それは、本来は、「論理的、整合的であることは美しい」という魂の気分から発した一つのスタイルである。プロクロスの神学綱要やスピノザの命題集などにもそういう気分は感じられる。しかし、哲学はそういうスタイルでなければならないと、制度的に縛られるようになると、これはもう根本的な自由の喪失である。哲学の表現自体に、そういう魂の気分をもっと浸透させるべきだろうという考え方も当然あって、ギリシア哲学からそういうスタイルのものはあった。つまり私が言いたいのは、哲学史においても、それぞれの哲学の「根本感情」から説明していかねばならないだろう、そうでなければ生きた哲学史にならないだろう、ということである。そこまで踏み込めているならば、これは凡庸ならざる哲学史である。そうではなく、単に理論の図式的整理に終わっているならば、それは謹んで凡庸の名を贈るにふさわしきものであろう。

(なお、この批判は、現在すでに出版され、私の目にとまった数冊の本を対象にしており、言うまでもなく、未見の本はその対象とはならない)

ということで、

433403341599・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方
竹内 薫
光文社 2006-02-16

« August 2007 | Main | October 2007 »

April 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ