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霊的弁別

よく、「すべて必要なものは自分の中にある」といわれるが・・

これは言うまでもなく正しい。大原則である。しかしながらこれは、「すべて必要なものは自分で作ることができる」という意味ではない。

現実的には「必要なものを自分で選ぶ」という形になることが多い。

「すべては自分の中にある」は原則だが、実際にはそれだけで霊的な道を歩むことができるわけではない。こういう言葉だけで満足してしまうのは、要するに教養神秘主義、ペーパー神秘主義のたぐいである。学者などには、こういうわかりきったことだけを本で書いたり、シンポジウムでしゃべったりしている人もまだいるが、もはや世はそのレベルのものを求めているわけではないのである。

つまり、実際には、「先人が切り開いた道をたどっていく」ことが霊的な道なのである。独力でそれを開拓することができるくらいなら、そもそも転生などする必要もないくらいである。

たとえばいろいろな瞑想法などが世に広まっている。これらも、もしパワフルなものであれば、それはそれを開拓した人が「上」の次元とのエネルギー回路を開いたということを意味している。力のあるメソードとはそういうエネルギー的なチャージが存在しているものだ。そういう意味においては、それは「宗教」にちがいないのである。伝統的な意味の宗教ではないが、だれか先人のエネルギーによって開かれた道を行く、という意味では宗教的な行為になるのである。であるから、これはあんまりカジュアルに考えるべきことではない。瞑想法などのメソードは、その来歴をよく知って、誰がどういうエネルギーでどこにつながったものであるのか、そういう見当をつけてから参加する方がよいのではないか。

「とにかくやってみればわかる」のはたしかだが、「やってみたらカルトでした」では、エネルギーレベルでの損傷は免れない。盛り場で適当にお店に入ってみて、「入ってみたら暴力バーでした」だって、「やってみればわかる」にはちがいない。どういう結果でも受け入れる覚悟があれば、「とにかくやってみればいい」で進めばよろしいだろう。つまり、やるかどうかは慎重な判断を要する。そこでまったく迷いがないのかどうか。それを見きわめるということである。

もちろんすべてはわからないので直観の部分も多い。しかしそういう、エネルギー的な「サニワ」(霊的弁別)を軽視してはならない、ということである。そして「自分はこのエネルギーを受け入れる」という決断をしてから始めるべきものだと思う。

霊的な道で重要なポイントはそこである。そのことを言っていなくて、「すべては自分の中にある」などという決まり文句以上のものが出てこない人は、あまり体験がないペーパー神秘主義者だと思っていいだろう。「上」の次元とのつながりなしに、何も始まりはしない。

なんか前項で書いたことと一見反対のようだが、実はそうではない。
そういう時代だからこそ、ということである。

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